私権社会への変遷(弥生庶民の状況分析) |
メイン
2008年03月27日
縄文時代の人口推算について
縄文時代のHPや書物などを拝見すると、よく同時代の人口推定があげられています。
また、この「縄文と古代文明を探求しよう!」ブログでも、人口推定を元にした、紹介や議論がなされたりしているのもよく見かけますね。
「東北地方に縄文遺跡が多いのはなんで?」
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/06/000251.html
「人口減少に憂う縄文人」
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2006/10/000019.html
今回は、この縄文時代の人口推定をされた、小山修三さんの人口推定方法について簡単に紹介してみます。
参考にさせていただいたのは、「縄文学への道」小山修三著です。
結構メジャーな本なので、既にお読みになられた方も多いとは思いますが、お付き合いの程、よろしくお願いいたします。
まずは、推算された人口の表ですが、
「日本人の起源」
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_12.html
で紹介されている表が、わかりやすいのではないでしょうか。
<人口一覧表>
「日本人の起源」
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_12.html
人口密度を地図上に落としたものとしては、
<分布図>
「縄文基礎情報/人口分布」
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2006/10/000014.html
このもととなったデータは、どうやって作られたのでしょうか。
↓続きをごらん頂く前に、ご協力を!!
小山さんによると、縄文時代の5期の人口量をそれぞれの期間内に存在する(当時知られていた)遺跡数から推算したそうだ。
1.各都道府県の遺跡を集め、それを5期(早期・前期・注記・後期・晩期)に分け、さらに北海道を除く9の地域(東北・関東・中部・近畿・中国・九州)に分類。
(上記人口推移表の横及び縦欄に該当)
2.日本で最も古く信頼性が高い、「延喜式」の国別租税高から算出された奈良時代の人口量データ(沢田吾一氏作成)を、先の9地域に分類。
3.2の奈良時代と同じ時期である「土師器」の使用された、土師期の遺跡数を9地域に再集計し、地域毎の土師期の遺跡数に対する人口率を算出。
4.3の土師期の遺跡数に対する人口率を基に、各縄文時代の遺跡数に対する人口率を割り出す。
といった推算方法による。
<土師器>
http://www.city.matsubara.osaka.jp/ky-syakai/bunkazai/chousa/seiri/seiri03.html
具体的には、人口: P=170×C×S の算出式となる。
条件としては、
・縄文及び土師期ともに、もっとも遺跡数の豊富な関東地方での値を基準にし、他地域に応用。
・定数の170は、土師期の関東の人口(943000人)を同時期の遺跡数(5549遺跡)で割った値。つまり土師期における1遺跡当りの人口である。
・Cは、遺跡当りの規模比率
基準とした土師期の遺跡(集落)規模に比べ、狩猟採取である縄文時代の遺跡規模は小さい。
1遺跡当りの遺跡の規模を加味するために、土師期の代表的な遺跡の一つである船田遺跡と、縄文中期の高根戸遺跡との住居址の総床面積の比率を求め、そこから各時代の重み付けを行っている。
前期・中期・後期・晩期は、時代を経ても、おおむねほぼ同じ規模で推移しており、1/7。定着性の弱い早期のみ1/20としている。
・Sは、各時代の遺跡数
まとめると、各時代の1遺跡当りの人口に、同時代のものとして発見された遺跡数を掛けて、各時代・各地域の人口を推算しているというもの。
かつて人が住んでいた遺跡の数を基にして人口を推算しており、考え方としては分かりやすい推算方法ですね。
考えられる問題点としては、
まだ発見されていない遺跡の発見によってその地区の推算人口が変わったり、稲作の開始時期よる弥生時代の見直しの議論があったように、遺跡数や時代区分の仕方によって、推定人口が大きく変わる可能性があるといったところでしょうか。(逆に言えば、何か影響のある条件が出てきた毎に修正をかけた人口数が発表されれば、より精度が高まっていくということでもあるかと思いますが。)
あと、地域ごとに人口および人口密度が推算されていますが、例えば東北地方などかなり広い範囲で1地域としており、その地域に満遍なく人々が暮らしていたような錯覚に陥りますが、環境条件等により実際は地域の中で、もう少し偏って暮らしていたと考えたほうがよさそうです。(ここら辺は、遺跡発見場所の地図上の位置と付き合わせながら、イメージしていく必要がありそうですね。)
ちなみに各時代の大まかな遺跡分布図は、「遺跡分布図から見た生活様式の変遷」に紹介されています。
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2006/11/000033.html#more
少し大雑把な人口推算だとしても、各時代の人口が得られることは、各時代の様子をイメージし把握していく上で、有効な指標を与えていただいたと思います。
投稿者 yuyu : 2008年03月27日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2008/03/477.html/trackback
トラックバック(1)
コメント
投稿者 歴史ファン : 2008年5月4日 00:31
日本人の「真似」する技術が古くから一貫していた、という事実に驚きました(@-@;)