縄文ワールドⅡ |
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2008年12月21日
支配部族と被支配民の織り成す二階層国家:日本
僕は、日本人の起源は、いろんな民族が混交しながらも長い時間をかけて、話し合いをもとに融合してきたのではないかといままで自分なりにイメージを作っていた。
しかし、いろいろ調べてたり投稿を読んでいるとそれは大きな間違いで、日本は支配部族と被支配部族にほぼ固定された二階層国家ではないか?と思うようになった。
参照:日本人の起源の解明これまでの成果と残課題
何が二階層か?支配層と被支配層がほぼ完全に分離している点。
大陸の動乱期にやってきた武装部族(古墳時代の頃の渡来部族)が支配部族となり、それ以前に定着していた部族(縄文・弥生人)を支配していった、その状態が固定されていった。
その後の歴史とは教科書で学ぶ日本の歴史とは支配部族の小競り合いの歴史であると見たほうが、すっきりすると思う。
二階層国家であると考えると符号してくることも多い。
①日本語に音読みと訓読みがあるのは?
支配部族が縄文・弥生人を統治する必要から、支配部族が使っていた音読みの漢字に訓読みを振り付けた名残りではないか。
②自らを神として統治した。
支配部族は神として、各地の被支配民の上に君臨した。
その証が古墳(神が降りてくる舞台)→神社。(いずれも征服部族の氏族の長の墓→屋敷を神格化)
ただ、神だけでは純朴な縄文・弥生人は騙せるかもしれないが、各地を占拠した同類である支配部族との縄張り闘争には勝てない。だから常に強力な武装集団を伴いながら各地を占拠し続けた。
※教科書では、戦国の下克上etc支配集団が変わっているように見せかけているが、古代から明治維新頃までほぼ同じような支配部族(氏族)が日本各地を占拠・統治し続けたのではないか?
③支配部族(氏族)は、対立と小競り合いを繰り返しながらも、支配権を守るため談合を行い要所では団結してきた。
支配部族は融合したが(その証が前方後円墳と大和朝廷→天皇制)、決して被支配部族と融合した訳ではない。
※要所では支配権を守るために団結するから、明治維新でも“大政奉還”が可能になり、戦後もアメリカ追従を支配層の共認事項としているからなかなか変われない。
④そして支配権を永久に固定化するための騙し装置が、日本書紀→天皇制。
彼らは、古墳・神社=“舞い降りた神”のための舞台装置=支配装置・・・を集大成して日本書紀を確立した。古事記、日本書紀で記述に多少の違いはあるが、支配勢力の思惑の違いで多少の違いがあるだけで、彼らの思惑は概ね一致していた。その日本書紀の理論の宣伝機関として各地の神社を再構築した。(元は韓国神社や高麗神社だったものを日本書記の神々を祭る神社に再構築。)
⑤被支配民(縄文・弥生人)は、村落集団・村落自治という本源共認を認めてもらう代わりに支配(納税)を受け入れた。なので、支配層が一対婚に転換した後も、庶民はいつまでたっても原始的な婚姻制を守り続けつい最近まで来た・・・・。
そのために日本人とりわけ庶民の心に、本源性が強く残ったのではないだろうか?ただ一方支配側にかなり従順とも言える性質を持っているとも言える。
⑤支配部族は、身分が確立されているから、庶民がどうなろうが知ったことじゃない。→太平洋戦争での指導者の指揮の酷さ、一般兵士の死傷者の多さは目を見張るものがある。そして情報を得ていながら無差別殺戮(原爆や市街地無差別爆撃)をも許した。
最近の庶民の虎の子を差し出す郵政民営化とか、戦略の無いアメリカ支援も同じ構造。
・・・・・・以上が、日本という国の成り立ち上大きな骨格となっていると思う。この構造をもう少し十分鮮明にしていきたいと思います。応援よろしく!
(by Hiroshi)
投稿者 ihiro : 2008年12月21日 TweetList
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