2020.04.23

天皇制と奥の院の共通点とは・・・「すべて裏から支配」

金貸しの世界は古くは海賊に遡る。4000年前~3000年前に海の民と呼ばれる海賊が地中海に登場し、3200年前にカルタゴを建国。以後交易民として地中海を制覇するが、2200年前にローマ帝国に滅ぼされて一旦消滅。以後イタリア、スペインに再結集してサボイ、デルバンコ等の氏族となり、銀行を生み出し、現代に繋がる金貸しの親玉、奥の院を形成した。

この金貸しの最大の特徴は決して表舞台に出ない事。現在も世界中の企業や資本家を牛耳っているロスチャイルド家を実質上コンロールしているのも彼ら奥の院の存在である。この金貸しの特徴は、「資力第一」で「裏から操る方が利益大、損失小」という鉄則を持っており黒幕であり裏の存在として十字軍遠征以後の世界を支配してきた。宗教革命を引き起こし、近代思想を生み出し、共産革命を仕掛けた。第一次、第二次大戦も彼らが絡んでいる。今回のコロナ禍においても彼らが仕掛けた騒動である可能性が透けている。しかし、マスコミ初め彼らを決して上げる事はできない。政治的にも企業としても登場せず、常に為政者や国をそそのかし、対立を生み出し、その両者から利益を得てきた。市場とはそれ単独では存在せず、国家に巣食う寄生虫のようなものとはよく言うが、奥の院の存在そのものが市場の本質と近似しており、それは彼らの出自が海賊であり、略奪という最も効率の良い商売をしていたからだ。

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2020.04.16

人類の天敵「ウイルス」:果てしない「軍拡競争」

まさに新型コロナウイルスとの闘いが繰り広げられる最中ですが、人類の歴史は古代前からウイルスとの闘いでした。 人類が世界に拡散したのも、ウイルスから逃れるためという説さえあります。

ウイルスは人類の免疫に抵抗するため、変幻自在に変化を繰り返し、人類に侵入しようと、虎視眈々と狙いを定めています。

第1次世界大戦戦死者1600万人なのに対して、スペイン風邪による死者は1億人を超え、戦争を収束に向かわせたのはスペイン風邪だったというのも皮肉な話です。

今回も過去のウイルスとの闘いから、この天敵について考えてみます。

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2020.03.19

知っておきたい感染症との闘いの歴史~次のパンデミックを防ぐために

ペスト、天然痘、結核、コレラ――人類が歩んできた失敗と成功の長い道のりがあります。公衆衛生対策は発展してきましたが、現在は気候変動や動物とヒトとの交流の増加などの要因が、感染症の蔓延に拍車を掛けています。

感染症は避けられません。ただし、それがパンデミック(世界的流行)となり、国境や大陸さえ越えて制御不能なレベルにまで広がるかどうかは、対応の仕方に左右されます

パンデミック化を後押しするのは、高速の移動ネットワークの存在と高い人口密度です。どちらも昔は珍しい条件でしたが、今では地球上どこにでも存在します。

いつの時代にも新たに登場する感染症の最大の特徴は、不確実であることです。どれだけ広がるかは専門家にも分かりませんし、感染力や致死率は、地域の人口構成や感染症への対応策、感染者が受けられる医療の質などによって、いくらでも変わります。

新型コロナウイルスへの今後の対策を考える上で、歴史に刻まれている感染症への対応を振り返ることには意味があるでしょう。過去の例を検証すれば、新型コロナウイルスへの対応策が賢明かどうかを判断するヒントになり得るからです。

感染症の発生は、動物からヒトに伝染する「人獣共通感染症」によって引き起こされます。種の壁を越えて病気が伝染するのは、相当の対人接触を経た末のことです。

歴史を振り返っても、その過程にはかなりの時間がかかっています。例えばマラリアが非ヒト霊長類からヒトに感染するまでには、数千年の年月が過ぎていました。

しかし過去50年に限っても、300以上の病原体が新たに出現(または再出現)しています。それに加えて、気候変動や砂漠化、動物とヒトとの交流の増加、不十分な医療制度といった要因が感染症の蔓延に拍車を掛けているのです。

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2020.03.12

サルから人類へ、その分岐点となったのが自然を捉える追求力、対話の力~「自然は何を我々に期待しているのか」

人類がサル(オランウータン)から進化した最大のポイントは観念を生み出したという事だ。

木から落ちた(登れなくなった)カタワのオランウータンがいきなり人類になったわけではない。カタワのオランウータンの時代に洞窟に隠れ住み、生きながらえた時代が100万年ほど続き、その延長の中で歩行訓練、共認機能を通じての親和共認、性充足、その先に最大の外圧である自然外圧を自然現象として捉え、その過程で大自然の力=精霊を措定する事ができた。それを観念原回路という。前回の実現塾でも観念原回路についての議論が少しだけ為されたが、本格的には4月から始まる次の実現塾からになる。非常に楽しみではあるが、今回事前にこれまでるいネットで投稿されてきた観念についての投稿を復習しそれに備えておきたい。

また前回の実現塾では観念原回路の発生を以下のように扱った。次回はその続きとなる。

極限時代の人類は洞窟に隠れ住み、極限的な飢餓の中でそれでも毎夜、決死行で洞窟を飛び出し骨や死肉、草や根子のわずかに食べられる食料を探し出し生きながらえた。本能では既に対応できない為、サル時代に獲得した共認回路を使って自然をひたすら注視した。
自然に語りかけ、自然は何を我々に期待しているのか、どういう役割があるのかを考え続け、恵みを得ると共に感謝の念で自然と一体化する追求を続けた。風、雨、地震、火山活動など驚異的な大自然に対して人類は“生命力の塊”を感じ取った。この力を生み出している相手は誰なのか、ひたすら対話を続け、見えてきたのが精霊の存在だ。この世の全ての力、恵みを生み出しているものが精霊、自分たちをはるかに超えた超越の者。感謝と畏怖の念で対峙した。
自然の力を少しでも自らの中に取り込みたい、その一心が精霊信仰、さらには縄文土器の渦巻きに見られる宇宙の力。本能や五感を超えた予知、それを表現する感覚言葉、それがクルクルやピカピカといった最初の擬態語を生み出し、やがて観念機能としての言葉が登場する。

これら一連の追求が数百年、数千年と続き、単語にできないような超越的な存在を捉えるようになり脳は拡大、オランウータンから原人へと進化した。つまり人類が獲得した言語とは単なる対象を表す単語ではなく、対象を捉える為の見えないものを見えるようにする力だったのではなかろうか。感謝や肯定視、祈り、それらを全て動員して、見ることができたのだ。だから、精霊とは肯定視であり、感謝そのものなのだ

下記は4年前にるいネットで投稿された言語の進化1~3の記事の全文紹介です。ここに観念誕生前夜の意識が書かれています。
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【言語の進化】1.言葉は、みんなで、答えを追求するためにある。その中身を、みんなに伝えるためにある。

動物の鳴き声は、みんな(or相手)に、何かを伝えるためにある。伝えたい内容は、主に危険や餌の発見、あるいは威嚇や発情である。
人類の言葉も、みんなに何かを伝えるためにあるように見える。しかし、実は人類の言葉の生命は、伝える手前の追求の過程にこそ宿っている。即ち人類の言葉は、みんなで考える(答えを出す)ためにある、従って当然みんなに伝えるためにあるという二重性を持っている。大事なのは、言葉を発する前にある伝えたい答え=何らかの意識or認識である。
それに対して、考えるまでもない危険や餌の情報をみんなに知らせるのは、サルと同じように鳴き声で充分だっただろう。

このように人類の言葉は、その伝えたい内容が明らかに動物の鳴き声とは異なっている。それは、人類が追求し続けてきた内容(→言葉として発信したい内容)が、本能や五感で捉えられる対象を超えた超感覚的な対象であったからである。
人類は、足の指が先祖返りして樹上に棲めなくなったカタワのサルであり、想像を絶するような極限的な生存環境の下で500万年に亘って洞窟に隠れ住み、奇跡的に生き延びてきた動物である。
洞窟時代、人類の意識の最先端にあったのは、原猿が共認機能を形成していった始原の意識とほぼ同じ意識内容であっただろう。即ちそれは、不整合な世界を前にして生じた「どうする?」という課題意識だったと考えられる。
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【言語の進化】2.追求充足回路=観念原回路の形成
人類は生存力を強化するために、直立歩行の訓練に励んだが、日々の歩行訓練は踊りのトランス状態へと昇華され、更に日々の性充足へと昇華されていった。これは、同類闘争という不整合な世界に直面した原猿が、縄張りを確保できずに親和充足へと後退して、共認機能を形成していった過程と同じである。絶望的な状況に置かれた人類にとって、この踊りと性の充足こそが、生きてゆく最大の活力源となった。

しかし、解脱充足は活力源と成っても、それだけでは生存の危機→「どうする?」の答えにはならない。相変わらず、生きる為には洞窟を出て、決死行に身を挺さなければならない。従って、不整合な自然世界を前にした「どうする?」という課題共認とみんな追求は連綿と続けられたが、おそらく、それは踊りや性充足の後の半トランス状態で行われたであろう。
こうして、「どうする?」に始まる追求(という課題)共認と追求充足によって、徐々に追求充足回路=観念原回路が形成されていった。

この観念原回路には、現代人が失って終ったものが二つある。
一つは追求回路の根っこに接続していた宇宙と一体化したトランス感覚である。
とは云え、トランス感覚の更に根っ子の共認充足回路は、もちろん現代でも確り追求回路に接続しているし、何よりも根本の適応本能(=秩序化本能=論理整合性を形成する根元)は追求回路に直結している。
もう一つは、洞窟の中で研ぎ澄まされた感覚機能が追求回路の先端に接続していたことであるが、もちろん現代でも追求回路が感覚機能に接続しているのは言うまでもない。
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【言語の進化】3.人類最初の観念は「精霊」。「精霊」こそ、観念の原点である。

      歩行訓練→踊り→性充足(闘争から解脱充足へ後退)
↑     ↓  ↓  祈 り→感謝
↑     ↓  ↓  ↑ ↓ ↑
どうする? → トランス状態で追求→精 霊→何?→何で?

恒常的に生存の危機に晒されていた人類は、唯一の武器である共認機能に先端収束して、不整合な自然世界に問いかけ続け(=対象を凝視し続け)、その果てに遂に自然の背後に「精霊」を見た。人類が万物の背後に見たこの「精霊」こそ、人類最初の観念である。
しかし、観念そのものは、単なる記号にすぎず、それ自体は意味を持っていない。観念≒言葉の意味は、もっぱら言葉を発する前の追求回路=観念原回路の中にある。
換言すれば、観念回路そのものはデジタル回路にすぎない。それは、本能や共認機能を動員して形成されたアナログな追求回路(=観念原回路)に直結して、はじめて意味を持つ。重要なのは、言葉ではなく、言葉以前の伝えたい内容=何らかの意識なのである。
従って、受験勉強のように、「どうする?」発の根源的な追求回路を駆動させることなく、観念回路だけを作動させても、単なる知識としての観念が蓄積され、暗記脳が形成されてゆくだけで、そんな観念は使いこなすことが出来ないし、現実には何の役にも立たない。
なお、万物の背後に「精霊」を見るのも「物理法則」を見るのも、共に五感を超えた認識機能=観念機能の産物であり、五感対象の背後に措定した観念であるという意味では基本的に同じ認識である。

人類が最初に見た「精霊」は、おそらく生命力の塊のようなものだったろう。
しかし、それが言葉として発せられた時、おそらくその言葉は「ぴかぴか」とか「くるくる」というような擬態語だっただろう。そして、その擬態語には、生命の躍動感が込められていたに違いない。
人類の最初の言葉が擬態語や擬音語であったことは、乳児が発する言葉からも、又(最後まで侵略による破壊を免れた)縄文語→日本語に残る擬態語・擬音語の多さからも伺うことができる。

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2020.03.05

足の指が先祖帰りしたカタワのオランウータン~その後人類へとどのような道筋を辿って進化したか

人類の祖先はオランウータンである。これは以前リンクで紹介した。
今回は樹から落ちたオランウータンがその後どうやって現人類へ進化したか。さらに人類へと進化した私たちの祖先はどのようにして観念機能(言語機能)を生み出したのか
観念機能の登場はまだ仮説でしか提起できないが、このオランウータンから人類への進化の完成は巨大化した脳にあり、観念機能の獲得によってそれらは生み出された事は間違いない。

 【樹から落ちたオランウータン】
約300年前~400年前、スンダランドのどこかでオランウータンの突然変異が起きた。
樹を掴む為の足が先祖帰りして掴めなくなる。オランウータンの生態はその殆どを樹上で生活していたが、地上を歩けないわけではない。ただ、ゴリラやチンパンジーのようなナックルウォークは使えず、地上に降りてもよちよちと2本足で歩くだけの機能しか持ち合わせていなかった。
なぜ突然変異が起きたかは判らないが、急激な気候変動か火山爆発で樹上が生存できなくなる期間があったのかもしれない。地上を歩くオランウータンが登場し、彼らはやがてかつての機能=「足」に先祖返りする個体が定期的に発生するようになった。

ただ、それでも強い雄(ボス猿)は残っている樹上に移動し、先祖返りした足で地上で生きながらえたのは弱雄より非常に競争率が高く保護される対象であったメスであった可能性が高い。地上に落ちたメスを樹上ではメスが獲得できない弱雄達が保護し、生殖をしていく。
つまり最初の地上に降り辛うじて適応したオランウータンはメスであり、メスとその子供が生きながらえたのは弱雄達の集団のおかげだった可能性がある。

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2020.02.27

知能とは何か?~オランウータンの子育てにそのヒントがある。

今回は類人猿・人類が持つ知能の話をしてみたい。

類人猿(チンパンジー、オランウータン、ゴリラ)及び人類は知能という他の動物にはない特徴を持っている。もちろん他の動物も知能はゼロではない。イルカやオウム等、人間の言語に近い発信をする動物も居る。また犬に至っては感情や心情が人と相似しており古くから親和対象の動物だぅた。
私たちは知能というと頭の回転の良さや記憶力、判断力、知識、思考力などをイメージするが、類人猿から人類に至る際にどのように知能が発達していったかを見ると知能のその本質を知る事ができる知能とは一言で言えば親和機能の延長であり、母子の間で育まれた同化機能、共感機能、一体化機能こそ知能の出発点になっているのだ。

なぜならば知能の最も基礎になる言語能力とは赤ん坊の時に母親と同化、一体化する中で見様見真似で発音を覚え、発音して相手と気持ちが繋がる事で心地よい、嬉しいという感情を得る。その繰り返しの中で誰でも言葉を習得し会話ができるようになっていく。

つまり知能とは真似が始まりなのだ。

さて、この事を知ったのはつい最近。実現塾でオランウータンの特徴とその後、オランウータンが人類へつながったというくだりの中で語られた。少し長くなるが、オランウータンがなぜ知能を獲得する事ができたのか、について追いかけてみたい。

樹上は原猿から進化したオナガザルの天下だった。その中で同じく原猿から進化したテナガザルは縄張りを獲得できず、軽量化してオナガザルが来ない樹冠の食料を確保することで適応した。樹冠は縄張りが狭く個体数を増やすと種として生存できない為、個体数を抑え、逆に出産した子供を確実に成体に育て上げる為にメスは授乳期間を2倍に延長した
類人猿はいずれもテナガザルから進化している。いずれもテナガザルからさらに授乳期間を延長させ、ゴリラ、チンパンジーは4年、オランウータンは実に7年まで授乳期間を延ばすことになる。この7年は人類の授乳期間(長くて2年)よりはるかに長く、オランウータンのメスと子供の関係がいかに密着して一体化していたかを容易にイメージできるだろう。因みにオランウータンの脳容量は400CCあり、人間の4歳ぐらいの知能を持っている。チンパンジーにできる事はオランウータンもほぼ全てできる。(真似行動、季節を感じる、簡単な道具を使う、水を掬って飲む)

※人類の授乳期間は短くなったが、逆に人類の(集団で育てる)子育て期間はオランウータンよりさらに延長させ、12歳ぐらいまでは成体にならず子ども期間は延長された。

このように授乳期間の延長と知能の発達は連動しており、この母子の子育て期間の間に知能が育まれる事は間違いない。そこで行われるのは赤ん坊が母親に同化、一体化し転写回路(ミラーニューロン)を使って真似をする、同化して真似をする、それが知能の原点(ベース)にあるのではないか。この知能の原石がやがて共認機能となり集団や社会の中で複雑な情報を処理して生きていく共認動物となっていく。未知への追求やどうする?を考える上で共認充足が何よりベースにあり、その大元には親和充足、一体化が不可欠であり、親和や追求仲間の存在は私たちにとって母親同様に極めて重要な存在なのだ。

類ネットの本田さんの投稿の中に以下の記述があり、それを表現している。
>子育て期間は、人類>類人猿>真猿>原猿>一般哺乳類>魚類。ここから推測できるのは、知能を司る共認回路は生後の子育て期間中に完成するということ。
(中略)
共認回路は、その様な微妙で複雑な同類の情報を対象としているため、生後に母親を対象として、脳回路の繋がりを形成し、その後、仲間などを対象にしてさらに脳回路の繋がりを進化させていく。この期間がおおむね子育て期間で、この間で共認回路の接続の基本形ができる。ちなみに、人間でも、出生時には大量の未接続の脳神経回路を持っているが、そのつながりが概ね決定していくのが思春期の終わりくらいになる。それ以降も、つながりの変更は年をとっても繰り返されていくが、これは主に、観念回路だと思われる。
そのため、三つ子の魂百までということわざがあるように、言葉のしゃべれない赤ちゃんの時の脳回路の基本部分(共認回路)が、うまく母親を外部対象として捉え、その把握に必要な回路接続ができない場合は、大人になってもズレっぱなしで修復できなくなる。
このように、共認回路は膨大で微細な情報に対応しているため、本能回路に比べてその処理能力は飛躍的に高くなる。この能力を知能と呼んでいる。また、出産前に形成されるDNAに依存する本能回路に比べ、はるかに個別・現在形の外圧を対象としているため、適応精度が高く変異能力も高い、とういう関係にある。

次に、オランウータンよりはるかに知能進化した人類は、どのようにして(何を契機に)進化することが出来たのか、いかなる必然性があったのか、それは人類がなぜ観念機能を獲得したかにありそうだ。次回の実現塾では人類にテーマが移行するのでそこでの議論をベースにこの続きが書けるのではないかと思う。お楽しみに。

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2020.02.20

明治維新で人々は幸せになったのか?

明治維新によって、日本は開国し、近代化の道を歩み、豊な社会の礎を築いた。

と、教科書にはうたわれ、現在国民のだれもが信じて疑わない

しかし、歴史には勝者と敗者が存在し、正史はことごとく勝者の目線で語られ、真実は歪曲され、都合のわるいことは黙殺されるのが現実だ。

日本書記が藤原不比等によって歪曲されているのと同じである。

では、明治維新とは何だったのか?

前回紹介したように、維新に獅子は実はテロリストであり、尊王攘夷は討幕のためのスローガンに過ぎず、実際維新政府は攘夷などは行わず、幕府が敷いた開国路線に乗っかって富国強兵にまい進したのである。

今回は、明治維新によって、本当に国民は幸せになったのかという視点で、明治維新を再考してみたいと思います。

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2020.02.13

海洋シリーズ第4回~現在知られている編み方の殆どが、7500年前には成立していた(それも漁労から派生)

リンクリンク、リンク

に続く海洋シリーズです。
日本人は海洋民的な特性を色濃く備えておりそれは交易や産業という形で既に縄文時代前期からかなり高いレベルで加工工場、生産専門集団を作っていた。また今日私たちの生活に密着している編み物とは漁労の網が起源になっていた。既に非常に複雑な編みの技術が7500年前の縄文前期には完成していたというのは驚きだ。

以下、http://www.max.hi-ho.ne.jp/sundaymorning10/16a1index.htmlから紹介。

縄文時代を正しく評価する為には、縄文人は海洋民族だった事の認知が大前提になるから、この項でそれを確認する。中国の歴代史書は、「倭人は海の彼方から来るが、中国人は倭人の島が何処にあるのか知らない」と指摘しているから、縄文人と倭人が海洋民族だった事は誰の目にも明らかだが、史学者はそれを無視し、縄文人は日本列島に閉じ篭って原始的な生活をしていたと主張している。

■籠を編む多彩な加工技術は、縄文早期に成立していた。
下のページは「さらにわかった縄文人の植物利用」 国立歴史民俗博物館編 新泉社 85ページの転写(クリックすると鮮明になります)
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 現在知られている編み方の殆どが、7500年前には成立していた。 東名遺跡(ひがしみょういせき)は、佐賀県佐賀市の7500年前(縄文早期)の低湿地にあり、太平洋が湿潤化して気候が安定し、海進が終了した頃の遺跡。遺体のタンパク質同位体分析により、陸上植物を主食とし、魚介類を副のタンパク源とする食生活だったと推定され、漁民と共生する縄文人の遺跡だった事を示している。
矢尻の材料には鬼ノ鼻山(佐賀県多久市付近)産のサヌカイトが主に使用されたが、腰岳(佐賀県伊万里市)産の黒曜石も出土し、交換の広域化が進んでいた事が分かる。出土した精緻な加工品は網籠だけではなく、鹿角を素材とした装飾品や、櫛(日本最古)も発掘されている。
この様な多彩な編み方を考案したのは、交換価値を高める為だったと考えられ、交換品に付加価値を付ける意識、即ち商品意識が生れていた事、それが競争的に行われていた事を示している。この地域が籠編み技術の発祥地だったとは考えにくいから、7500年前の日本では既に商品意識が芽生え、この様な技術が日本全域に広がり、競争的にその技巧が使われていたと考えるべきだろう。この様な技巧は、縄文人が漁網や魚籠を製作し、それを漁民に供給していた結果として生まれた可能性が高く、これらの技法から漁網の進化を類推する必要がある。
※私の意見:この記事では商品意識とかかれているが、これは現在の貨幣経済の商品意識と異なり、贈与や交換品としての商品であったと思われる。
当然利益を得る為ではなく、技術を伝える為、広げる為、共有するためであった。そのエネルギーは現在の企業の商品開発と同様あるいははるかに高いものだとったと思われる。この交易ネットワークこそ漁労民たる縄文人の資質であろう。

■新潟県大角地(おがくち)遺跡(7000年前頃:早期末~前期前葉)のヒスイの加工工場

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大角地遺跡は、糸魚川市の姫川河口に近い海岸にあり、海岸で採取できる蛇紋岩から、磨製石斧を製作する工房だった
蛇紋岩は磨製石斧の素材として最も好まれ、完成品10点に対して未完成品が133点出土したから、交易用に石斧を製作する工房だったと推測される。 この遺跡から長野県産の黒曜石も出土し、異種の石製品の、産地間交易が行われていた事を示している。近くの海岸でヒスイの原石を拾う事ができただけでなく、近くの山に滑石もある。 大角地遺跡から、滑石で作った玦状耳飾りなどの石製装身具だけでなく、その加工途上品が多数出土し、磨製石斧と装飾品を作る工房だった事を示している。この時代には、硬いヒスイは製品にではなく、加工用の道具として使っていた。
1kmほど離れた所に、縄文中期の磨製石斧の大工房だった寺地遺跡がある。寺地遺跡では、工房に使用した竪穴住居7基が発掘され、そこからヒスイ製の玉類も発見され、ヒスイの加工も行っていた事が分かった。 新潟県南部や富山県東部には、蛇紋岩やヒスイを加工していた縄文遺跡が多数あり、この辺一帯は、それらを製作する産業地帯だった。

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2020.02.06

明治維新の美談はウソだらけ! テロやり放題でも「正義」だった黒歴史

「降る雪や明治は遠くなりにけり」は1931年に中村草田男が詠んだ作の一句です。明治維新から63年が経っていました。この年、近代化の象徴である鉄道網計画の中であった清水トンネルが9月に開通しました。このトンネル開通は戦前の国定教科書にも取り上げられました。このトンネルは川端康成の『雪国』の冒頭のトンネルのモデルになったともいわれています。

こういった近代化の一方で同じ9月に柳条湖事件と呼ばれる鉄道爆破事件が日本の関東軍の謀略によって引き起こされました。満洲事変の勃発です。この年は軍国日本の侵略・拡張主義が前面に出てきた年にもあたります。

草田男は当時の日本のきな臭さ、息苦しさを感じて、明治の健全だった(と思われている)精神を懐かしみ、それが失われていくことを嘆じたのでしょうか。

こう回顧される明治を作り出した明治維新はどう考えられていたのでしょうか。

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2020.02.06

筏は古代特有の船舶ではない。その後の遠洋航海や物資運搬にも活用されてきた、さらに現代でも使われているスグレモノ

以前、本ブログで投稿したが、再びいかだの話について書きたい。
人類は数十万年前から竹を素材に筏を発明し、スンダランドから各地に島伝い、沿岸伝いに拡散したと書いた。しかし筏は所詮、初期の海洋技術でその後丸木舟や板舟を用いた大型船舶にとって代わっていったと考えられているが、実はこの筏、その後もかなり長い期間航海術の中心に存在していた。そして現在でも世界では筏を使っている地域が多く残っているそうだ。また、かなりの遠洋航海を筏で実現していた、それは筏が物資や大集団を運ぶ上で非常に有効であったからである。あの有名な徐福も筏で日本海を渡ったという説もある。

以下、著書「海から見た日本人」の中からいつものように抜粋投稿したい。
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孔子が当時の社会に悲観し、「筏に乗りて海に浮かばん」と嘆いたのは有名であるが、宮本常一は竹筏を重視し筏をつくる真竹も稲とともに入ってきたと考えている。たとえば「宋書」によると5世紀ごろ朝鮮半島の百済は「小さな筏を大海に浮かべ、珍宝を携えて朝廷に見えた」とある。民俗学者出口晶子によると筏は朝鮮半島も含め、東シナ海では極めて一般的な舟であった。稲作の故郷とされる長江流域では今日まで竹筏は渡河のもっとも便利な手段であり、観光化もされている。

日本神話ではまだ日本の島々が存在せず海しかなかった原初のとき、イザナギ、イザナミが天浮橋に乗って海をかき回したと言われる。ハシとは水上でつなぐ道具という意味であり、転じて水上を運搬する道具を指し、具体的には筏のことであったろうと船舶に詳しい松枝正根は推測している。アメノウキハシは天孫ニニギミコトが高千穂に下るときにも使われていた。これに似たものにスサノオミコトが用いていた浮宝(ウキアダ)がある。この意味は宝物と珍重した舟が水に浮いたような状態を表現したものと思われる。ハシが単層筏であり、ウキアダは波よけなどをつけた複層筏である点が異なるという。

さて、日本の近隣では台湾や中国大陸南岸からベトナムにかけてセンターボールドをつけて帆をはった世界的に見ても最も外洋航行能力の高い竹筏が存在した。この種の筏が存在するのは台湾海峡と遠く離れたエクアドルくらいである。

最近水中考古学者のBブレッチャーは再び竹筏に注目し、ベトナムのドンソン型銅鼓に描かれる舳先の高く反った船は筏であろうと推測している。銅鼓をインドネシアのスンダ列島を通ってニューギニアまでもたらしたのも筏であるというのである。類似の船は中国雲南省出土の銅鼓にも描かれている。台湾海峡には海洋航海用の竹筏が存在するから、もし銅鼓の絵が竹筏なら、筏は有力な運搬手段の一つであったことになる。因みに台湾ではマダケに代わって上下水道管などに使用する塩化ビニール式パイプを並べて作った筏がエンジンを付けて大型漁船として使われている。一見原始的な筏という原理の常識を打ち破る事実である。

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