前方後円墳は、出自の異なる古代部族の和合・合体の証し? |
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2008年11月24日
古代史概略~初級編
「日本人の起源」を、朝鮮半島、中国大陸からの渡来人の歴史をひも解いて、掘り起こしてみたいと思います。題して、「古代史概略~初級編」
「古代史概略~入門編」とあわせて、お読みください。
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第一波 1万2千年前~1.1万年前
気候変動により海面が上昇⇒日本が大陸から離れる。
少し前に南方ポリネシア系が漂着。
寒冷化で北方からブリヤード人が南下し、混血?→縄文人
参考朝鮮半島からの流入民との融和をもたらした古代日本人の縄文的性質
第二波 6000年前~4500年前
気候変動により長江文明が崩壊
江南人が渡来。⇒縄文人と混血・・・まだ縄文人
世界規模の気候変動が4200年前に起きている。~この時期の流民が縄文人を形成した!?
長江文明崩壊の時⇒日本へ渡来?!
第三波 2400年前(紀元前4世紀)
中国春秋戦国時代
戦乱から逃れて越人、楚人が渡来。
水田稲作開始→弥生人
第四波 2世紀
朝鮮半島で倭国大乱
朝鮮半島の武装部族が日本に亡命・進出。
弁韓・馬韓・辰韓・高句麗からも襲来し、小国建設。
ex.伊都国(伊豆)、投馬国(出雲)、吉備国
→「柵封体制」
※柵封体制とは、いわば中国のおスミ付をもらったもん勝ち、という体制。
ex.印授、鏡
日本になぜ天皇制が確立されたのか?
第五波 4世紀
百済・新羅の統一国家形成
存亡の危機に陥った部族が、侵略の意図を持ち、筑紫に上陸。
東征して吉備、河内、明日香を支配。
後半は、古墳は戦闘的・騎馬的になっていく。
→「有力豪族による合議制」
ex,葛城氏、物部氏
古代豪族が談合的体質を有しているのは・・・・
6世紀
任那滅亡。
任那王(継体?)が日本に逃亡。
天智系渡来
蘇我氏台頭
→「天皇中心体制を志向」
第六波 7世紀
百済滅亡
百済系による日本支配確立
→「天皇中心体制確立」「記紀編纂」
新羅系と百済系の変遷:実をとった百済系
渡来人の波は大きく4回あったといわれますが、今回はもう少し細かく区切ってみました。
渡来人の動きと国内勢力①(紀元前5世紀~6世紀)
いずれにせよ、
負組渡来人が日本に終着した。というのは、まちがいないようです。
うらら
投稿者 urara : 2008年11月24日 TweetList
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コメント
投稿者 高塚タツ : 2008年12月22日 15:42
高塚さんこんばんは、
>解明すべきは、時代遅れの亡霊のはずの談合テレパシー共同体が、ネット社会をも支配しているメカニズムではないでしょうか?
談合テレパシー共同体が、少しずつ見えてきたようでまだまだおぼろげな感じもします。そのメカニズムや仕組みが分かってくればもっと鮮明にみえてくるのでしょうね。
しばらく婚姻から、修験や諜報の分野まで幅広く追求してみる必要がありそうですね。
投稿者 Hiroshi : 2008年12月23日 23:09
>支配部族が縄文・弥生人を統治する必要から、支配部族が使っていた音読みの漢字に訓読みを振り付けた名残りではないか。<
石川九楊著『二重言語国家・日本』(NHKブックス1999年)によると、日本語は中国語の植民地語だそうです。江戸時代まで支配階級は漢文でしたものね。それが、20世紀には英語のできる階級とできない階級に分かれて、現在は、パソコンのできる階級とできない階級に分かれています。自分は後者ですが、お優しい皆さまのお陰で、こういう場に参加させていただけるようになりました。だから、支配と被支配の固定とは、考えにくいのです。
解明すべきは、時代遅れの亡霊のはずの談合テレパシー共同体が、ネット社会をも支配しているメカニズムではないでしょうか? 婚姻史を見ていくことで、「談合テレパシー共同体」(仮称)の形成過程が現われるかもしれないと期待させていただいております。