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2008年12月29日

坂東は出雲国?(2)

いよいよ今年も押し迫ってきましたが、前回に引き続き、今回は紀伊国を追われた毛野族の秘密に迫ります。
坂東千年王国論【抜粋・一部加筆】
【毛野族の系譜】

記紀の皇統譜欠史八代の倭国とは、元出雲国だったのではないか。
だから「出雲の国譲り」とは、山陰出雲のそれではなく、倭国内の出来事であり、それまでの倭国=元出雲国を構成した成員たちは何処かへ退去、移住する他なかったのである。毛野族が紀伊国から移住し、それまで祭っていた出雲神を聖地ニ荒山に遷したのもその結果であった。
とはいえ、元出雲国の成員の全てが倭国から退去したわけでもない。
例えば、毛野族が東の国へ移った後の紀伊国には、後の紀伊国造族がいた。
葛城高尾張から尾張族が退去しても葛城族は残り、後の蘇我氏となった。
彼等は倭国の新たな倭王権の元でそこに居着いたのである。
同じことは毛野族の内部でもおきたようで、撤退組と居残り組に分れた。

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【ヤマトタケルの東征】

毛野族の倭国あるいは紀伊国からの東の国への移住は疑うべくもない。
とはいえ、その移住が簡単に為されたはずがない。
毛野族の東の国統治記事は蝦夷征伐に終始する。
この蝦夷は東北の蝦夷地とする説もあるが、それは後代のことであろう。
弥生時代後期の古墳時代の初めの東の国には、異なる土器がそれぞれの地域圏を形成していた。
上毛野地方では樽式土器をもつ先住民がいたが、しだいに陶汰されて東海系の石田式土器に取って代わられている。
東の国は後年になっても東夷(あづまえびす)と呼ばれたくらいだから、毛野族が平和な移住であったとは考えられない。
『常陸風土記』は律令体制下になってから編まれたものだが、常陸の蝦夷は討伐されるべき賊として、策略によって皆殺しにする行為を、さながら英雄的偉業のように讃えている。
ヤマトタケルの東征は日本武尊一人というより、この時代の多くの東征を仮託した物語ではないかといわれる。
そこに関係する系譜からすると、あたかも毛野族の東征であるかにみえる。
ヤマトタケルが倭国へ凱旋できなかったように、毛野族もまた東の国へ居着いてしまう。

【毛野族の秘密】

ところが大和国に律令政権が樹立されると、毛野族は東国六腹の朝臣として上毛野君・下毛野君をはじめとする諸族が、大和政権の中堅官僚として登場するのである。
毛野族が紀伊国出身であり、元倭国で出雲神を祭り、国譲りの結果、東の国へ移住したのなら、追われた大和の政権の中枢に、何故、このとき返り咲くことができたのか?

やはり毛野族は、倭国政権による東の国の征討と支配の尖兵だったのか?
問題は「出雲の国譲り」にある。
国譲りに記された「出雲」は山陰出雲国にはない。
それにもかかわらず「出雲の国譲り」の結果としての出雲大社が山陰の出雲国に存在するのは何故か?。

上毛野朝臣三千は『日本書紀』編纂に際して、その立場から自族に有利な内容を採用すべく働きかけたであろうことは容易に想像できる。
とはいえ、例えば系譜を仮冒するなどといった事で満足しただろうか?
もっと国家の誕生に関わる根源的な場面で、自族に有利な展開を望んだのではないか。
毛野族が古来から出雲神を祭祀したことは、覆うべくもない事実としてあった。
しかし、その「出雲国=坂東」を自から手放したという、屈辱的な立場に甘んじることは出来なかった。(ようやく築き上げた坂東の覇権が崩れ去ってしまう。)
そこで山陰にあった出雲国が身代わりとして引き出され、あたかも山陰出雲国が倭国政権に国譲りしたかのごとき「出雲の国譲り」神話が創出されたのだ。
山陰の出雲国には国譲りの主人公という栄誉ある立場と、国譲りの結果を象徴する証拠としての出雲大社が与えられた。
山陰出雲は名を採り、毛野国は実(=坂東の覇権)を取ったというべきである。

>利根川の東側は豊城入彦命を祖とする毛野族、後の上毛野・下毛野氏の一大勢力が繁栄した地域である。また利根川の西側は、出雲臣を先祖とする系譜をもつ武蔵国造が連綿と武蔵国を支配していた。

だが、毛野族は何故そこまでしなければならなかったのか?
それは利根川の西側の「武蔵国の国造族」こそ、山陰出雲の出雲臣の末裔を称する正真正銘の出雲族だったからである。(山陰出雲国の国譲りが共認されることで、正統性を失墜→求心力を削ぎ落とすことをもくろんだのであろう。)
「出雲の国譲り」神話とは、出雲神を祀る毛野族(上毛野・下毛野)と武蔵出雲族(山陰出雲)との、坂東における覇権をめぐっての国家レベルへ持ち出された途方もない謀略(記紀捏造)だったのではないか。

記紀に東国の記述が少ないのは、天津神にとって都合の悪い国津神という理由だけでなく、元同族同士の覇権をめぐる謀略という複雑な要因が隠されていたのです。
毛野族は、こうして自らの出自を完全に消し去り、実=覇権をとったのではないでしょうか?。

投稿者 naoto : 2008年12月29日 List  

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コメント

古代朝鮮人と現代の朝鮮人は全く別種です

投稿者 血は嘘をつかない : 2011年11月7日 06:17

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