2015.08.11

独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた3

>われわれ日本人は何度も何度も大きな災害に見舞われながら、それでも何度も立ち向かって乗り越えてきたのです。悲惨な目にあったのは今の自分たちだけではない。私たちの先祖もみんな乗り越えてきたことです。

日本は、必ず立ち上がる。その生きざまを世界に示そうではありませんか。……<http://web.joumon.jp.net/blog/2015/06/2933.html

引き続き外国人が目にした、日本人の災害を前にした忍耐強さを「ぼやきくっくり」よりお伝えします。http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid982.html

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日本人独特の「自然災害史観」「震災史観」といえば、「正論」最新号(2011年5月号)で、東京大学名誉教授の平川祐弘氏が、外国人目線のこのようなエピソードを紹介しています。

関東大震災を目撃したフランスの駐日大使クローデルは、妻子の死を知ったにもかかわらず、西洋人ときちんと社交を続け、座を辞する時に「頓珍漢な返事をして御免なさい。すこし気が立っていたものですから」a little excitedと挨拶した日本海軍軍人の話を伝えている。クローデルは、非常の際に日本人が示す忍耐心は、地震を体験した国民であればこそ身につけた尊ぶべき特性ではないか、とも観察した。

フランス人であるクローデルも、日本人独特の「自然災害史観」というものを感じ取っていたようです。また、これは地震ではなく火事なのですが、渡辺京二氏が「逝きし世の面影」の中で、幕末〜明治初期、大火によって焼け出された日本人の様子を目撃した外国人の記録を多数紹介しています。
いくつか引用しますと、まず、明治10年代に日本に滞在したアメリカ人のエドワード・シルベスタ・モース(大森貝塚を発見した人)は、大火の見物に行った時の様子をこのように記しています。

この一夜を通じて、涙も、焦立ったような身振りも見ず、また意地の悪い言葉は一言も聞かなかった。特に纏持*の命があぶなくなるような場合には、高い叫び声をあげる者はあったが、悲歎や懸念の表情は見当たらなかった」
*纏持(まといもち)=町火消しの各組の中で、纏3を持つ役の者。火事場では消し口の要路に立った。

また、フランス海軍の一員として来日したデンマーク人のエドゥアルト・スエンソンは、1866年(慶応2年)の横浜大火直後の様子をこのように伝えています。「日本人はいつに変らぬ陽気さと暢気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。持物すべてを失ったにもかかわらずである」「日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である

スエンソンはこういう日本人を「宿命論者」と呼んだそうです。さらに、アメリカ人クララ・ホイットニーは、1876年(明治9年)11月、銀座が焼けた翌朝、火事場を見に行った時のことをこう記しています。

「この人たちが快活なのを見ると救われる思いだった。笑ったり、しゃべったり、冗談を言ったり、タバコを吸ったり、食べたり飲んだり、お互いに助け合ったりして、大きな一つの家族のようだった。家や家庭から追い出されながら、それを茶化そうと努め、助け合っているのだ。涙に暮れている者は一人も見なかった」「驚嘆したことには、あちらこちらに新しい建築の枠組が立てられていた。その進行の早さは驚くべきものだった

クララの見た火事は日本橋から京橋にかけて一万戸を焼いた大火でした。東京医科校(現東京大学医学部)で教鞭を執ったドイツ人でエルウィン・ベルツも同じ火事を目撃し、クララと似たような記述をしています。

「日本人とは驚嘆すべき国民である!今日午後、火災があってから36時間たつかたたぬかに、はや現場では、せいぜい板小屋と称すべき程度のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる」「女や男や子供たちが三々五々小さい火を囲んですわり、タバコをふかしたりしゃべったりしている。かれらの顔には悲しみの跡形もない。まるで何事もなかったかのように、冗談をいったり笑ったりしている幾多の人々をみた。かき口説く女、寝床をほしがる子供、はっきりと災難にうちひしがれている男などは、どこにも見当らない

「涙も、焦立ったような身振りも見ず」「いつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった」「不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着」「お互いに助け合ったりして、大きな一つの家族のよう」「(新しい建築の)進行の早さは驚くべきものだった」「はっきりと災難にうちひしがれている男などは、どこにも見当らない」……。 このたびの大震災における被災者の方々とほとんど変わりのない、百数十年前の日本の被災者の落ちついた様子に、驚かれた読者さんも多いのではないでしょうか。

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2015.06.16

独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた2

 独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた(リンク)』からの転載2回目です。

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 そして、このような「脆弱な国土」と繰り返し起こる災害によってはぐくまれたのが、「自然災害史観」「震災史観」ともいうべき、日本人の独特の精神性であるというのです。
歴史をひもとけばわかりますが、日本の先人の多くは紛争ではなく災害で亡くなっています。中国やヨーロッパでは災害よりも圧倒的に紛争で亡くなった人が多いのだそうです。
紛争、つまり「人為」で命を落とした場合は、相手を恨んだり、なぜ負けたのかを考えます。次に備えて論理で考える思考が得意になり、それは都市設計にも影響してきます。
例えば中国の長安は高い城壁で町を囲んでいましたが、平城京は城壁を採用しなかった。その違いは、「外から敵が攻めてくる地かどうか」でした。
日本の場合は外壁がなくても誰も攻めてきませんでしたが、災害などの「天為」に見舞われてきました。
多数の死者が出ても、原因が災害では恨む相手がいません。
現代ならともかく、科学技術も発展していなかった時代ですから、災害への予測も備えもままならなかった。抗議する相手もいなければ、防ぐ方法もなかった。
……

 と、述べた上で、大石氏は論文をこうまとめています。
****************************************引用
……このように、日本人は中国や欧米のように理屈で説明できる「人為」でなく、「天為」で命を落としてきた民なのです。そして「天為」で命を落とした死者への思いは、「安らかに成仏してください」というものにしかなりえない。
人が大勢亡くなった時、あるいは愛する者の死に接したとき、人間は最も深くものを考えるものだと思うのですが、圧倒的な自然の力による災害で多くの人が亡くなる経験をしてきた日本人は、「ただひたすらにその死を受け入れる」民になったのです。
人間同士のいさかいではなく、自然のみが驚異であった日本人の精神性が、他国と違っていても全く不思議ではありません。

 日本人はグローバル化が進むなかで「人為史観」「紛争史観」の国々とわたり合っていかなければならなくなり、契約の仕方、主張の仕方一つとっても「世界標準と違う」と指摘され、「遅れている」かのように批判されてきました。日本人自身も立ち位置を見失いかけていました。しかし、これは歴史によって培われたものですから、不安に思ったり、自信を失う必要はないのです。
今回、人知を超えた規模での大きな災害が日本人を襲いました。しかし冒頭でも触れたように、日本人はこれほどまでの甚大な被害を前にしても、泣き崩れることなく、略奪なども起こさず、秩序だった避難生活を送っています。このような態度は阪神大震災のときにも世界の賞賛を受けましたが、これは歴史的に培われた、けなげさ、勤勉さなのです。

 今後は、たしかに非常に厳しいところからの復興が待っているでしょう。計画停電は今後もしばらく続きますし、GDPも下がるでしょう。国民は耐乏生活を強いられることになるかもしれません。
しかし、こういうときだからこそ、われわれ日本人はせめてこの災害を、日本人が日本人としてもう一度歴史を振り返り、凛とした生きざまを取り戻す機会にしていかなければなりません。はたして、贅沢三昧の何不自由ない暮らしに慣れていくことが国民としての目標だったのかどうか、もう一度見直す機会を神様から与えられたと考えるべきではないでしょうか。いや、そういう機会にしていかなければならないのです。

 

 1600x1200xe28656d805b8b79d8713b9-300x225[1]日本は本当に美しい国土です。自然は豊かで、農業にも適している。放っておいても木が生えてくるという豊潤な国土を持つ国などそう多くはありません。北から南まで、気候も亜寒帯から亜熱帯まで多様にあり、美しい四季の移り変わりもある素晴らしい国土です。
しかし、これまで指摘してきたように、他国にはない厳しい条件も同時に持っている。「素晴らしい」と眺めているだけで手を抜いてしまえば、一気に荒れ果てていく宿命も持っているのです。

 少しでも住みやすくしようと自然へ手を入れてきた環境は先祖からもらったものであり、私たちもよりよい形に改善して子孫にわたさなければならないものです。しかし今日、それを「公共事業」という言葉に置き換え、非難し、否定する風潮が強くなりました。これは未来、つまり将来世代に対する怠慢と言ってもいいのではないでしょうか。

 今回の地震と津波で、三陸沖は最大で70センチも地盤が沈下してしまいました。被災して住む家をも失った方々が、今後どこでどういう暮らしを展開していくのか、復興過程できちんと考え、計画的に整備していかなければ、また百年のうちに同じ惨事に見舞われてしまうかもしれません。あらためてあの地域での暮らし方を考え直し、環境を整えていく必要があるでしょう。
われわれ日本人は何度も何度も大きな災害に見舞われながら、それでも何度も立ち向かって乗り越えてきたのです。悲惨な目にあったのは今の自分たちだけではない。私たちの先祖もみんな乗り越えてきたことです。
日本は、必ず立ち上がる。その生きざまを世界に示そうではありませんか。
……

 

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2015.06.02

独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた

前回記事(復活力。叩き潰されても復活しようと考えるのが日本人の特性だhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=275292)に続き、今回は[ぼやきくっくり]より日本人の被災史観念と立ち向かう姿勢を紹介します。

以下、『独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた(リンク)』からの転載です。

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拙ブログでは、「外国人から見た日本と日本人」シリーズで東日本大震災に対する外国の人々の反応を3回に渡ってまとめましたが(まだ続く予定です)、彼らが一様に驚いたのは日本の被災者の次のような態度です。
・被災を「現実」として静かに受け止め、パニックになったりしない。
・周りの人たちと助け合い、冷静に、秩序正しく行動する。
・列に並ぶよう誰が指示しなくても、静かに並び、割り込んだりしない。
・泣き叫んだり、取り乱したり、誰かをガーガーと責め立てることもない。
・中には不届き者もいて窃盗など起こったりするが、それらは散発的である。
・大勢で略奪行為に走ったりしないし、ましてや暴動に発展したりすることもない。

無題

こういった日本人の落ち着きやマナーはどこから来たのでしょうか?どうやって生み出されたのでしょうか?日本人特有の宗教観?自然観?武士道精神?
そんなことを考えながら、「WiLL」最新号(2011年5月号)を読んでましたら、財団法人国土技術研究センター理事長である大石久和氏の論文の中に、ひとつの答えを見つけました。論文のタイトルは【日本人の自然災害史観
日本人は必ず立ち上がる】。
その主張を一言で言うと、「日本人の独特の精神性は、日本の『脆弱国土』と『繰り返し起こる災害』によってはぐくまれたものだ」というものです。

<以下、青い文字は大石氏の原文引用、それ以外は私の要約>
大石氏はまず、日本が「脆弱国土」であり、「厳しい自然条件」であり、他国に比べ、次の9つの大きな「ハンディキャップ」を背負っていると解説します。
****************************************引用
(1)細長い国土
放射状の交通ネットワークを構築しづらい。
(2)四島
海峡が陸地を分断。多数の島嶼部で構成されている。
(3)脊梁(せきりょう)山脈
細長い国土を2000メートル級の山脈が縦貫し、日本海側と太平洋側に二分している。面積の7割が山岳地帯。河川は急勾配で短く、流域面積が小さいため、降雨域に上流から下流まで収まってしまう。そのため、河川の氾濫を引き起こしやすい。
(4)平野
そもそも平野部や可住地が少なく、河口部か山間盆地に狭い平野が分散している。
(5)軟弱地盤
大都市はすべて河口部の軟弱な地盤の上にある。
(6)地震
国土面積は世界の地表面積の0.25%しかないにもかかわらず、マグニチュード4以上の地震の約10%が日本で発生し、マグニチュード6以上では全世界の約20%が日本で発生している。
(7)豪雨
地球総平均の2倍以上の年間降雨量だが、梅雨末期と台風期に集中。そのため水害が多い。
(8)強風
台風の通り道に沿うかのように日本列島が展開しており、直接影響を受ける。
(9)豪雪
国土面積の60%が積雪寒冷地域にある。
****************************************引用終り
つまり、ヨーロッパなどに比べて、日本は耐震や水害に注意を払い、対策をするというハンディを背負っている。そして先人たちは大変な苦労と投資を積み重ねつつ、ここまで国を発展させてきたのであると。
また、大石氏は「災害が歴史を動かしてきた」との持論を展開、その一例として幕末を挙げています。
1855年、安政江戸地震が起こり7400人以上が死亡しましたが、その翌年にも江戸では安政の大風災が起こり、大低気圧による高潮で10万人もの人々が家屋倒壊による轢死や溺死しています。
実はこの時期は江戸以外でも災害が頻発しており、安政伊賀地震、安政東海地震、安政南海地震が続けざまに発生し、三陸・北海道では津波の被害もありました。
これら連続した自然災害が、民衆を言い知れぬ不安に陥れたことは間違いなく、また、日本には「社会が不安定だと災害が起こる」との感覚が元々あったため、知識人も「本当に今のままの政治体制で大丈夫なのか」という感覚をもったのであると。
そういった肌感覚が、明治維新への動きに繋がっていった、災害を受けた民衆の気持ちが明治維新を招き入れたといえる、と大石氏は述べています。

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2015.05.26

復活力。叩き潰されても復活しようと考えるのが日本人の特性だ。

前回は、「わが国の国民性は地震により形成されている。」をるいネットより紹介しました。(http://web.joumon.jp.net/blog/2015/05/2910.html)日本人の、集団性、秩序収束の強さは地震等の自然災害の多さからきているのではないかとの展開でした。

今回も続けてるいネットから紹介します。日本人は自然災害をおそれ、秩序に収束しているだけではありません。

 

復活力。叩き潰されても復活しようと考えるのが日本人の特性だhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=275292

●いつの間にか「復活」しているのが日本

考えてみれば、日本には次から次へと地震が襲いかかっている。

地震だけではない。毎年のように規模の大きな台風も襲いかかって来る。これほど災害が次から次へと襲いかかって来る国も珍しい。

だから日本人は「災害慣れ」せざるを得ない。アメリカ人のように震度3程度の地震でパニックになっていたら暮らせない。

201207011755122c8[1]

2011年3月11日の東日本大震災は、もし大津波がなくて地震だけであれば、2万人が死ぬような大惨事にならなかったのは確かだ。津波が2万人を殺した。

普通の国では広範囲に渡って街が破壊され、一気に2万人もの人たちが死ぬような巨大災害に襲われたら、それこそ社会不安が全土を覆って破滅的な事態になってもおかしくない。

 

日本だけを見ていると気がつかないが、日本以外の国では、災害で損害を受けると、それが社会不安につながって、どんどん破壊が広がって行く。

略奪・暴動・銃撃戦が起きるのだ。それこそ、被災地に軍隊が入ると、最初の仕事は救援活動ではなく、暴徒の制圧であったりする。

 

また、多くの国では、被災者は地域を復旧させるのではなく、地域を捨てる決断をする。

だから、そこが重要拠点でもない限り、多くの被災地は見捨てられたままゴーストタウンのようになっていく。

 

その点、日本人は意外なまでに冷静で、社会不安が引き起こされる前に、誰に言われるまでもなく復旧作業が自然に始まり、どんどん回復させて元に戻してしまう。

そして、いつの間にか「復活」している。復活したときは以前と違って、危機に対処された新しい姿の復活になっている。

 

●静かに「破壊を受け入れる」精神

 

「社会を構成する巨大な何かが壊れても、それに耐え、工夫しながら復活する」

日本人のこのような特殊な精神構造は、いったいどこから来たのか。

 

考えてみれば、これは他の東アジアの国々とはまったく違うものだ。中国も、韓国も、いまだに数十年前の歴史を蒸し返してそこから一歩も進まない。

 

しかし、日本人はアメリカに国土を灰燼にされても、復旧させて、以前に増して強靱な国土を作って復活してしまう。

壊されても、壊されても、どんなに時間がかかっても、復活させてしまう気質を持っているのが日本人だ。

日本人は気がついていないが、日本人が最も得意としているのは、勝つことではない。壊滅的なまでに負けても「復活できる」ことなのである。

20d70e80[1]

毎年のように突然やって来る地震や台風のような巨大災害が、日本人の特異な民族性格を形作っているものであるとはよく言われる。それは真実かもしれない。

歴史的に、日本人は地震や台風や火事で、築いてきたものが一瞬にして破壊されるという経験を毎年のように経験する。そこから逃げられないし、自分だけ助かろうとしても無駄なことも知っている。

 

自然災害はワイロを渡して回避することはできないし、どんなにカネがあろうがなかろうが、平等に被害をもたらす。

だから、破壊されても「こんなこともある」と静かに「破壊を受け入れる」精神が日本人にはある。

破壊されないことよりも、むしろ破壊を受け入れて、いかに淡々と回復させ、いかに淡々と復活するかのほうに力を注ぐ。

 

(中略)

 

●叩き潰されても復活しようと考える民族

 

さすがに原発事故はすぐに片を付けられるような状況ではないし、多くの日本人の意に反して、それは数十年にも及ぶ苦闘の復旧作業になることは間違いない。

そもそも、この原発事故は、収束させられるのかどうかすらも分からない。

しかし、日本人は自然災害に立ち向かうかのように原発事故に立ち向かっており、持ち前の「復活力」で何とかしようと奮闘し続けている。

 

(1)巨大なものに叩き潰される前提で生きる。

(2)叩き潰されても受容し、復活に集中する。

(3)復活することで、しぶとく生き延びる。

 

このように言葉にすると、日本人は自然災害を思い浮かべ、「地震や台風が来たら何か壊れるし、それを片付けて対処するのは当たり前だ」と思うのかも知れない。

実は他国では(1)の「叩き潰される前提で生きる」という部分から受け入れがたいと思うことが多い。それよりも勝つことを前提に生きる。

 

また、(2)にしても、まわりが叩き潰されて自分がかろうじて生き残っていたら、復活を考えて行動するよりも、まず誰かに責任を取らせることを考えることが多い。

 

責任を取ってくれないなら、暴れるか、逃げる。(3)のようにならない。どこの国でも、だいたい、そのようにできている。叩き潰される前提もないし、復旧に集中することもない。

 

原発災害の場合では放射能被害が出るので、逃げないという選択は「しぶとく生き延びる」ことを放棄することになるので、まずは逃げなければならない。これは第一前提だ。

逃げて「しぶとく生き延びる」選択をしてから、ここから日本人は他国とは違った行動様式になっていく。淡々と復活に向けて動くのである。

 

果たして日本人の「復活力」が、破壊された原発にも応用可能なのかどうかは誰にも分からない。2年経っても事態はひどくなる一方だし、メルトダウンした核燃料は十年経っても取り出せないはずだ。

 

しかし、あきらめるという選択肢がまったくないのが日本人の特質であり、興味深いところだ。

数十年かかっても、日本は相変わらず復旧に向けて淡々と動いている可能性が高い。何しろ、何度叩き潰されても復活しようと考える民族なのである。

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2015.05.19

日本の地震の歴史~わが国の国民性は地震により形成されている。

最近は、日本全国で火山活動が活発化しており、巨大地震が起きるのではないかとの予測があちこちで聞かれます。それはそれで心配ですが、一方で日本人の共同体性、本源性は、繰り返し起こる(人間の力ではどうにもならない)地震等の自然災害によって育まれた(維持されてきたという説もあります。以下、るいねっとより引用、紹介します。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=247232

無題

 

日本の地震の歴史~わが国の国民性は地震により形成されている。

今回の地震(注:東日本大震災)で世界中の国々は日本人の災害時の秩序に驚きを見せている。しかし私たち日本人から見ればそれを驚く海外メディアの方が驚きでもある。この大きな差は日本人の特徴でもあり、非常に特殊な自然環境の中に我々の歴史があることを示している。

マグニチュード7以上の地震は世界中でこの90年間に900回ほど起きているが、そのうち10%もの地震が日本で起きている。マグニチュード8クラスの巨大地震も日本海溝や 南海トラフといったサブダクションゾーンに集中し、ここでのプレートの衝突がいかに激しいかがわかる。さらに太平洋プレートの日本列島下への活発な沈み込みは、日本列島を世界でも有数な火山列島にしている。このような日本近海のプレート運動は、島弧に強い歪みを与え世界でも有数の地震多発帯、火山活動多発帯といった自然災害の場を形成し、また地殻の上昇も加わって、非常に脆弱な地盤をもつ日本列島を作り上げている。

~全国地質調査業協会HPよりhttp://www.zenchiren.or.jp/tikei/zeijaku.htm

日本列島の火山活動は15万年前から活発になり、1万年前に現在の列島を形成し、6300年前の鬼界アカホヤ火山の爆発をもって休期に入ったと言われている。しかしながら紀元後の大規模地震の記録は少し調べただけでもかなりの数の地震が観測されており、その度に多くの災害を引き起こしている。その恐怖と危機の経験の積み重ねがわが国の人々の意識に色濃く刻印されている。それらが日本人に自然への畏怖を植え続けさせ、まさに今回我々が経験したように地震の度にその原点に人々の意識を回帰させている。それが日本の最大の特徴であり、海外の国々(特に地震の少ない国)が理解できないと言われるわが国の秩序の源泉である。

過去の地震、火山噴火の記録を調べてみた。

吉川弘文館「日本史年表」と

HP東海道・南海道の地震の歴史http://www.bo-sai.co.jp/tounankai1.htmを参照にした。(マグニチュード表記)はHPより抜粋しました。

416 大和河内地震

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684 南海大地震(M8.0)

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724 諸国大地震

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800 富士山噴火

864 富士山噴火

869 鳥海山噴火

871 鳥海山噴火

878 関東地方大震災

887 機内大地震・大津波(M8.0~8.5)

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937 富士山噴火

976 京都大地震

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1032 富士山噴火

1083 富士山噴火

1096 近江大地震(M8~8.5)

1099 南海・東海道地震(M8~8.5)

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1185 近江地震(M7.4)

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1241 鎌倉大地震

1245 京都大地震

1257 鎌倉大地震

1270 阿蘇山噴火

1293 鎌倉大地震

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1317 京都大地震

1361 近畿大地震(M8.0~8.5)

1394 阿蘇山大噴火

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1407 会津大地震

1449 山城大地震

1450 浅間山噴火

1498 東海地震(M8~8.4)

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1596 畿内大地震(M7.8)

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1605 南海沖地震(M8~8.5)

1662 西日本大地震(M7.6)

1670 越後村上大地震

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1707 富士山噴火(M8.4)

1778 伊豆大島噴火

1779 大隈桜島噴火

1783 浅間山噴火

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1804 出羽大地震

1828 越後大地震

1853 関東大地震

1854 下田地震(M8.4)

1855 江戸大地震

1888 磐梯山噴火

1891 濃尾大地震

1893 吾妻山爆発

1894 庄内地方大地震

1896 三陸地方大津波

1899 紀和地震(M7.0)

―――――――――――――――――――――――――――――

1909 近江・美濃大地震

1923 関東大震災

1930 伊豆相模大地震

1933 三陸沖大津波

1944 東海沖地震(M7.9)

1945 三河地震(M6.8)

1946 南海沖地震(M8.0)

1952 十勝沖地震

1961 日向灘地震

1974 鳥海山噴火

1977 有珠山噴火

1978 伊豆大島近海地震・宮城県沖地震

1979 木曾御岳山噴火

1983 三宅島大噴火・日本海中部地震

1984 長野県西部地震

1985 桜島噴火

1986 伊豆大島噴火

1989 伊豆半島群発地震

1993 北海道南西沖地震

1994 北海道東方地震

1995 阪神淡路大震災(M7.2)

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2015.04.21

再考「扇」~第7回  日本のおおらかな性文化を扱う吉野民俗学

前回http://web.joumon.jp.net/blog/2015/04/2889.html、ボノボや人類に特有の「正常位」について、その機能を構造的に解明しきました。かぎは「共感」にありました。正常位は「相手の表情が確認できること」「相手のことを正面から抱きしめること」などの特徴があります。正常位の役割は赤ちゃんの愛着形成に必要な「表情の認識」と「抱擁」と同じであり、パートナーへの「愛着」「共感」を形成しているのかもしれません。

今回はいよいよシリーズ全体のまとめになります。

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あとがき

私が扇に関心をもった出来事がありました。私事ですが和装で結婚式をしました。記念撮影になり、渡された扇子を持ちカメラの前に立ちました。その時です。ベテランスタイリストの方が「持っている扇子の先を下に向けてはいけません。親指に力を込め扇子の先を持ちあげなさい。」と注意を受けました。「そんなことも知らないのか」という感情が見てとれて印象に残りました。

それから気にして幕末・明治の写真を見るようにすると、確かに男性が持つ扇子は腰のあたりに構え、親指に力を込め扇子を水平にしていました。美保神社での蒼柴垣神事に重用される「長形の扇」は神事の最中は両手で持ち、腰の前で突き立てます。これらすべては男根を表す隠喩だと解り、後で笑ってしまいました。

私の専門は美術ですので日本美術において「扇」は格段に高い重要性があると考えています。琳派の屏風では扇が画面に舞い、一つ一つの扇には趣向を凝らした内容が描かれています。日本美術において扇面は掛軸・絵巻物・屏風とならぶ絵画形式のひとつになります。扇は絵を描くべき絵画の場になります。「扇とは何か?」は美術にとって重要な問いだと思います。

今回の文章は性表現が多く疲れましたが、日本文化において重要な「扇」を調べるとヒトとボノボの正常位に辿りつくことになりました。この「見立ての起源」はヤシの木が生える南方に住む女性がセックスの最中に「ビロウをおちんちん」に見立て始めたのが始まりだと考えると、なんだか微笑ましくもあります。

この文章を書き始めた目的は尊敬する吉野先生の民俗学をもう一度、議論の俎上に上げ、微力ながら吉野先生の意志を引き継ぎたいという思いでした。現在でも吉野民俗学は性を扱うため取り上げられることは多くありません。柳田民俗学では性はタブーとされていました。吉野先生はそのことは知らずに性の重要性を着眼点に民俗学を更新(バージョンアップ)されました。吉野民俗学は、儒教仏教に染まる前の古代人に思いをめぐらせ確立します。

性を扱わない民俗学は儒教・仏教・一神教のモラルに惑わされ理屈っぽくなります。なかでも新約聖書では処女懐胎という見方があり、性を禁忌(タブー)にしてしまいます。どこまで性を蔑ろにすれば気が済むのか?あきれた発想をします。このことはフリードリッヒ・ニーチェが「アンチ・クリスト」において指摘をしています。

本来、明治以前の日本の農村ではおおらかな性があり、歌垣や夜這いの文化がありました。もちろん昔に戻ればよいわけではありませんが、大人が知っておくべき性文化だと思います。

吉野先生の著作は「扇」(1970)から始まり、「古代日本の女性天皇」(2005)で締めくくられます。最後の著作である「古代日本の女性天皇」の内容は現在も問題になっている皇統の問題を縄文時代の祭祀から遡及し日本における女帝の存在を明確に分析されています。率直に言って男系・男性でなければならない理由は日本にはありません。これは日中両国間の文化の違いです。女性天皇の存在は誇るべき日本の特質です。

吉野先生の著作は最後まで透徹した学究姿勢でした。儒教仏教に惑わされない明晰さ、陰陽五行読解の執念、古代人との同調による分析がありました。『吉野裕子全集』全十二巻(人文書院)は2007年に刊行開始されました。2008年に全集のすべてが刊行され、2008年4月18日に吉野先生は亡くなられました。

私は2006年に森の中で蛇と出会い“蛇信仰”に思い至りました。それから2008年に吉野先生の著作「蛇 原始日本の蛇信仰」を知り、すぐに購入して読みました。読了後、自分の温めたアイデアは間違いではないと確信し、吉野先生にお会いしたいと思いました。しかし残念ながら、検索すると数か月前にお亡くなりになったことを知りました。原始蛇信仰について温めたアイデアがあったのでお話を伺ってみたかったのですが叶いませんでした。

これから吉野民俗学に興味を持つ方々が増えることを願っています。吉野先生の学究人生はコチラをお読みください→在野研究のススメvol.04 : 吉野裕子

 平成27年2月

白井忠俊

参考文献

「扇」吉野裕子全集1~12 人文書院

「海上の道」柳田国男全集 ちくま文庫

「チンパンジーの中の人」早木仁成

「Why is sex fun セックスはなぜ楽しいか」ジャレド・ダイアモンド著

「大地母神の時代」安田喜憲著

「暴力はどこからきたか」山極寿一

「ピグミーチンパンジー 未知の類人猿」以文社 黒田末寿

「人類進化再考 社会生成の考古学」以文社 黒田末寿

「古代秘教の本」学研

「共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること」フランス・ドゥ・ヴァール

「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」ちくま学芸文庫 赤松啓介

「扇子 NHK美の壺」NHK出版

 

参考Website

「正常位の素晴らしさについて心理学的観点から語ってみた」

https://alstroemeriasm.wordpress.com/2014/06/17/

共同体社会と人類婚姻史http://bbs.jinruisi.net/blog/2013/06/1147.html

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posted by tanog at : 2015年04月21日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2015.04.14

再考「扇」~第6回  ヒトとボノボが行う「正常位」にはどんな役割があるのか

前回http://web.joumon.jp.net/blog/2015/04/2879.html から、人類など一部の霊長類にしか見られない「正常位」による交接についての考察に入っています。驚くべきことに、霊長類の中でもボノボは正常位による交接を行います。

ボノボはチンパンジーに比べると、比較的食料の豊かの地域に暮らしているためか、オス同士の争いも少なく、メスも自らオスを交接誘うなど、平和を愛する霊長類といわれます。そして、チンパンジーは性の問題を力で解決するが、ボノボは力に関わる問題をセックスで解決するといわれています。

さて、今回はさらに、ボノボと人類に特有の「正常位」について、その機能を構造的に解明していきます。かぎは「共感」にあるようです。

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それでは最初の命題に戻します。
ヒトとボノボが好んで行う「正常位」にはどんな役割があるのでしょうか。興味深い記事を見つけました。筑波大生さんのサイトに書かれている「正常位の素晴らしさについて心理学的観点から語ってみた」です。

https://alstroemeriasm.wordpress.com/2014/06/17/

この記事と黒田末寿著「人類進化再考 社会生成の考古学」から「正常位」の役割を解き明かしていきます。正常位の特徴はお互いの顔が向き合う「対面」にあります。通常、動物では「対面」は目と目を合わせる事なので関係性が緊張状態になります。睨み合いの状態です。そのため基本的には「対面」をしないように「視線」をそらします。

しかし、類人猿(ゴリラ・チンパンジー・ボノボ・ヒト)は「対面」による“のぞき込み”や“見つめ合い”を行い、慰めやケンカの仲直りをします。相手の意図を推し量るように、相手を見つめ、それから親和的な行動をしめします。

見つめ合いの行動は「食事」にも表れます。“対面での食事”は通常、動物では争いのもとになります。ニホンザルでは劣位なサルは優位なサルの前で食物に手を出さないので、複数のサルが「対面」して一緒に食事をすることはありません。体をくっつけ合って食べることはありますが、こういう場合でもニホンザルたちは近くにいるサルの目を見ないようにします。注視することは威嚇になるからです。

しかし類人猿のゴリラは顔を向け合い、視線を交わしながら食事をします。更にチンパンジーやボノボになると相手に食料を譲るための食物分配もみられます。食べ物を分配するということは相手の気持ちを推し量り、汲み取って食べ物を分け合うことになります。これは食べ物が少ないから起こることではなく、食べ物が潤沢にあっても起こります。

同じのものを同じ場所で視線を交わしあいながら食べるという行為は食欲を満たす以上の意味をもっています。「大好きなあなたの食べているものを私も食べたい。」「わたしが好きなものをあなたにも食べてもらいたい。」という関係性です。それは社会性を形成するための同調と共存への願望であり「共感」を育んでいると思われます。

それでは性行為における「対面」を考えます。正常位はヒトとボノボのみに見られる行動ですがヒトとボノボの共通項は「生殖を伴わない性行為」です。生殖を伴わない性行為である以上、コミュニケーションに比重が偏った性行為だといえそうです。正常位は「相手の表情が確認できること」「相手のことを正面から抱きしめること」などの特徴があります。

これらは「表情の認識」「抱擁」になります。この二つは人間の赤ちゃんが生後すぐに獲得する機能になります。赤ちゃんは,母親から向けられる慈しみの表情から,母親に対する愛着を獲得し,安心して母親以外の顔にまで目を向ける事が出来るようになります。抱擁も同じです。母親から抱擁されることの無かったアカゲザルは,正常な愛着を形成できず,成長後に不適応な行動を繰り返すようになったという研究があります。                                                                             

「愛着」とは、愛し愛されているという感覚になります。「愛着」が形成されるとそれは「自己肯定」になります。正常な愛着を形成できないと「自己否定」に悩むことになります。

正常位の役割は赤ちゃんの愛着形成に必要な「表情の認識」と「抱擁」と同じであり、パートナーへの「愛着」「共感」を形成しているのかもしれません。もちろん,ただ抱きしめ,見つめ合うだけでも同様の効果は生まれます。しかしセックスの場合は性器からの刺激が同時に発生するため,      より強い「愛着」と「共感」が期待できます。

競争の激しいチンパンジーの群れ社会では「正常位」はデメリットの多い体位になります。調和を大切にし、セックスにより社会的競合の問題を解決したボノボたちには正常位は,社会性を育む「愛着」と「共感」を形成する重要な体位になります。ヒトの社会にとって「愛着」は自己肯定を育み、自己の存在意義を確信することにつながり、「共感」は安定した社会を創り出すのに必要な、他者に対する思いやりを育んでいるのかもしれません。

「扇」の意味することは豊穣を願う「力強い性意識」でした。「扇」を生み出した正常位の交接を調べると「愛着」と「共感」にたどり着きます。

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2015.04.02

再考「扇」~第5回 正常位の素晴らしさ

第3回第4回で本シリーズの基本的展開がなされました。扇とは力強い性意識を背景にした豊穣、生命を示す呪物であったという仮説です。
第5回以降はさらにこれらを背景に扇の(女性発の)視線にも繋がった正常位という視点もってきます。ここから先は本当に白井さん独特の世界が展開されるのですが、その発想の鋭さ、豊かさにうなってしまいました。
img17
ここからが本シリーズの核心部分です。それではさっそく紹介させていただきます。

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2015.03.24

再考「扇」~第4回 農耕社会で、豊穣と多産を祈願する地母神信仰が始まる

ビロウがなぜ男根に見立てられたのか。ビロウの見立てには発想の転換が必要でした(第3回記事)。天に向かって立つ男根(男性的な発想)ではなく、大地に突き刺さる男根(大地を女性に見立てた発想)でした。

この交接により「大地の地母神から新しい生命が産まれる。」という発想になります。これは男性原理から母性原理への発想の転換になり、性交→妊娠→出産こそ、超越概念となり地母神信仰が重要視されていたと思われます。

今回は、その地母神信仰の発生を社会変化と共に読み解きます。

=========以降原文の転載です=========

それでは人類史において地母神信仰が発生する段階を先史時代からの社会変化と共に読み解きます。
そしてビロウが表す交接と結びつけます。

■狩猟採集時代
男は狩猟、女は植物性食物の採集、育児
食物は採集し、すぐに消費する。保存蓄積しない。移動生活のため財産の概念はなく所有欲もない。
父は家族の統率者、保護者であるが、親ではない。親は母親だけ。
出産の神秘、女性への畏敬・崇拝。女神信仰へ
狩猟採集社会は人口増加が飢餓につながる。多産祈願の母神信仰はなかった。

■原始農耕期
1万3千年前くらいから農耕が始まる。
女性により発見されたと考えられる。
男は狩猟のため活動範囲が広い
女は育児を行うため生活空間が限られる。
そのため日々、目にする植物の成長を定点観測することができる。
自らの出産・育児体験と植物の成長とが重なり農耕の発見につながったのではと考えられる。
農耕社会は人口増加を耕地拡張によって対応できる。また小人数よりも多人数の共同作業によって生産性が向上する。
よって農耕社会は多産を歓迎し、豊穣と多産を祈願する地母神信仰が始まる。
エジプト・・・イシス
トルコ・・・・アルテミス
ギリシア・・・ガイア
(上記の地母神が文献に残されている。)
すべての動植物を産み出すのは大地と海の恵みに由来する。
そのため超越概念のイメージは平坦・水平・起伏 になる。
これを図2(第2回記事)の女性のお尻だと考える。

■農耕拡大期
人為的に栽培する農耕は食べ物を大量に作り出すことを目的とする。
そのため余剰生産物が作られる。米・麦は保存蓄積が可能。
農耕社会は財産の概念、所有欲を持つようになる。土地の所有は諍いが起こる。
更に発展すると規模の大きな戦争となる。
大量に穀物を作り出すには「大地の豊穣」だけでなく「天候」が重要になる。
天候に左右されて収穫量が変わる。天候は人が作用できない。
よって天候神が産まれる。
狩猟採集は必要な分だけ消費するため労働時間が短いが農耕は計画的で手間がかかり長時間労働を必要とする。男たちは土地に留まるようになる。
狩猟採集時代は母権が強かった。(狩猟のため、男は家にいない)
農耕を始めると男は土地に留まり、土地を守るため戦争に行く。
そのため父権が強まった。
男性の性格を持ち、天候を司る男神・太陽神が登場する。
エジプト・・・太陽神ラー
シリア・・・・バアル
ギリシア・・・ゼウス
(上記の男神・太陽神が文献に残されている。)
図2(第2回記事)の男性器は天候を司る男神を表すと考える。

以上の読み解きからビロウの生育状況は男性器のみを表すのではなく、
豊穣の地母神と天候の男神の「結合」を表すと予想します。

この見立てをした「視線」は女性が人生の説目で感じる妊娠・出産と日々の
生活で目にする大地から植物が産み出される神秘があわさった感覚なのかもしれません。
「扇」は神聖性を備えた呪物です。
その意味するところは豊穣を願う「力強い性意識」が土台にあると思われます。

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posted by tanog at : 2015年03月24日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2015.03.17

再考「扇」~第3回 ビロウはなぜ男根に見立てられたのか

日本文化において極めて重要な位置にある扇。その神聖性はビロウを模したものであるところから来ると、第2回の記事で展開されました。今回の時記事ではそれについて、さらに突っ込んだ追求になります。ではなぜ、ビロウを神聖なものとみなすのか。男の視線では分からない、意外な見立てがあります。そして、そこには現代人とは異なる、おおらかで力強い、性に対する意識があることが分かります。

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posted by tanog at : 2015年03月17日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

 
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