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知っておきたい感染症との闘いの歴史~次のパンデミックを防ぐために

Posted By tanog On 2020年3月19日 @ 9:55 PM In ⅩⅠエトセトラ(その他諸々) | No Comments

ペスト、天然痘、結核、コレラ――人類が歩んできた失敗と成功の長い道のりがあります。公衆衛生対策は発展してきましたが、現在は気候変動や動物とヒトとの交流の増加などの要因が、感染症の蔓延に拍車を掛けています。

感染症は避けられません。ただし、それがパンデミック(世界的流行)となり、国境や大陸さえ越えて制御不能なレベルにまで広がるかどうかは、対応の仕方に左右されます

パンデミック化を後押しするのは、高速の移動ネットワークの存在と高い人口密度です。どちらも昔は珍しい条件でしたが、今では地球上どこにでも存在します。

いつの時代にも新たに登場する感染症の最大の特徴は、不確実であることです。どれだけ広がるかは専門家にも分かりませんし、感染力や致死率は、地域の人口構成や感染症への対応策、感染者が受けられる医療の質などによって、いくらでも変わります。

新型コロナウイルスへの今後の対策を考える上で、歴史に刻まれている感染症への対応を振り返ることには意味があるでしょう。過去の例を検証すれば、新型コロナウイルスへの対応策が賢明かどうかを判断するヒントになり得るからです。

感染症の発生は、動物からヒトに伝染する「人獣共通感染症」によって引き起こされます。種の壁を越えて病気が伝染するのは、相当の対人接触を経た末のことです。

歴史を振り返っても、その過程にはかなりの時間がかかっています。例えばマラリアが非ヒト霊長類からヒトに感染するまでには、数千年の年月が過ぎていました。

しかし過去50年に限っても、300以上の病原体が新たに出現(または再出現)しています。それに加えて、気候変動や砂漠化、動物とヒトとの交流の増加、不十分な医療制度といった要因が感染症の蔓延に拍車を掛けているのです。

Newsweek https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/03/post-92625_3.php [1]より

欧州に衝撃を与えたコレラ  

通常であれば感染症の発生は、検疫や隔離、予防接種といった対策によって抑えられている。この対応は単一の病原体に的を絞ったものだ。

この方法が取られた最初の例はペストだろう。ペストは、クマネズミに寄生したノミから主に感染する細菌性疾患だ。感染率が高く、発症すると苦痛や手足の壊死などをもたらし、患者は通常3日以内に死亡する。

致死率は約7割で、死者が増え過ぎて埋葬する人手が足りなくなることもあった。1347年に発生して17世紀まで続いた第2次パンデミックでは、当時の世界人口の4分の1に当たる約1億人が死亡した

このときのパニックの広がりを受けて、その後数世紀にわたる公衆衛生上の施策の原型が生まれた。水際対策や軍隊による検疫、さらには都市や国全体を隔離する「防疫線」が導入された。

保健当局は疑われる症例を戸別訪問で割り出し、感染者用の施設に強制収容。安全な対人距離を保つために約1メートルの棒を持ち歩く「社会距離戦略」が推奨された。

18世紀のヨーロッパや南北アメリカでは都市化が進んで人口密度が高まり、ヒトだけが感染するウイルス性疾患の天然痘が流行した。感染者の3分の1が死亡し、助かっても顔などに後遺症が残った。

1796年にイギリス人医師のエドワード・ジェンナーが種痘法を開発。1800年代以降、集団の免疫力を高める新しい公衆衛生対策が提供された。

19世紀初頭には、伝染病という考えが広まった。死亡原因のトップは結核だったが、最も恐れられていたのはコレラだ。感染すると下痢や嘔吐に襲われ、数時間で命を落とす。コレラがヨーロッパに広がると、これを「アジアの病」と考えていた人々の間に衝撃が広がった。

コレラの蔓延によって、病気は汚物から感染するという理論が広まった。上下水道などを整備して汚物を除去し、病気を予防しようという考えは、死亡率の軽減にはつながったが、病気の原因そのものへの対処は後回しにされた

コレラの3度目のパンデミックが発生すると、これを不衛生な環境と貧困による病気と考えたがった外国人嫌いの西洋人はヨーロッパで蔓延することを恐れた。そこで彼らはイスラム教徒に罪を着せる

1851年の第1回国際衛生会議(ISC)で、フランスはメッカへの巡礼で盛んになった船旅を禁止しようとした。植民地の宗主国としての権限で、中東全域を封鎖することまで提言した。

公衆衛生の水準に関して社会の総意がまとまり始めたのは1892年のことだ。1869年にスエズ運河が開通して検疫の強化が必要となり、最初の国際衛生規則(ISR)が作られた。この規則は改定を重ね、各国政府に感染症などの拡大阻止を約束させる今日の国際保健規則(IHR)に発展する。

19世紀後半には、フランスの細菌学者ルイ・パスツールの特異病原体説が確立した。ドイツ人医師ロベルト・コッホによる結核菌とコレラ菌の発見、ハンガリー人医師イグナーツ・ゼンメルワイスによる消毒法と手洗い法の開発を受けてのことだ。

そこで熱帯医学という分野が生まれ、文化的・思想的覇権の道具に仕立てられた。それまでは植民地化を阻む障壁となってきた数々の病気がほぼ克服され、欧州列強は熱病の危険地域の中で安全な居場所を確保できるようになった。

ヨーロッパと北アメリカでは、都市部の暮らしを改革する衛生管理が進んだ。安全な水の供給、衛生設備、ごみ収集、下水処理、換気など、公衆衛生プログラムが実施された。

疾病管理に国際政治の力学が

その後WHO(世界保健機関)の設立に向けて1946年に採択されたWHO憲章は、健康を「病気や病弱でないだけではなく、肉体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であること」と定義した。「病気ではない」というだけのISCの定義からの大転換だった。

この年にニューヨークで開かれた国際保健会議は、WHOの使命をこうした前向きな展望に沿って定めた。単に予防接種などを行って感染と闘うだけでなく、食生活の改善や体育指導、医療、医療保険といった分野にも積極的に関わることになった。

だがこの新構想は、同時に始まった冷戦に阻まれる。アメリカとソ連は疾病管理にも国際政治の力学を持ち込んだ。この状況下でWHOは、もっぱら医療と科学の技術向上に的を絞った活動を行うようになる。

今も国際的な対応は、「欧米諸国にとって脅威となる疾病」に偏っている。マラリアやコレラ、結核など、流行する地域は狭いものの多くの人命を奪う病については、対策資金も少なく注目度も低い。

世界的に感染が拡大するかどうかは、国際協力の程度に左右される。新型コロナウイルスへの対応も例外ではない。

先進国には最新の検査設備と最高の医療があるが、他の多くの国には適切なヘルスケアもない。西洋社会が疾病管理に固執してきたせいで、基本的なヘルスケアの確保はおろそかにされてきた。

パンデミックは人類にとって最大の脅威だ。そして最大の課題は、これを防ぐという強固な意思を人類全体が共有することだ。

 


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