2021.08.10

「美化されすぎた明治維新」~明治維新以後150年の歴史が大きな節目を迎えている~

戦後の国民作家である司馬遼太郎氏が創り上げた<明治維新の夢>から目を覚ます時を日本人は迎えている。元スタンフォード大学の西 悦夫氏が「誰も知らない明治維新の真実」という講演で明治維新の真実を暴露したり、原田伊織氏の「明治維新の過ち~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~」という本が出版され、結構売れているのもおそらく、そんな時代の大きな変化の現れである。

そう言えば小栗上野介忠順の甥である蜷川 新氏の「維新正観」という名著も本年、再刊されたようである。知ろうと思えば、本当の事を知ることのできる環境が整ってきたということであろう。まだ、一方でNHK大河ドラマ「花燃ゆ」のような明治維新勝利者側の官製プロパガンダドラマも相変わらず放映されていたが、間違いなく日本の長い歴史から考えても現在、日本は大きな節目を迎えていると考えていいだろう。私たちは、平安時代の藤原氏の摂関政治でも150年ちょっとしか続かなかったことを思い浮かべるべきなのだ。明治維新以降の現在まで続く藩閥政治もちょうど150年、そろそろ幕引きの時を迎えている。明治維新の時はイギリスと、戦後はアメリカと取引している。

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2021.08.05

命とは何か。死とは何か?霊的エネルギーを預かってお返しする。私達は生きているのではなく、生かされている。

命の考え方、死の考え方、そしてなぜ私達は生きているのか、何のために生きているのか、その考え方は砂漠の中の価値観を持つ西洋人と湿潤で豊かな自然の中で生きた東洋人、とりわけ日本人とは180度異なる。この差を善悪として考えるのではなく、今世界中がコロナで命を落とす人が多い中、生も死も身近なものとして私達に問いかけてくる。

日本人の持つ死生観は独特なものがあり、それが生命原理、自然の摂理に乗った非常にしなやかな考えを持っていることだけは注目に値する。
下記に紹介する論説は「命は何よりも大事」という今最も言われているこの言葉を中心に展開している。ただ、本意は命より大事な命とは死しても残る霊的エネルギーの事であり、おそらく自然界の中心にある精霊の命のようなものなのであろう。私達はその精霊から命を預かり、また精霊にお返ししていく。

今回はブログ「風の旅人」さんから紹介します。2020年6月に投稿された記事です。

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今回のコロナウイルス騒動で、強く感じた違和感。「命は何よりも大事」という時の”命”とは一体何を指しているのかということ。
 生命尊重という言葉を使っていると、現代社会においては、まず誰からも非難されることはなく、腹の中で何を考えていようが、良心のある人徳者としてふるまうことができる。 しかし、生命尊重の”生命”が指すものが、単に肉体的なもの、すなわち物質的なことにすぎないとすれば、それこそ死んでしまえば何もならないということになり、それは大きな意味で”生命”の意義を貶めていることにならないのだろうか。
 人は必ず死ぬ宿命だけれど、30年より60年、60年より90年というカレンダー上の長さ、つまり物資的なスケールが生命の重みを計る基準だとすると、何か救いようのない気持ちになる。その基準は、どれだけ多くのお金を稼いだか、どれだけ立派な肩書きを得たか、どれだけ大きな家を建てたかなどの物質的なスケールの基準が、人間の幸福を決定するという考えと重なっている。
 しかし、いくら努力しても人間は万能ではない。自らの努力とは関係なく、容赦なく過酷なまでの宿業を背負うことがあり、そのことによって物質的なスケールにおいては乏しい人生になってしまうことだってある。その場合は、価値のない生命ということになってしまうのか

 この不条理の問題について、人間ははるか古代から考え続けてきた。
 生命の定義を物質的な側面だけに限定してしまうと救われないし、やりきれない。そして冷静に自然界を観察していると、たとえばミツバチの働き蜂は、短い一生を、自分が産んだわけではない子供を育てることのみに捧げるし、倒木の幹からは新たな芽が育っており、生命が個体の物質的な限定を超えて他へと繋がっているケースを幾らでも確認できる。ならばきっと人間だって同じだろう。特定の宗教が説くように、たとえ肉体が滅んでも、あの世で魂が生き続けることができるというビジョンも救いになる場合があるが、この世とあの世の二つに分けなくても、一つの世界のなかで、自分の生が何かしらの形で他の生につながっている。そして、そのつながりは、生命を育てる霊的エネルギーのようなものであり、霊的エネルギーを介して、個は他の個とつながっていると考えることだってできる。
 「命は大事」と言う時、たとえ物資的には滅んでも霊的エネルギーは存在し続け、その霊的エネルギーを介して他の個がまた新たな生をつないでいくという意味においての”命”のことでないと、個体としては必ず滅びることが宿命づけられている人間は、救われない。

 また、死んだ後の救いとして、死んでも誰か他の人の心の中に生き続けるなどという、死んだ後も自己承認欲に縛られたことである必要もない。
 肉体はあくまでも器であり、自分の身体が生きているあいだ預かっていた霊的エネルギーを、身体が滅んだ後は山や海にお返しする。その霊的エネルギーの循環に終わりはない。
 祖先を敬うという場合も、自分と血縁のつながった特定の誰かを指すのではなく、霊的エネルギーを循環させ続けてきた万物全体のことを指している。

 自分の祖先が歴史上活躍した人だとか、そうでないとか、そういう人間に限定された世俗的な問題ではなく、祖先の口から入ってお尻から出ていった循環物全てに対する崇敬が、本当の意味で、祖先を敬うということだろう。

 生きているのではなく生かされているということの納得感は、そういう霊的エネルギーを預かって、お返しするだけであるという認識を自然に持てた時に得られる境地なのだろうと思う。

  人間の生命観は、生きている風土による影響が大きい。
 乾いた砂漠の中で育まれた世界観と、湿潤な森の中で育まれた世界観は異なる。
 コロナウイルスの騒動の中でも、しきりに”科学的な分析と判断と対応が必要”という言葉が聞かれた。現代社会において、科学は、もはや一種の権威装置であり、それに抵抗することは簡単ではない。しかし、現代人が圧倒的に信頼を置く科学というのは、西洋文明の科学のことであり、西洋文明というのは、古代ギリシャ文明とキリスト教の強力なタッグのもとに築かれている。

 第1級の科学者として尊敬されているアインシュタインやニュートンも、西洋人が信じる唯一絶対神が作った宇宙の法則を、古代ギリシャを見本とする理性と論理で解きあかそうとする精神の運動に従ったまでのことだ。アインシュタインやニュートンは、神はサイコロをふって決めるような曖昧さでこの宇宙を作ったのではないという強い信念を持っていたからこそ、その法則の解読のための努力が、唯一絶対神に対する敬虔さの証明にもなった。
 ”科学的”という言葉を使う時、そのことを忘れるわけにはいかない。もし、私が、ニュートンやアインシュタインが信じた唯一絶対神を、何の違和感もなく共有できるのであれば、そこから生まれた近代科学に、自分の生命観を委ねることに躊躇はない。
 しかし、審判において天国に行けるか地獄に落ちるかという二者択一の発想は、乾いた砂漠から生まれたコスモロジーとつながっている。砂漠の上で死んだものは、乾いた骨となり風に吹かれて消えていく。砂漠における物質の滅びは、孤独極まりなく、その孤独に耐えるための信仰が必要であり、そこから、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの旧約聖書を共有する唯一絶対神を仰ぐ宗教が発生した。

 日本には日本の風土があり、その風土から生まれたコスモロジーがあり、そこで育まれた生命観がある。
苦しい局面に立たされた時は、心の拠り所をそこに向けるしかない。

 万物は流転し、形あるものは必ず滅びる。そして、形あるものが存在しているのは、霊的エネルギーのようなものを一時的に預かっているからであり、それが終わったら、お返しするだけである。お借りした霊的エネルギーが帰っていくところは、それが帰っていきそうだと直感的に感じられるようなところであり、そのことが実証できるかどうかは大きな問題ではない。他の誰かからそう信じるように仕向けられるのではなく、自分が、そう感じられればそれが救いにつながるのだから。

霊魂は存在するかどうかと科学的に問われれば言葉に詰まるが、霊的エネルギーのようなものはあるだろうし、それがなければなぜこうやって生きていられるのか説明ができない。心臓が動いて血液を循環させて栄養と酸素を云々という機械論的な説明に、自分の生命を置き換えることの方が違和感がある。そういう機械論的な説明ですんでしまうのなら、胸が圧迫されるような悲しみなんか生じるはずがない。

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2021.07.29

実現塾という追求の基点→これからは追求の時代。

実現塾という追求の基点これからは追求の時代。いかに追求するか、どう流さないか、全ては構造認識で繋がっていくからこそ皆で追求は楽しいし前に進んでいく。

類グループ中心に1000人規模で参加し、ほぼ毎週開催している集いがある。
「実現塾」という場で、そこでは様々なテーマが追求される。現在追求が進められているのが「活力論」である。人間の活力構造と、自らの活力をどう上げるか、それが可能な社会をどう作っていくかという壮大なテーマ。私も毎回参加しているので、そこで“縄文“に絡んだ内容があれば欠かさずこのブログでも取り上げることにしている。ただ現在扱っている活力論は”縄文“だけではなくあらゆるジャンルや人に絡んでくる重要なテーマだ。そう考えるうちに縄文を追求するってどういう事かも少し見え方が変わってきた。歴史の追求だけではなく私達(現代人)に至る心の追求ではないか?認識の追求ではないかと思っている。

物や人は時間が立てば失われ消えていく。しかし絶対に消えないものが在る。それが認識である。価値観や捉え方、規範や生きる拠り所、少しづつ時代とともに変化しつつも絶対に変わらない芯のようなものは在るはずだ。祖先から代々、世代が繋がっていき語り継がれ、その時代の人々を作り動かしてきた認識群があるはずだ。

縄文を追求するとは「変わらない認識群を追求する」=そういう事だろう。
では認識とはなにか?一言では言えない部分もあるので今日はそこを扱いたい。
実現塾でどういう認識が語られたか?どういう認識が追求へと向かわせていくかを本ブログの記事の中からリアルに拾い上げてみたい。

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「人は何のために働くか・・・・⇒一体化充足するため」

自然の摂理をなぜ追求するかというのは究極的には万物と一体化するためにある。
そして前回の実現塾では ”一体充足こそ、生きることそのものである” と提起された。
(中略)
大人である私達は日々仕事をしているが何の為にしているのか。お金の為ではない、もちろん自分の為でもない、人の為でもない。さらに課題の為でもない。原点は赤ん坊の一体化欠乏にある。赤ん坊と同じで一直線に
「一体化するために課題(仕事)がある。」

 「右脳は生物的にも「予想外の刺激の感知への反応」⇒現代の未知課題の連続⇒右脳を開放することが可能性」

実現塾で右脳と左脳を扱っている。
この間、可能性として見えてきたのが充足と追求を求めて新しい事にチャレンジする右脳パワーである。
閉塞した現代、右脳を開放することが突破口であることは間違いない。逆に言えば学校教育の弊害とは決まった答えどれだけ沢山正確に覚えるかのルーチンワークであり、生物が本来持つ左右に分化した脳の機能を偏って使うよう強いてきた。
(中略)
どうすれば右脳が動くか開放できるかは、まずその本質である危機を察知し、非日常を直視し「なんで、どうする」を追求することだろう。そうすれば退屈な日常は消えていき、毎日がキラキラと輝く非日常が「追求すべき課題」という形で現れてくると思う。

「日本人の活力衰弱の元凶は「恋愛」にあり!」

今回も実現塾でのテーマを中心に記事を書きます。
先週の実現塾では日本人の活力衰弱、それも世界でダントツの原因と構造化を扱った。
(中略)
恋愛結婚から活力衰弱は始まった)
1970年代から始まった恋愛結婚が引き金になったのではないか?
恋愛結婚が核家族化を推進し、同時にセックスレスにもつながった。恋愛結婚の本質とはなにか?様々美化されてきたが、それらの美化観念を取り除けば本質は独占欲であり自我の塊である。自分たちさえよければよい、そういう価値観が恋愛結婚の本音である。さらにそれが子育てに転写され、子供は私有物であり管理する対象に転化した。
失われた母系社会)
もう一つは縄文体質の根本に集団原理があり、基本は母系社会であるということ。母系社会とは集団の中に直系の婆さん、母、娘が同居していることだ。さらにそれが連綿と続いていること。そこで子育て課題は集団という安心感の中で対応されていく。女の活力は集団の安心感に包まれて初めて充足存在として作られていく。逆に核家族や都市化は女の子育てを孤立化させ、不安を増大させ、故に充足存在の女の充足性は失われていく。自明と言えば自明である。

どうする・・・)
前回の実現塾ではそこまで詳しく扱われなかったが、上記の問題から以下を考えてみた。リンクへ続く

「縄文体質とは人類の本質である。」

我々日本人は実は世界の中である種、特異な存在として位置づけられる。何が特殊か、当ブログでも2003年に始まって依頼17年間に渡って縄文を追求してきたが、なぜ「追求すべきテーマか」の答えが前回の実現塾で提起された。世界中のあらゆる地域には歴史があり、文明があり、現在がある。日本も同様な経過を辿ってきた。しかし大きな根本的な違いがある。
大きな侵略戦争を経験していない。つい最近の第2次世界大戦を除けばではあるが。遊牧民族が定着していない。農業ですらこの1500年前にようやく定着した。
移民は存在するが、日本にくれば日本語をしゃべるようになり、やがて日本人に同化する。なぜ思考も含めて日本人になれるかは日本語に鍵がある。
そして最後が1万2千年間続いた縄文時代である。世界中が既に侵略戦争に巻き込まれる中、海を隔てた日本だけは長らく古代の本質が残り続け、その長い時間の中で日本語を通じて日本列島の東から西まで言語が通じる国家以前の民族性=縄文体質を生み出した。
(中略)
この対象と一体化し、充足しようとすることこそ人類の最大のエネルギー源であり何かを産み出す原動力になる。しかし、この力は誰でも持っている。赤ん坊が言葉を話すようになるのはこの一体化しようとして得られる充足を求めて必死に真似をするからであり、適応し生きようとするからである。
ただ、日本人がこの人類古来の本質を濃厚に温存させ、有事に出てくるとはいえ、そう簡単に物事は進まない。何より世界で最大級に活力がなく、やる気がない現状の日本人の意識を反転させるにはそれだけでは前に進まないのだ。人々を支配観念から脱却させ、新しい観念を生み出し植え付けていく、多くの先人が必要になる。このブログが今後追求していくフィールドはそこにあると考えている。

以上4つを紹介してみた。
その前に2020年の実現塾で扱った認識をダイジェストでまとめた記事もあるのでそちらも参照してみてほしい。
2020年上半期ダイジェスト「実現塾で扱われた様々な新認識」

このように実現塾で様々なテーマが同時並行で扱われる。この実現塾とは学校の授業や教科書とはまったく違う。テーマと基本認識が語られ、そこで得た認識を基点に参加者それぞれが追求していくこと、そこに意味がある。
小中学生から70歳を超える大人まで様々な老若男女が集い、自分の中にある潜在思念に照らし合わせ、隙間を埋めていく作業、参加した人たちと共にこれだと捉えた認識、それを自ら追求していく事、これが今最も新しい追求空間である「実現塾」という形である。
オンラインでも参加できるので、このブログを読んで、自分もその一人に加わりたいと思った人は希望してみてほしい。

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2021.07.23

人は何のために働くか・・・・⇒一体化充足するため

3回ほど前の実現塾で岡田議長から提起された以下の言葉は多くの示唆を含んでいる。
自然の摂理をなぜ追求するかというのは究極的には万物と一体化するためにある。
そして前回の実現塾では ”一体充足こそ、生きることそのものである” 提起された。
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観念機能とは何か?
万物との一体化である。
その結果として生まれた言葉は一体化(対象をつかみ取る)する為
観念機能の真髄とは一体化にある。

精霊信仰の回路とは一体化である。
一体化とは自然のエネルギーを掴むこと
自然からエネルギーを得ること。
それほど極限時代の人類とはエネルギー(活力)に飢えていた。
古代人は自然の波動に同化し、万物との一体充足を得ていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この認識をさらに固めるものとして現在子どもたちで運営している遊学舎での子どもたちの意識が表している。その学舎のコンサルさんがこんな話をしてくれた「子どもたちは遊学舎に来て皆と一緒に居るだけで嬉しいという。
どんな遊びをするかとか何をするかは何でもいいんです。
何をしても楽しいし、相手の楽しんでいる事がまた楽しい。
だから彼らはその一体化できる空間を求めて来ているんです」

大人である私達は日々仕事をしているが何の為にしているのか。
お金の為ではない、もちろん自分の為でもない、人の為でもない。さらに課題の為でもない。
原点は赤ん坊の一体化欠乏にある。

赤ん坊と同じで一直線に
「一体化するために課題(仕事)がある。」

私はこれまで、課題がまずあってその課題を突破するために一体化しようとしたのだと思ってきたが順番が逆だった。まず先に一体化があり、課題もその一体化をするために存在しているのだ。

そう捉え直すと明日からの仕事もまた、すごく楽しくてやりたくなってくるではないか。
追求も仕事も修行僧になる必要なんてまったくないのだ。

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2021.07.23

縄文時代の死生観と現代人の死生観は強くつながっている

縄文時代の死生観は、死は「再生・循環」するというもので、墓地はむらの中央にあり、姿形を変えながら、自然のさまざまな部分に変化しながら、やがて再生するものととらえていました。縄文後期には家族を送り、代々の生を受け継いでいくという死生観も現れ始めます。

死んだ後も共に生きるとう価値観は、形を変えながら現在にも少なからず受け継がれているものと思われます。

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2021.07.15

縄文人は2次元3次元表現に長けていたが、文字は受け入れなかった。

縄文人は土器や土偶のように3次元上の造形技術は世界に類を見ないほど、芸術性の高いものをもっていました。

縄文中期の土器には踊りの風景を描出しているものもあり、2次元表現についても、その技術は持ち合わせていました。

弥生時代に中国から渡来した鏡を模倣して製作された鏡には反転文字が見られ、これは文字を図表としか認識していなかったことを示しています。

世界の文明社会が文字を持つことが必要条件となっていることからすれば、同時代に栄えた縄文文明に文字は必要なかったのでしょう。日本人が文字を受け入れるのは、世界文明から2,000年も以降のことになります。

文字を使用する必要が無かったから、縄文人は1万年以上も平和な時代を存続できたのかもしれません。

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2021.07.15

右脳の話=職人の言葉

今回は右脳の話を書きます。永六輔の「職人」という著書から「語る」の部分を抜粋紹介します。
これら全て実際の職人の口から出てきた言葉を集めたものです。
職人は手を使います。職人は右脳を使って仕事をします。
いや、無意識に右脳に問いかけて、右脳を刺激していい仕事をしています。
彼らから発せられる言葉にはその片鱗が伺えます。
これらの語録を呼んで「右脳で捉えるって何だろう」を考えるきっかけにしてほしいと思います。

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「オレは何かをするときに必ず自分の体に調子を聞くよ」

 「教えるということは教わるということです」

 「わたし下手な人には教えません。
下手な人に教えると、自分まで下手になってしまうものです」

 「上手は下手の見本なり、
下手は上手の見本なり」

 「苦労なんて耐えるもんじゃない。
苦労は楽しむものです」

 「職業に貴賎はないと思うけど、
生き方に貴賤はありますねぇ」

 「人間、(出世したか)(しないか)ではありません。
(いやしいか)(いやしくないか)ですね」

 「いいかい、
仕事は金脈じゃない。人脈だぞ。
人脈の中から金脈を探せよ。
金脈の何かから人脈を探すなよ」

 「子どもは親の言うとおり育つものじゃない。
親のするとおりに育つんだ」

 「躾ってものは、
ガキのうちにやっていいこと、やっちゃいけないことを、
体で覚えさせることだよ」

 「頭の悪いガキをつかまえて、頭をよくしようとするから、世の中が無理がいく。
頭の悪いガキには、それなりの生き方を探してやるのが大人の責任じゃないのかねぇ。
いいんだよ、多少は頭の悪いほうが。
愛嬌があってさ、世の中けっこう楽しくやれるもんだぜ。
政治家だって頭の悪いやつがあれだけいるってのにさぁ」

 「コラッ!
あんまり勉強すると、バカになっちゃうぞ」 

「樹齢二百年の木を使ったら、
二百年は使える仕事をしなきゃ。
木に失礼ですから」

 「檜は不思議な木で、
健在にして二百年たった頃が、一番強くなるんです」

 「桐の木は分類上では、木というより草のほうが正しいんですよ。
芯は空洞で、茎になっているんです。
そこがわかって仕事をしないと、桐の家具はつくれません」

 「百姓っていうのは、百種類の作物をつくれる職人ってことなんだってさ」

 「職人の仕事なんでいうものは進歩はない。
進歩しちゃいけない。
道具でも何でも、昔からのものを使ってんのが、いちばんいい仕事ができます」

 「残らない職人の仕事ってのもあるんですよ。えぇ私の仕事は一つも残っていません。
着物のしみ抜きをやっています。着物のしみをきれいに抜いて、仕事の跡がのこらないようにしなきゃ、私の仕事になりません」

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2021.07.08

西洋と東洋(又は日本)、単に比較だけでは前に進まない。対立ではなく共に認める事実を提示することが本物の可能性になる。

今回も実現塾からの新しい認識をお伝えします。
このブログの今後の追求の方向性にも通じる重要なメッセージです。

―――――――――――――――――――――――――――――――
長らく本源性を有してきた日本人(縄文人)の価値観と戦争を発祥し、私権社会を作り上げてきた西洋人の価値観は180度違っている。西洋人の過去5000年で作り上げた体質やその帰結としての社会の総括は今後100年は続くだろう。私権社会やその帰結としての個人主義や偏った西洋科学、環境破壊から学校教育を通じた左脳偏重の心の破壊はやがて明るみに出て、その総括が議論されていく。

 しかし、今やるべきことは東洋と西洋の違いを上げて東洋優位、西洋下位を示すことだろうか?その方法でこれまで考えてきたが、そのやり方は正しくなかったのかもしれない。

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2021.07.01

日本人らしさを方向づけた母系家族の由来と様相

日本人らしさを方向づけた母系家族の由来と様相

日本の歴史的な家族形態の特徴は、先史時代から「母系家族」でその名残が平安中期頃まであったこととされる。 母系家族は、父系家族の逆で、祖母から母、母から娘へと系譜がつがれていく。

先史時代は、命を生み出す女性である母が家長だった。 成人すると男子が家を出ていき、娘が家に残って後をついだ。 通い婚や嫁取りが行われた。

それは、何らかの合理的な慣行である筈で、その背景や理由はどういうことだったのだろうか。

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2021.07.01

精霊信仰の回路とは一体化回路/一体充足を得て生きるエネルギーを産み出す回路である。

先週の劇場会議で右脳と左脳を扱った。

人類の人類たる所以は言葉を持ったことである。言葉の原初には観念機能があり人類はその機能を作り出すと同時に左脳を観念機能の為に開けて、人類以前の機能を全て右脳に集めた。なので、赤ん坊は生まれた最初は左脳は文字通り真っ白である。母親とのスキンシップ、回りの人への一体化、同化を通じて誰も教えてないのに自ら言葉を一つずつ発し、左脳に格納されていく。3年もすればその観念機能たる追求機能が開花して何を見てもなんで?どうして?どうなっている?を発していく。

会議で追求ポイントになったのが、人類の観念機能ってどうやって作られたのか?という事だった。それを掴むには人類の最初、足の指で木が掴めなくなって楽園である樹上を離れ危険な地上での生存を余儀なくされたカタワのサルである人類の誕生をイメージしなければならない。樹上を失ったカタワのサルは肉食動物が溢れる地上で戦う機能も逃げる機能も持ち合わせておらず、肉体が大きくも小さくもなく牙も爪もない地上では最も弱い存在と成っていた。ひたすら洞窟や動物が来れない海辺や川辺に隠れるしか無く、その殆どは死滅した。それでも辛うじて生きながらえた人類の祖先は常に危機と恐怖に怯え、生命を繋いでいた。周囲には何人かの仲間もいただろうが、サル時代に獲得した共認機能で最初は励まし合い、互いに助け合うも、限界があった。ひたすらどうするを何万年も何十万年も追求し続けた人類。その過程こそが観念機能を生み出した背景であった。

「どうする?」といえば「方法を考える」と現代人である我々は考えがちだが、いくら方法を考えても八方塞がりの状態で唯一可能性があったのが対象への一体化だった。極限時代の人類に最も必要なものは食べ物ではなかった。当然食べなければ行きてはいけないが、それ以上に切実に求めていたもの、、、それは何か?

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