2014年1月22日
2014年01月22日
自考力の源流を歴史に学ぶ8~京都職人文化に集積した自考力の叡智
シリーズもいよいよ8回目になります。前回は「百姓」という呼称の本質から自考力の原点に課題発があり、なんでもできる万能能力や総合性とは与えられた課題を選ぶことなく真摯にこなしてきたその結果であることを学び取りました。
今回は古来から職人が結集し、長く職人文化を育んできた京都にその源流はないか探ってみたいと思います。現代を生き抜く経営者の生の言葉をできるだけ多く扱い、その言葉の背後にある、職人文化の歴史が育んだ考え方や価値観に学んでみたいと思います。
いずれも京都の職人さん達の写真から借用させていただきました。
参考にさせていただいた著書は村山祐三様の「京都型ビジネス」です。
キーワードは著書の中から以下の3つを選ばせていただきました。
・切磋琢磨・おもしろおかしく・人に尽きる
それではこれらのキーワードの中身について京都で暮らし、働く人々の言葉から耳を傾けてみたいと思います。
投稿者 tano : 2014年01月22日 Tweet
2014年01月22日
日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~ 2、平安時代~平安貴族による安定した社会秩序の形成~
<平等院鳳凰堂 http://www.google.co.jp/imgres?sa=X&hl=ja&rlz=1T4SNJE_jaJP509JP510&biw=1242&bih=579&tbm=isch&tbnid=LEqV1Tll14VWfM%3A&imgrefurl=http%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Fculture%2Fupdate%2F0710%2FOSK201307090205.html&docid=F6MVmOwL7OAD0M&imgurl=http%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Fculture%2Fupdate%2F0710%2Fimages%2FOSK201307090206.jpg&w=500&h=288&ei=dV7eUteMNoG-kAXU5YH4Aw&zoom=1&iact=rc&dur=2066&page=2&start=8&ndsp=12&ved=0CHoQhBwwCwより引用>
みなさん、こんにちは 今回から『日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~』の本編をスタートさせます。
まずは、平安時代の帝王学を見ていきます。
●平安時代とは?
Wikipedia平安時代http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3より引用します。
平安時代(へいあんじだい、794年-1185年/1192年頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府の成立(平氏政権で一時期福原京が造営された)するまで政治上唯一の中心であったことから、平安時代と称する。
一般的に、平安時代は貴族(藤原氏)全盛の時代と言われています。
この時代は、古今和歌集や竹取物語に代表される詩歌、物語文学、日記・随筆が栄え、その他にも建築、絵画、仏教流布など、様々な文化が栄えました
教科書的にも、「貴族文化が華やいだ平安時代」という紹介が多く、この時代の支配者層(貴族)は、権力の上に胡坐をかいていただけで、帝王学なんて崇高なものは持ち合わせていなかったと捉えている方も多いかと思います
しかし、平安時代は社会秩序が安定していたと言われる江戸時代よりも長い期間続いた時代です。江戸時代は約260年続いたのに対して、平安時代は約390年。
これに対して、平安時代は初期、中期、後期と3つの時代に分けることができるので、一概に時代年数だけで江戸時代と比べるのはどうかという方もいます。
確かに、平安時代は貴族同士の小競り合い、蝦夷討伐などの争いもありましたが、社会が壊滅するほどのカオス(混沌)に陥ったことはなく、大局的に、秩序化された社会が実現されていた時代、あるいは「秩序化された社会を実現しようと試みた時代」と捉えることはできるのではないでしょうか?
当然、統合階級である貴族が遊び呆けていては社会の秩序化は実現されません :blush:
それではなぜ、秩序化された社会が実現できていたのでしょう
平安時代を貴族文化が華やいだ時代と見るのは一面的な見方で、むしろ、平安時代は「日本の帝王学の根底に流れるもの」を創出した時代といえます
続きに進む前に応援のほど、よろしくお願いします
投稿者 marlboro : 2014年01月22日 Tweet