2021.06.17

縄文の新しい認識(3)葬儀とは再生の儀式・土葬は母胎子宮への回帰。

ネリーナウマンから大島直行氏の縄文人への視座について、過去の2投稿を新しい認識(1) , (2)と題します。今回は(3)回目を投稿します。しばらくシリーズで続けていきますので期待下さい。

文化は伝播する。例えば東アジアで入れ墨の文化があればそれが日本の縄文時代にも移行し、その後の縄文―日本の慣習として定着する。土器もしかり、古墳もしかり、とおおよそ考古学や古代史の歴史家は文化伝播論で歴史を分析し語るのが得意です。しかしそれだけでしょうか。今回も大島直行氏の「月と蛇と縄文人」から紹介します。

お墓の作り方、死者に込めた(生の)意味は古代人は遠く離れていても同様で人は死ねば土に埋めるというのが極、当たり前の慣習でした。ではなぜ埋めたのか?それを今回は考えてみたいと思います。文化の伝搬論では切れない根源的で人類共通の思想があります。

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人はなぜ死者を穴の中に埋めるのかーーー。
考古学長い歴史の中で、その問題について議論されたことはあったでしょうか。
私の知るかぎり、日本はおろか世界の考古学者の中でもこの問題が議論されたことはありません。
エリアーデは、コロンビアのコギ族の間で営まれた16歳の少女の葬儀の様子を詳細に記述した報告を「世界宗教史Ⅰ」の中で紹介しています。この葬儀は1966年に行われたものです。

「墓所の選定ののちにシャーマンは一連の儀礼的身振りを行い、次のように宣言する。
”ここは死の里である。ここは死の祭りの館である。ここは子宮である。私は館を開こう。館は閉ざされている。私はそれを開こうとする”(中略)男たちは墓穴の掘るべき位置を示し、退場する。墓の底に緑色の小石、貝殻、巻貝が置かれる。ついで、シャーマンが重すぎリという印象を与えながら、死体を持ち上げようとする。そして9回目にやっと成功する。この葬式は2時間に渡って営まれた」

エリアーデはコギ族は「世界―宇宙母神の子宮―とそれぞれの村、祭りの館、家、墓を同一のものと、見なしている。シャーマンが死体を9回持ち上げるのは妊娠期間の9ヶ月を逆に遡り、死体を胎児の状態にもどすことを意味する」というのです。

 縄文人が死者を穴に埋めるのは、合理性や衛生上の理由からではなく、大地に墓としてデザインされた子宮=母の体内に遺体を帰すという意味が込められているのではないでしょうか。なぜ母の体内に帰すのかといえば、もちろん「再生」させるためです。縄文人はそうして1万年間にわたって、子宮に見立てた穴を大地に掘り、葬儀を行ってきたのではないでしょうか。

 民俗学者の吉野裕子氏は沖縄の御嶽を考察する中で私と同様な印象を述べています。
「連想好きな私どもの祖先は、人間の死を人間の生誕の逆の方向からとらえて、死者を母の胎に象ったところに納め、そこから常世の国に送り出す、新生させることが出来ると信じたのではなかろうか。その場合の母の胎はもちろん人工的なもので、この疑似母胎がつまり墓所である。海岸の岩窟も、山裾の空地も、各所の洞穴も古代人によって母の胎になぞらえた墓所であった。」
吉野はさらに、沖縄には「人は死んで女性の胎を通って元に帰る」という「帰元思想」があり、また「人間は2寸に4寸の穴からでて2尺と4尺の穴に入る」という言葉があるという。

 縄文人も、お墓を子宮になぞらえたのだと思います。八重山と同じような「帰元思想」によるものでしょう。しかしこれは、何も八重山の文化が縄文文化に伝播したり、あるいはその逆であったりしたのではなく、人間が根源的な思考方法として持っている隠喩や換喩といったレトリックを使っているからに他ならないのです。文化伝播論だけでは決して縄文文化の精神性を読み解くことはできないと私は思います。

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2021.06.11

縄文人は家の形態に何を込めたか~それは、生命の誕生~子宮であった

縄文時代は竪穴式住居であるというのは誰もが知る既知の事実ですが、なぜ竪穴なのかという追求は実に学者であってもまともにしてきていません。学校教育の弊害みたいなものですが、なんで、なぜという疑問がないまま知識を頭に詰め込むというのはこういう事です。
それはさておき、前回の記事で紹介した大島直行氏の「月と蛇と縄文人」の著書の中でまた新たな発見というか見解が展開されていました。これも実に本質をついており、家の形とは機能性や合理性ではなく精神性にあるという見方、なるほどです。そして家とは再生を願う母の子宮のシンボリズムであるという知見は縄文に限らず、アイヌやその他の古代民族に多く見られる考え方として紹介されています。

著書の中から原文を紹介します。

【縄文の竪穴住宅はなぜ円形なのか】
縄文の竪穴住居の形ですが最初は円形に作られています。柏台1遺跡から見つかった旧石器時代の住居も、石器の散らばり方から見ると円形であったことが推測されます。実は縄文時代もそれ以降の時代も、家の形がどのようにして決められたのか、竪穴の深さや柱の位置や数にも意味があるのか、まったくわかっていません。それどころか、なぜ家を竪穴にしたのかといった根本的な問題についても、誰にも解き明かさてはいません。

日本列島では少なくとも9世紀(平安時代)に至るまで庶民は竪穴住居に済み続けていたにもかかわらずです。現在に生きる私達は誰でも壁と床のある地上の住居に住みたいと思いますが、縄文時代は、高床構造の建物(倉庫という説が一般的)を発明しているにもかかわらず、竪穴式の住居から離れようとしないのです。考えてみるとこれはとても不思議なことです。いったいそれはなぜなのでしょう。

もし彼ら縄文人が寒さ対策などの合理的・機能的な理由で竪穴構造にこだわっていたとしたら、私達考古学者は彼ら以上に合理的で機能的な考えに長けているのですから、いくら何でもそろそろその理由を解明してもよさそうなものです。だとすれば、少し立ち止まって別な角度から考え直してみる必要があるのではないでしょうか?

おそらく縄文人は私達現在人が考えているような合理的、機能的な考え方では住居を作ってはいないと思います。彼らの独特なものの考えの中から、竪穴という構造が決められ、深さや柱の数、囲炉裏の位置、屋根の形などが厳密に決められていたのではないでしょうか。そのような住居に対する、とくに「竪穴」構造に対する基本的な考え方は、弥生時代や古墳時代になっても変わること無く受け継がれているわけですから、経済や社会の変革にも動じない確固とした「居住哲学」が日本列島には存在したと見るべきかもしれません。
そこには人間の根源的な心性に根ざした、きわめて精神的な、つまりミルチャ・エリアーデのいう呪術宗教的なものの考え方が横たわっているように思います。

【アイヌの家に関する田中基の考察】
そこでそうした人間の根源的なものの考え方と住居の関係について、ヒントになる事例を見ていきたいと思います。まずは家を女性の身体に見立てているアイヌ民族の考え方から、縄文の竪穴住居を子宮に見立てた人類学者の田中基の意見に耳を傾けたいと思います。
田中はアイヌの家に関する考え方をアイヌ民族の言語学者である知里真志保の報告から引用しています。アイヌは屋根を「チセ・サバ(家の頭)」、壁を「チセ、ツマム(家の胴)」
屋内を「チセ、ウプブル(家のふところ)」と呼ぶことに触れ、窓やひさしを鼻やまつげに見立て、家の構造材は「精霊の骨格」であり、葺いた萱は「その肉」だと紹介しています。

知里は報告の中で、チセ・ウプブルを「家のふところ」と訳していますが、田中はこれを「チセ・ウプブルは子宮の意味があり文字通り子宮と訳したほうが、屋内のもっている暗闇空間と、その中で寝起きする人間の生命は生みだされる容器ですし、炉は生命を育む食物を加工、変容させる源で、生命をつかさどる重要な家・炉・女性子宮をむすびつけたアイヌ民の世界観の深さには驚かされます」と結んでいます。家を子宮になぞらえるというシンボリズムは、アイヌ民族だけでなく、広く世界中に見ることができるようです。エリアーデが紹介したコロンビアの先住民コギ族が村も祭祀場も家も墓も全てを母の子宮と同一に考えていることは、ここでも重要な意味をもつのです。

【圧倒的に多い円形の家】
縄文から古墳に至る時代の日本列島の住居構造を調べた石野博信によれば、円形タイプの竪穴式と方形タイプの住居は、時代や地域によってゆるやかに偏在していて、圧倒的に多いのは円形タイプだといいます。住居の発掘例の最も多い5000年前後の時期にはおよそ80%が円形タイプだそうです。円形タイプの家は、弥生時代の後半から地域によっては古墳時代の前半にかけて、ほぼ方形タイプの家に変わっていくようです。ただし、住居構造の中心が竪穴であることには変わりがありません。

※まとめ
つまり世界中のさまざまな事例から考えると、おそらく人類の根源的な心性に基づく家つくりの考え方は変わることがないのだと思います。とくに半地下に家をつくることは、子宮のイメージと強く結びついているのではないかと思います。農耕文化が始まり、徐々に合理性に根ざした文化が広まっても半地下の家が容易にはなくならなかぅたのですから、それほど子宮に対する信仰は強いものだったのだと考えるべきでしょう。

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2021.06.03

縄文人の死生観~死は自然に帰ってもう一度生まれてくる出来事

縄文人は自然と共生し、生命は自然の中を循環していくものとし、その死生観も循環するものと考えていました。だから、死は決して恐れるものではなく、自然に帰ってもう一度生まれてくるための出来事だととらえていました。

現代は、死は消えて無くなるイメージが強いですが、死を恐れることなく、生に真剣に向き合って生きていけば、あらゆるものが一体的なものと感じることができるのかもしれません。

毎日が発見ネットより。

【死を遠ざけなかった縄文人の生き方】

現在、私たちが持っている死のイメージと、縄文の人々のそれとは、まったく違うもでした。 「現代では死は忌み嫌われているイメージがありますが、縄文人にとって死はもっと身近でした。この時代は、集落の中央にある広場にお墓を作ったり、家の中に埋葬したりすることが多くありました。広場や家に遺体をしばらく置いていた例も見られます。つまり、彼らは死や死者を恐れていなかったのです」。

その根底にあるのが、「生命は再生する」「生命は自然の中を循環していく」という、「再生・循環」の観念です。

「現代では、死は自分がこの世からいなくなる”消滅”や”無”のイメージを持つ人が多いですが、縄文人にとって、死は『自然に還ってもう一度生まれる』ための出来事でした」。 この時代の「生」の象徴といえば、生命を生み出す出産に関するものが多く挙げられます。 「土器や土偶がたくさん作られましたが、出産に関するデザインが多いんですね。土偶はおなかや腰のあたりが膨らんだだものがよく見られますが、これは妊婦をかたどったものだといわれています。

また、土器には、赤ちゃんの顔のようなものが装飾されていたり、出産時の光景を表したようなデザインもあります。土器の中に赤ちゃんや、時には成人の遺骨を入れる『土器棺墓(どきかんぼ)』という埋葬方法がありますが、これは、土器を母体に見立て、もう一度生まれ変わることを願ったといわれているんですよ。お墓の副葬品として、遺体と一緒に土偶が埋められていた例もあります」。

【全てに宿る魂は自然の中で生き続ける】

縄文時代には、生物だけでなく、この世に存在する全てのものに魂(アニマ)が宿るという思想「アニミズム」がありました。縄文の人々は、常に周辺にさまざまな生命や魂を感じながら、生活していたことになります。こんな考えから「土器棺墓(どきかんぼ)」には、動物の頭や木の実などが入っていたこともあるそうです。   そんな生活において、人の死もまた、自然界に起こり得る当たり前のことの一つでした。「縄文の人々にとっても死への不安や恐怖は当然あったと思います。でも、人は死んだらいなくなるのではなく、風となり、鳥となり、星となり、自然に還って存在し続け、やがて再生する。そう考えることは、彼らにとって『心の処方箋』として機能していたと考えています」。

【再生・循環を思えばもっと豊かな人生に】

縄文の人々は、私たちと同じように見たり、感じたりできるホモ・サピエンス(現生人類)でした。日本人の精神や考え方などの基盤がここにあるのです。最近は、自分の遺骨を山や海に散骨する「自然葬」を希望する人も増えていますが、これも「生命は自然に還って再生する」という縄文時代の思想が、いまも私たちの心の中に脈々と受け継がれているからでは。

「縄文時代の死生観は、人類史から見ても最も根源的な観念の一つです。現代は科学文明が発達したにもかかわらず、経済や環境、家庭や仕事などのさまざまな問題があり、死に対する恐怖や不安を持つ人も多くいます。閉塞感を強く抱えるいまだからこそ、その観念が人々の『心の処方箋』として求められているのでしょう。自分は消滅するのではなく、自然のあらゆるところに存在して生き続ける、と思うことができれば、死の迎え方やクオリティ・オブ・デス(死の質)も、とても豊かなものになるのではないでしょうか」。

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2021.06.03

「新説」土偶はなぜ作られたか⇒ヒントは「なぜ上を向いているか?」にある。

「月と蛇と縄文人」
この著書に最近出会いました。きっかけはるいネットの記事から。
日本が誇るべき縄文文化の本質は「右脳活性」だった! 考古学者・大島直行の日本文化論

大島直行氏は北海道生まれで長く考古学を追求をされてきておられますが、10年前にネリーナウマンというドイツ人の日本研究家の著書との出会いをきっかけに縄文への視座を新たにし、これまでの縄文社会への学会の論説をいくつも覆す、新論を提起しておられます。その視点は非常に斬新で、いくつかこのブログでも展開してみたいと思います。また大島氏の発想を広げる元になったネリー・ナウマンという学者にも非常に興味が湧いてきました。ナウマン氏は女性で既にこの世には居られませんがいくつもの著書を残しており世界中の古代人の精神史を比較検証し、独自の理論を展開されています。

そのうちナウマン氏の著書も購入して紹介していきたいと思います。

第1回は大島氏の著書「月と蛇と縄文人」から紹介します。
土偶とは何か?これについて言及しています。氏は土偶とは死と再生のシンボリズムである「月」の水を受ける装置と提起しています。さらに土器ですら、煮炊きではなく月の水を受ける器という見方も成立する。その月とは縄文人や古代人にとってどういう存在だったのか、そこにも思いを馳せることができます。
以下、引用です。
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「土偶はなぜ作られた」
縄文人は土偶を何のために作ったのでしょうか。長い土偶研究の歴史の中で実は戦前の非常に早い段階から、一つの定説があります。それは土偶を女神や地母神とした解釈です。近年はさらに、土偶が男でも女でもない、いわば「精霊」的な性格を持ち、縄文社会の中では地域や時代を超えて普遍的な価値を持つ存在であることが指摘されています。戦後の土偶研究の一つの到達点といってもいいでしょう。

そうした土偶研究を距離を置いて眺めていた私は、しだいにある思いを持つようになりました。それは、土偶が安産の守り神に過ぎないならば、それほど大きな意味はなく、そこから縄文文化の本質を明らかにすることはできないだろうという”偏見”といってもいいかもしれません。それが私を土偶研究から遠ざけていきました。そんな私が、ひょんなことからドイツの日本学者、ネリー・ナウマンの最後の著者「生の緒―縄文時代の物質・精神文化」を手にするのです。

「土偶の顔はなぜ上を向く」
ナウマンは「土偶は女神」とする日本の考古学者の解釈は根拠が乏しいとしました。そして神話学や図像解釈学を援用しながら独自の土偶解釈を行いました。どくにナウマンの解釈で重要なのは、世界中の神話や民族例を分析したうえで、土偶の造形に月が象徴的に表されていることを突き止めたのです。月は「死と再生」の象徴です。
ナウマンは、縄文人は満ち欠けによる姿を変える月を「死と再生」になぞらえたと考え、そこに呪術宗教的な価値を見出したのだと、月のシンボリズムの意義を力説しました。そして月がこの世のすべての水をもたらし、人も動植物も「月の水」によって生かされていると考えるのは、化学が興る以前の狩猟採集社会の共通した思考方法だったのだと指摘しています。だから縄文土偶の造形にも月を象徴した図像が散りばめられているのだと考えたのです。

7823f27decc029501d413ca1c9319ee2「土偶の顔の向き」
一般に土偶の顔は最初の段階では描かれていません。13000年前の三重県粥見遺跡の土偶も頭部は表現されていますが、顔は描かれていません。同時にもう一つ特徴があります。それは古い土偶は足の表現が極度に簡略化されていて自立できるものはほとんどないということです。縄文も中頃(5000年前)になって足が表現され、自立するようになります。それと同時に顔も描かれるようになってくるのです。
面白いのはこうして作られた土偶の顔がことごとく上を向いていることです。上といっても真上では有りません。心持ち上です。しっかり斜めを前方を向くものも少なくありません。また、この頃から顔や頭のてっぺんがお盆状、あるいは皿状に作られるようになるのです。
ナウマンは、てっぺんがお盆状や皿状のこうした容器が、中国や中近東、アメリカなどの牡牛や牡羊の左右の三日月の角がつくる湾曲した形と同様に、月の水を集める容器そのものと考えられることから、土偶の顔自体が月の象徴とみなしているのです。

※著書にはこの後、土偶のぽかんと口を開けた表情やなぜ土偶の中が中空になっているかや、なぜ合掌しているか、なぜ壺をかかえているかについて言及し、月の水を乞い願う姿は、再生信仰の象徴であると解釈を提示しています。さらに縄文土器の本来の機能についても以下のように述べています。

「これらのことからあることが見えてきます。縄文土器の本来の機能です。縄文土器は鍋として作られたものではなく、第一義的にはあくまで「月の水」を集めるという役割を担った祭祀道具の一つとして作られたのだと思います。」

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2021.05.27

江戸時代のエリートを育成した藩の教育システム「郷中」「什」「藩校」

江戸時代に日本を訪れた西洋人が異口同音に語っているのが、日本人の教育水準の高さだった。当時、世界的に見ても、一般庶民までが文字を読み書きできる民族は日本くらいしかしかなかったという庶民がそうなのだから、当時の知識エリートである武士にいたってはなおさらだ。

黒船艦隊を率いて浦賀に来航したペリー提督は、幕府に強く開国を求め、ついに翌嘉永七年(1854)に日米和親条約を締結して日本を強引に開国させた。このときペリーは幕府に、電信機や武器、そして蒸気機関車の模型などを贈っている。 模型といっても、今知られている鉄道模型とはかなり違う。時速30キロ以上のスピードで走る精巧なものであり、実際にレールを敷いて実演させている。ペリーの目的は、こうしたデモンストレーションを通じて日本人に文明の利器を見せつけて、日本が国際社会から取り残されている現実を思い知らせようとしたのだ

たしかにペリーの思惑はあたり、当時の武士たちは西洋文化に驚いたが、決してそれによって意気消沈したわけではない。なんと、幕府がペリーの蒸気機関車をプレゼントされてからたった一年後、佐賀藩が独力で蒸気機関車の模型を完成させてしまっているのである。 それだけではない。実用に足る蒸気船までつくってしまったのだ。しかも、これは、佐賀藩だけではなく、いくつもの藩で、蒸気船が作製されている。 つまり、短期間でたちまち西洋の技術を模倣できるだけの技術力を、当時の武士たちは持っていたのである。

こうした知的水準の高さについては、ペリーたちも認識したようで、「もし日本が開国して国際社会に参加したら、アメリカの強力な競争者になるだろう」と述べている。 いずれにせよ、簡単に西洋技術を模倣できたのは、日本人、とくに支配者たる武士たちの教育程度が極めて高かったからだといえる

そこで今回は、江戸時代の武士の教育について語っていこうと思う。

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2021.05.27

日本人の持つ右脳資質と縄文体質

欧米人や中国人は論理性を好み日本人は情緒や非論理を好む。
明治以降の誤った記憶力重視の学校教育は本来の日本人が持つ右脳資質を抹殺し、左脳偏重に変えてきた。世界中で最も活力のない国民が日本人になっているというのを以前このブログでも触れたが、右脳資質の日本人がその特性を失い、欧米並みに左脳優位に成ってしまったことが活力低下の要因の大部分を占めるのではないか。
日本人の右脳資質はこの間追求してきた様々な切り口からも説明できる。
まず前回投稿した左脳は日常、右脳は非日常という切り口。これは災害大国の日本という視点でみてもそうだし、縄文時代1万年間(さらに太古の人類に最も近い日本人の遺伝子)という視点でみても示すことができる。

【自然は常に非日常、同化するには右脳で捉える】
地震、台風、低気圧による大雨等日本の気候や立地環境は世界的に見ても災害が極めて多い。一説には世界中の地震の半分は日本列島のプレートで発生しているという。このいつ自然災害に遭遇するかもしれないという外圧は常に我々日本人の心底に深く存在し、昨日までの平和な日常もあっという間に暗転する。さらにその自然災害は予測が難しく、いきなり向こうからやってくる外圧にどう対応するかという順応力や受け入れる力を育む。

さらに予測不可能である自然を五感だけでなく超能力としての第六感を使って捉えようとする超越した同化能力を身に着けてきた。それが優れた場合は呪術やシャーマンとして集団のリーダーに登用された。

また、災害でなくても縄文人やアイヌ人は日々自然に対して畏れ尊敬を抱く自然崇拝の心性を持ち続けた。欧米人のような自然現象を単なる平板な日常として捉えるのではなく、自然の奥に何かを見ようとし続けた縄文人はおそらく自然を法則的なものではなく刻々と変化し語りかける非日常の対象として同化を試みたのではないか?こういう事も言える。自然と同化し、肯定視した縄文人とは右脳資質であり、自然を常に変化する非日常として捉えた。逆に西洋人は自然は克服する対象であり、自然の法則として固定し、コントロールできる日常として捉えようとした。その結果が実験室の法則だけを取り出して一般化しようとした西洋科学であろう。

 【文字を必要としなかった縄文人】
さらに文字を持たなかった縄文人、アイヌ人、さらに琉球人。
早くから高い文明を持っていた縄文人だがついにその歴史上文字を持つことはなかった。また縄文資質を受け継いだアイヌも最後まで文字を持たずに集団を統合し続けた。アイヌの口伝は全て神話で述べ伝えられた。30分も語り続ける神話を完全に記憶し、長老から若者へ、さらに若者も長老になるに連れ、神話の語り部になり部族として永続して存続するために必要な規範や価値を言語にして残していった。注目すべきは文字を持てなかったのではなく持たなかったのだ。

逆に西洋人は既に6000年も前から、中国では4000年前に文字を生み出し、人々を管理するために支配者は(最初は支配者一族の記号でしか無い)文字をもって大衆を支配した。

 【右脳発で生まれた文字、言葉】
ひらがな文化は女性がモノを考えたり表現する為に生まれた。また日本語を持つ日本人だけが左脳で虫の声や自然の風や雨や波の音を捉える習性を持っている。子音言語の西洋人(中国人)は日本のようなひらがなは持たない。支配者(や市民)だけが文字を持ち、文字はつい近年まで支配者の独占物であった。西洋人は虫の声はザーザーやガーガーという雑音として右脳で音として聞くだけである。

日本人のひらがな文化も左脳で捉える虫の声も、日本人がいかに右脳と左脳をつなげようとしている民族かを示す好材料だ。つまり、意味のない文字をひたすら記憶する現代の学校教育とは正反対の感覚や感情で捉えた自然対象を固定する為に日本語やひらがなは生みだされたのではないか。

【日本人の右脳をどう再生するか】
明治以降に日本人の生活も意識も大きく西洋的なるものに変化した。しかし日本人の誰もが元々保持している縄文体質は未だに色濃く残っている。先日の実現塾でどうやって右脳を駆動させるかという話が出た。そのヒントが左脳で考えることを辞めること。右脳を開放することとはなにか?例えば学校教育。
「点数を取ることをあきらめること」である。
点数を取ることとは知識を詰め込む事であり、右脳から切り離された記号や文字を詰め込む作業である。それをやっている以上、右脳は絶対に開放しない。逆に点数を取ることを諦めさえすれば後は元々持っている縄文資質(日本人的資質)を開いていけば良い。自然に触れたり、捉えた感覚を言葉で表現したり、仲間と本気で語り合ったり、何かに時を忘れて没頭したり・・・。

右脳が開放されればされるほど、日常は退屈さから解き放たれ、毎日がどきどきする非日常に変わるはずである。

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2021.05.20

科挙とは何か―暗記能の無能官僚により衰退した中国

科挙は6世紀、隋の時代から始まり、清の時代まで続いた中国の官僚登用試験制度です。

世襲制により身分の無い者には可能が全くなかった西欧っと違い、合格さえすれば、一般人でも官僚になれる当時は画期的な制度でしたが、合格のための猛烈な受験勉強により、暗記能となってしまった官僚は現実場面では全く役に立たず、中国は次第に国力を衰退させ、アヘン戦争で西欧諸国に滅ぼされてしまいます。

日本の試験制度も少なからずこの科挙の影響を受けており、現在の日本の官僚も無能さを見ても試験制度がいかにおろかな制度であるか、中国の歴史から学び直す必要があると思います

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2021.05.20

右脳は生物的にも「予想外の刺激の感知への反応」⇒現代の未知課題の連続⇒右脳を開放することが可能性

実現塾で右脳と左脳を扱っている。
この間、可能性として見えてきたのが充足と追求を求めて新しい事にチャレンジする右脳パワーである。
閉塞した現代、右脳を開放することが突破口であることは間違いない。逆に言えば学校教育の弊害とは決まった答えどれだけ沢山正確に覚えるかのルーチンワークであり、生物が本来持つ左右に分化した脳の機能を偏って使うよう強いてきた。下記に紹介する論文は右脳と左脳の機能分化とそれぞれの特徴を示したものである。人類に限らず生物は両方の脳に機能分化しており、大きく言えば日常の繰り返し行動を左脳で処理し、非日常の危機や新しい事象への適応は右脳が担ってきた。

人類の今の状況はまさに危機であり、新しい可能性へのトライ&エラーの時期で生物的には右脳が必然的に動き出す”はず”である。ところがその生物的な可能性を相変わらず縛って可能性を潰しているのが学校教育であり、その延長の無機質なルーチンワークの職場である。

どうすれば右脳が動くか開放できるかは、まずその本質である危機を察知し、非日常を直視し「なんで、どうする」を追求することだろう。そうすれば退屈な日常は消えていき、毎日がキラキラと輝く非日常が「追求すべき課題」という形で現れてくると思う。

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脳科学メディアから紹介します。

 ■なぜ脳は左脳と右脳に分かれているのか

多くの人が一度は聞いたことがあるように、ヒトの脳は左と右とでそれぞれ異なる役割を担っている。たとえば大脳の左半球は、言語の処理を担っている。また、他の動物と比べてはるかに器用な動きをする右手の制御も左半球が担っている。これに対して大脳の右半球は、物体の位置や空間を把握する役割を担っている。 1970年頃まで、上記のような言語や利き手、空間関係などの処理に関して左右のいずれかの脳が特化しているのは、ヒトに限られたことであると考えられていた。すなわち、他の動物では大脳の半球の機能に左右の差はないと考えられていた。しかしこの数十年の研究によって、動物の左右の脳もそれぞれ独自の役割を持っていることが分かってきた。
近年の研究によると、生物が脳を獲得した5億年前には既に大脳半球の機能に左右の違いがあったと考えられている。 古くから、生物の脳の左半球はパターンとして確立された日常的な行動の制御に重きが置かれ、右半球は予想外の刺激の感知への反応を専門に担っていたと考えられている。ある特定の状況では脳半球の片側が主に働くという傾向が初期の脊椎動物に生じ、これが脳の左右分業の始まりとなったと考えられている。

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■脊椎動物の多くは右利き

脳と身体をつなぐ神経系は、脊椎動物では左右が交差していて、身体の片側に出入りする神経の多くは反対側の脳半球と繋がっている。つまり、右半身は左脳、左半身は右脳の制御下にある。

上述したように、脊椎動物の左半球は日常的な行動の制御に特化していると考えられている。これを裏付ける証拠が研究によって複数みつかっている。たとえば、摂食行動は多くの脊椎動物で身体の右側への偏りがみられる。魚類、両生類(ヒキガエル)、爬虫類は右眼と左半球に導かれて自分の右側にいる獲物を捕まえる傾向がある。また、鳥類(ウズラ、ハト、ニワトリ、セイタカシギなど)は主に右眼に導かれてさまざまな種類のエサをつついたり獲物を捕まえたりしている。ニュージーランドのハシマガリチドリという鳥は、主に右眼を使って川底の石の下にいるエサを探すので、クチバシが右に曲がっているという特徴がある。

哺乳類に関しては、ザトウクジラを調査した結果、75頭のうち60頭の右顎にだけ擦り傷があることが分かっている。これは、ザトウクジラがエサを集めるときに右顎を使ったことを意味している。
現在では、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類といった全ての脊椎動物が通常の接触行動において右側を使うことが分かっている。この行動は、おそらくは祖先から受け継がれてきたものと考えられている。なお、複数の研究結果から、人類と近い霊長類であるサル(ヒヒ、オマキザル、アカゲザル)や類人猿(チンパンジー)も右手を好んで使っていることが分かっている。

繰り返し述べるように、大脳の左半球は“決まった動き・課題”を担当する。この左脳から身体への最も直接的なルートは(神経が交差しているため)右半身の神経であり、それゆえヒト以外の霊長類も日常的な動作をする際には右手を使うようになっている。

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■「日常の左脳」と「非日常の右脳」

日常的な状況における行動の制御は、左脳が処理する身体の右側に偏っている。たとえば、典型的な日常の行動である「獲物を捕らえて食べること」について考える。ある実験では、回転台に貼りつけたバッタの模型をヒキガエルのどちらかの視野に入るよう回転させた。バッタをヒキガエルの左側において時計回りに回転させると、ヒキガエルはバッタが視野の中心線を越えて右視野に入ってからでないと攻撃しなかった。

これに対して、右脳は脅威などの非日常の状況に対する反応を処理する。生物は捕食者に遭遇したとき、咄嗟に適切な行動をとる必要がある。右脳はこうした出来事を処理するために進化してきた。ヒキガエルを使った別の実験では、ヘビの模型をヒキガエルの右や左から突き出した。ヒキカエルの右側からヘビが近づいてもヒキカエルは気が付かなかったが、左側から近づくと右脳の反応が引き起こされてヒキガエルは飛び退いた。

その他のさまざまは実験によると、魚類、両生類、鳥類、哺乳類は全て、左視野(脳の右で処理)に見えた捕食者に対して右視野の捕食者よりも大きな回避反応を示した。

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■なぜ進化の過程で脳の左右に機能を割り振ったのか

なぜ脊椎動物は、脳の片側に特定の機能を振り分けるようになったのか。外部から入ってくる刺激を評価・判断するには、2種類の分析を同時に行う必要がある。1つは、その刺激が全体的にどれくらい新しいのかという評価であり、もう1つは、その刺激が過去に経験した馴染みのあるものかという評価である。目新しい刺激(非日常)であれば相応の行動が(右半球で)求められ、慣れた刺激(日常)であれば通常どおりの行動が(左半球)で求められる。

刺激が“目新しい”と気づくには、その経験が目新しいことであると明確に認識できるよううな特徴に注意する必要がある。たとえば空間認知では、同様に「新しいものを見つける能力」が必要となる。というのも、通常であれば視点が変わるたびに新しい形の刺激を受けることになるためである。この判断は、右半球が行う。これとは対照的に、刺激をどのカテゴリーに含めるかを分類するときは、その刺激のうちどの特徴が注意すべきものであるかを認識する一方で、固有の特徴や風変わりな特徴を切り捨てる必要がある。その結果が、脳の最も重要な能力の1つである選択的注意である。この判断は、左半球が行う。

こうした大脳半球の機能差が進化した理由は、機能を左右で分担していない脳に比べて両種の情報を効率的に同時並行処理できたからと考えられている。これを確認するために、ヒヨコを用いた実験が行われた。
ヒヨコに2つの課題を与える。1つはエサの粒を小石から選り分けるという左半球の仕事であり、もう1つはヒヨコの頭上を横切るタカの模型に対して反応するという右半球の仕事である。実験によって生み出された“脳の左右の差がないヒヨコ”の場合、タカがいないときは問題なくエサの粒と小石を区別することができたが、タカが頭上を飛んでいるときは小石からエサを選り分けるのに時間がかかった。これに対して、“脳の左右の差がある(通常の)ヒヨコ”の場合は、差のないヒヨコほどには時間がかからなかった。

この実験は、脳の左右に差があるほど同時に複数の行動が可能であることを意味している。同時に複数の行動が可能であれば、それだけ生存競争に有利になる。こうした理由から、脊椎動物の多くに脳の左右の機能の違いが受け継がれていくことになった。

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posted by tanog at : 2021年05月20日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2021.05.06

自然を対象化した日本語の言語体系が左脳に偏重した脳構造を生み出した。

日本人の脳の使い方左脳に片寄り過ぎていて、右脳は器楽曲ぐらいしか処理してないらしいです。

左脳は言語や論理の脳、右脳は感性の脳とされていて、たしかに欧米人だったら虫の音や雨音などは感性の右脳で処理されているのですが、日本人ではそんな自然からのインプットまでが左脳(言語脳)で処理されています。

なぜそうなったかというと、日本人は自然をそのまま自然として受け容れてなくて、自然との濃くて永いお付き合いの歴史のなかで記号化(≒言語化)が出来上がってしまっていたのです。 それがオノマトペだったのです。 雨の降る音を聞くと「しとしと」と聞こえてしまう。 本当の雨の音は「しとしと」なんかじゃないのに。 こおろぎだって「コロコロ」と聞こえてしまう。 そして左脳へ入ってしまう

それと「有意の母音」が日本人の左脳偏重をもたらしています。 日本語の母音は全て意味を持っています。 欧米やアジア大陸の母音は、子音と組合せないと意味を持ちませんが、日本語ではひとつの母音だけでも意味を持ちます。母音が有意なので、それだけで意味が有る言語となり、左脳へ自動切り替えスイッチが働いてしまう。

古来から、日本人と自然の結び付きが、言語構造を介して、脳の使い方にまで及んでいるということです

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2021.05.05

左脳で虫の声を聴く日本語~左脳の機能とは何かを考えてみる

現在右脳と左脳という事で類ネットでも盛んに議論がされている。現代人は仕事や勉強では左脳ばかりを使うので感覚脳である右脳が退化しているという話である。本能と直結する右脳の開発は固定観念や近代思想に塗れた人の本能を開放し、潜在的に眠っている能力を開発するという発想は既に10年くらい前から言われている。  しかし左脳とは斯くも石頭のように硬い存在なのか?

いやいや左脳も捨てたものではないという事象を1つ見つけたので紹介しておきたい。
西欧人は虫の音を雑音として右脳で聞くが、日本人は言語脳である左脳で聞く。

日本人は虫の音も雨の音もせせらぎの音も言語と同様に右の耳で聞き、左の脳で捉えるのだ。この脳を持つのは日本人の他にはポリネシア人しか居ない。つまり自然に徹底的に同化し、自然を言語と同じように捉え、それを”精霊”と措定したかつての人類の祖先と同様の思考回路を未だ日本人は継続しているのではないか?
つまり精霊とは右脳で感じた自然の摂理や在り様を左脳で固定した呼称とも言えるのではないか。観念機能が右脳と左脳の両方で生み出されたということにも繋がるような事象ではないかと思うのですが・・・。

下記は角田教授の事を書いた平成14年の伊勢氏の論文です。類ネットでも過去紹介されてきていますが、改めて角田教授の知見を右脳、左脳の機能分化を考える一つの見識として見ておきたいと思います。

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角田教授は日本人の脳が他の民族の脳と違う点を生理学的に追求してきた。その結果が驚くべき発見につながった。人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野がある。右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理する。左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声 の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。ここまでは日本人も西洋人も一緒である。

   ところが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点で違いが見つかった。西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳で受けとめる、ということが、角田教授の実験であきらかになった。日本人は虫の音を「虫の声」として聞いているということになる。

   このような特徴は、世界でも日本人とポリネシア人だけに見られ、中国人や韓国人も西洋型を示すという。さらに興味深いことは、日本人でも外国語を母語として育てられると西洋型となり、外国人でも日本語を母語として育つと日本人型になってしまう、というのである。脳の物理的構造というハードウェアの問題ではなく、幼児期にまず母語としてどの言語を教わったのか、というソフトウェアの問題らしい。

この違いを考察する前に、こうした結果がどのような実験で得られたのか、簡単に見ておこう。人間の耳から脳への神経系の構造は、左耳から入った音の情報は右脳に行き、右耳から入ると左脳に行く、という交叉状態になっている。
そこで、左右の耳に同時に違ったメロディーを流して、その後で、どちらのメロディーを聴きとれたかを調べると、常に左耳から聴いた方がよく認識されている事が分かる。これで音楽は、左耳、すなわち、右脳の方が得意だと分かる。同様に、違う言葉を左右から同時に聴かせると、右耳、すなわち左脳の方がよく認識する。我々がほとんどの場合、右耳に受話器をあてるのは、このためだそうだ。さらに複雑なテスト方法もあるが、これが最も基本的な実験方法である。

こういう実験で、いろいろな音で、左脳と右脳の違いを調べると、音楽、機械音、雑音は右脳、言語音は左脳というのは、日本人も西洋人も共通であるが、違いが出るのは、母音、泣き・笑い・嘆き、虫や動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎ、邦楽器音などは、日本人は言語と同様の左脳で聴き、西洋人は楽器や雑音と同じく右脳で聴いていることが分かった。

 角田教授の発見では、虫の音だけでなく、そのほかの動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎまで、日本人は言語脳で聞いているという。これまた山や川や海まで、ありとあらゆる自然物に神が宿り、人間はその一員に過ぎないという日本古来からの自然観に合致している。
(中略)

角田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受けめるという日本型の特徴が、日本人や日系人という「血筋」の問題ではなく、日本語を母語として最初に覚えたかどうか、という点で決まるということである。
その端的な例として、南米での日系人10人を調査したデータがある。これらの日系人は1名を除いて、ポルトガル語やスペイン語を母語として育った人々で、その脳はすべて西洋型であった。唯一日本型を示した例外は、お父さんが徹底的な日本語教育を施して、10歳になるまでポルトガル語をまったく知らずに過ごした女性であった。その後、ブラジルの小学校に入り、大学まで出たのだが、この女性だけはいまだに自然音を言語脳でとらえるという完全な日本型だった。逆に朝鮮人・韓国人はもともと西洋型なのだが、日本で日本語を母語として育った在日の人々は、完全な日本型になっている。

   こう考えると、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、育った母語の違いである可能性が高い。「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきだろう。角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか見つかっていない。

 リンクより抜粋

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posted by tanog at : 2021年05月05日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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