2011年8月20日

2011年08月20日

著書分析より明らかにする日本支配の始まり3~日本に伝わる倭族の習俗~

こんにちわちわわです。
前回の~長江の倭族が日本にたどりつくまで~では、呉が越に敗れた紀元前473年以降、倭族である呉の農民が稲作を携えて朝鮮半島と日本に流れてきたことを紹介しました。
今回は引き続き、日本に伝わる倭族の習俗に焦点を当てその根拠を補強するのと同時に、後に朝鮮半島からも倭族がやってきた事実も証明していこうと思います。
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以下、『古代朝鮮と倭族』より要約します。
朝鮮半島の中・南部には倭族に属する辰国が建国されていた。それが後に馬韓・辰韓・弁韓に分立するが、それら三韓はなお馬韓の辰王によって統べられていた。
ところが、東扶余国から帯方群に亡命していた王子が、4世紀半ばすぎ東晋の支援のもとに、馬韓を討ち、馬韓の地に百済国が建国される。
支配者の交替はただ政治権力の移行に止まらず、かつての風俗慣行までも変容される。殊に馬韓の神話は、更迭した百済の王権によって抹消され、今ではその内容を知ることができない。
しかし幸いにも、馬韓の特殊な習俗としての「蘇塗」のことが、『後漢書』『三国志』『晋書』の馬韓伝に記されていた。
「又蘇塗を建て、大木を建て以って鈴鼓を懸け、鬼神に事う」 (後漢書・東夷伝・馬韓)
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        済州島のタプ
「蘇塗」とは円いドーム形の仏塔に似た築造物で、円錐状に石を積み上げた塔をさしたものと解される。また、蘇塗のある範囲を聖域と認め、その聖域をも蘇塗と呼んでいた。
蘇塗のある地域へ逃亡者が逃げ込むと捕らえることができず、そのため悪人をつくりやすいと記されている。聖域にのがれると、誰であろうとも捕らえられないというのは、世界に広く見られる習慣である。
前記三書以後の文献から蘇塗の習慣は消滅するのだが、朝鮮本土の錦江流域済州島には現在でもまだ息づいて残っていた。それは塔(タプ)と呼ばれ、村の入口に設けられて悪鬼や病魔の侵入を防ぐことから、防邪塔ともいわれている。
その頂部には自然石の立て石、もしくは自然石の鳥の形象物が置かれている。
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投稿者 tiwawa : 2011年08月20日