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2008年01月26日

アステカの信仰と国家(集団)統合様式の関係

現代の社会は政治も経済も市場もすべてが国際情勢に影響されるグローバル社会です。しかし、考えてみれば、そのほとんどの主導権は西欧文明の価値観に支配されてきたと言えます。一方、市場縮小や環境問題などに代表されるように、この西欧の文明支配はいたるところで、ほころびを生じ、そろそろ限界が見えてきました。
これからは、現代の統合様式に変わる新しい社会統合の可能性を模索する時代と言えそうです。
そもそも、社会の統合様式は何によって決まってくるのでしょう?
現在では、まだまだ謎の多いメソアメリカの古代文明の中には、西洋・東洋と違う何かがありそうです。
今回は、その中でも、人々の意識と密接な関係がある信仰にスポットを当てて見たいと思います。%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%AB%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89.jpgピラミッドの風景写真」より
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文明が最も早く起こったとされるメソポタミアなどから、武力国家の統合様式としてかなり普遍的な信仰と国家形成の段階が示されています。それによれば、初期には「精霊信仰」⇒続いて「自然神」⇒そして人格を持った神「人格神=神話の段階」⇒「守護神」と進み、最後は「王の神格化」(支配者の神格化、支配の正当化)によって、強大な武力国家が形成されていったとされています。
守護神信仰は、武力支配や異民族支配の正当観念を生み出したと言えます。また、王の神格化の段階では、冨の集中から私権の共認(私有意識)が図られます。
るいネットに関連投稿があります。「信仰・宗教観念の認識論整理
このように、古代宗教 国家統合様式は密接に関わっていますが、メソアメリカの古代国家は、この段階と重ね合わせるとどこに位置づけられるのでしょう。
メソアメリカ(アステカ)では、アステカの神話にも見られるように、多くの神々が存在しました。そこから読み取れるのは、「太陽神信仰」⇒「守護神信仰」⇒そして政を司る神託者としての王や神官の登場までが確認できます。200px-Huitzilopochtli_1.jpgウィツィロポチトリ~太陽神「Wikipedia」より
しかし、王の神格化の段階には到っていないようにも思えます。これは武力支配・異民族支配の正当化観念はあったものの、私有意識は芽生えていなかったと理解できそうです。
他方、信仰を「一神教」「多神教」「八百万の神」・・・などに分類すれば、多神教の段階と言えます。一般的には一神教のように唯一神信仰の場合は排他性が強く、私権性の強さとも密接に関わっているようです。以下のようなサイトも引用させていただきます。
「義経思いつきエッセイ」より

哲学者の梅原猛氏が、(2004.7.20)で、面白いことを言っている。
「一神教は、守が破壊されて荒野となった大地に生まれた種族のエゴイズムを上の意志に固くする甚だ好戦的な宗教ではないか。この一神教の批判あるいは抑制なしには人類の永久の平和は不可能であると私は思う」
よくぞ、ここまで、ズバリと言われたものだ。きっと梅原は、自己の哲学的信念のすべてを賭けて、このような本音の言葉を吐いておられると思った。
梅原は、一神教と多神教の分かれ道が、農業生産の違いによって引きおこされたと主張する。
「小麦農業は人間による植物支配の農業であり、牧畜もまた人間による動物支配である。このような文明においては人間の力が重視され、一切の生きとしけるものを含む自然は人間に支配されるべきものとされる。そして集団の信じる神を絶対とみる一神教が芽生える。
 それに対して稲作農業を決定的に支配するのは水であり、雨である。その雨水を蓄えるのは森である。したがって、そこでは自然に対する畏敬の念が強く、人間と他の生き物との共存を志向し、自然のいたるところに神々の存在を認める多神教が育ちやすい。」

一方多神教などは、多くの神を以下に共存させるかという視点から、排他的にはならず、受容的な国家とも言えそうです。多くの神を序列化することで、それぞれの役割を明確化し、部族国家間で共有していることから、力のある国が周辺部族を支配しつつも、共存の道をたどったことが理解できます。
そう考えると、「私有権の共認」が、現代になってみれば世界の文明の分岐点と言えるかもしれませんね。

投稿者 hiroshi : 2008年01月26日 List  

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