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2012年08月30日

シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」~8.明治以降の天皇の正当化と庶民の信仰

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天照大神と淫祀とされた民間信仰
 こんにちは!「日本人はなぜ無宗教なのか?」【阿満利麿著】より、ご紹介しながら、明治時代の庶民信仰の移ろいを見て行きたいと思います。
前回、【神話から出発した日本の近代】では、明治維新、新政府が国家神道という天皇支配を推し進める中、国内外の批判を浴び、神道は宗教に非ずというイデオロギー=倒錯観念を生み出し、国家統合を図ろうとしました。これらの政策で、庶民の信仰や意識は、どのような影響を受け、どうなっていったのでしょうか?そして、我々日本人は何を信じてきたのでしょうか?その解明するのに役立つかも知れません。では、見てみましょう・・・・

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当時の日本の状況
 諸外国の圧力に適応するため、明治維新、新政府が天皇支配を正当化し、天皇は日本をつくった神の子孫であるという論理を用いてさまざまな圧力を民に加えました。また、一方で、国外への体裁をも整えてきました。国内では、天皇のもとに中央集権を確立してゆくには、どうしても天皇を絶対視する(唯一視する)宗教、または、それに近い教化・洗脳手段が不可欠でした。
 そのため、教部省による神仏合同によって、神々や天皇の崇敬を説く教化・啓蒙運動を展開しましたが、たちまち、国内外から抵抗にあって頓挫してしまいます。しかし、国家の中枢にいた支配者は、富国強兵・殖産興業・脱亜入欧を目指した近代国家を確立する為、「信教の自由」は不可欠で、彼らは、表面的には一歩譲ったように見せかけて、天皇を絶対視するイデオロギーの創出を中断することはなかったようでした。
それが、神道非宗教論と呼ばれるものです。天皇を絶対視する神道を「信教の自由」の見地から、直ぐに国教化できないのであれば、その神道を宗教とは見なさなければよいという倒錯観念を生み出すことになります。この倒錯観念は、神道を国民に強制しても、「信教の自由」には一向に抵触しないという論理で民衆に展開されます。
 神道非宗教論を提唱した井上毅は、「朝憲(朝廷の掟、国家の掟)」と「教憲(いわゆる宗教)」に分け、神道=宗教は近世の少数の国学者が言い出したもので、本来は、祖先を崇敬し、祭祀にしたがうことであって、あくまでも国家の掟、朝廷の掟に属することである。神道の祭祀を、宗教の礼拝、祈念と同等であると考えるのは間違えだと主張しました。国家の掟である以上、国家を構成する人民がそれに服するのは当然だという倒錯観念が生み出されます。彼は、内外の体裁と政府の意向を神道非宗教論としてまとめ、政策として実行してゆく論理を作り出してしまいました。
 その結果、神道も仏教も民間信仰もほとんどが破壊・再統合され、無宗教感が加速されました。
「日本人はなぜ無宗教なのか?」【阿満利麿著】の【8「自然宗教」の分断】より、天皇崇拝以前の日本人の伝統的な信仰生活をご紹介します。

では、「天皇崇拝」以前の、日本人の伝統的な信仰生活とはどのようなものであったのか。その好例は、民家における神仏の祭り方であろう。土間には、火のカミや水のカミが祭られており、敷居にも敷居のカミがいた。板間には、普通囲炉裏があって、その背後には仏壇や神棚があり、家の先祖や鎮守の神が祭られている。そして、座敷には、立派な神棚があって、伊勢神宮や八幡神社、春日神社、鹿島神宮といった有名大社のお札が祭られている。
 土間のカミガミや、板問の先祖、鎮守の神は、一家の主婦が祭るが、座敷の神は一家の主人が祭ることになっていた。日本中の神々が集まるという神無月にも、土間のカミガミは出向くことはなかった。
 土間の暮らしは、弥生時代以来の、掘立小屋の伝統が残っており、板間には、寝殿造りの暮らしの片鱗が残っている。また、座敷の暮らしには、室町時代以来の武家の書院造りの伝統が息づいている。日本の民家には、このような日本の長い歴史が集約されているというわけである。
 問題は、土間と板間と座敷にそれぞれ祭られている、神仏の相互関係にある。結論だけをいえば、これら三者には、密接な相互関係がある。それは一言でいえば、身近なカミガミから、より遠く普遍的な神仏へ、という図式なのである。

 日本人は、身近で親しみのあるカミから、そのカミを通じて、霊力の強い神仏に連なり、さらにもっと遠くの、しかしいっそう強力な霊威に服する、といった信仰の段階を組み合わせて暮らしてきたのである。むつかしくいえば、特殊と普遍の組み合わせということになろう(詳細は、拙著『法然の衝撃』、『国家主義を超える』参照)。
 神と仏の関係も、同じである。神々には、この世のことを願い、仏たちには、神々の導きによって、あの世や来世のことを願うという暮らしをしてきた。そこには、神仏の間で一種の棲み分けがあったといってもよいだろう。
 いずれにしても、身近な存在からはじまって、だんだんと見知らぬ、しかし霊威の強い神仏へと広がって行くという構造が、日本人の精神生活の大きな特徴であったといわねばならない。
 このように、一家のなかに存在する神仏は、一見雑然と祭られているように見えるが、明らかに一つのシステムを構成していたといえる。そして、そうした特殊と普遍というシステムは、一つの家のなかだけではなく、一つの部落のなかの神仏のあり方にも貫徹していた。

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かまどの神と呼ばれる釜神
著者曰く、「こうした、特殊と普遍という組み合わせからできていた信仰のシステムが、大幅に変更を余儀なくされたのが、明治維新によって出現した「天皇崇拝」を中心とする「国家神道」の成立にほかならなかった。」といいます。それは、天皇という一神教的な国家神道が、そのような神々が役割・課題を分担して共有され、共存してきた自然宗教の多神教の世界を否定したことからその信仰対象が曖昧になっていきます。

 日本人の信仰は雑多で曖昧だとは、よく耳にすることだが、果たしてそうであろうか。
私の見るところ、「雑多」で「曖昧」になったのは、明治以後、「天皇崇拝」を中心とする「国家神道」が勢いを得てからのように思われる。
 正確にいうと「天皇崇拝」のシステム自身は、天皇を頂点とする一神教的な、新しい国教と見なしてもよいくらい、それなりの体系と一貫性をもっていたのであり、そのなかに組み込まれた人は、明快な「天皇崇拝」をもつことができた。しかし、その「天皇崇拝」のシステムが排除したり、破壊した領域に暮らす人々にとっては、従来の一貫した信仰生活がかえって分断されることになり、そこに、とまどいと「曖昧」さが生じることになったのであり、「雑多」という批判に対しても、それをくつがえすだけのエネルギーをもちあわすことができなくなってしまったのである。
・・・中略・・・
 明治維新は、何度も繰り返しているように、天皇中心の政治体制を作り上げることがねらいであり、神々の世界においても、天皇の祖先神であるアマテラスを唯一絶対的な神として、大規模な再編が行われるようになった。
 そのために打ち出された政策が、「神仏判然令」、つまり廃仏毀釈であり、また「神社合祀令」なのであった。この結果、まず、神社から一切の仏教色が一掃され、その余波が、地方によっては仏教寺院の全面的破壊、僧侶の強制的還俗にまで進んだ。
 この段階で、仏は神という手足を失うことになり、現世でどのように活動すればよいかが分からなくなった。神も、それまでは仏に任せていた、来世の保証という領域を引き受けねばならなくなった。しかし、伝来の分業が廃止された後の、このような課題は、神仏ともに、ついに今にいたるまで十分な解決を見るにいたってはいない。仏教の主流は、依然として「葬式仏教」の道をひた走っており、神々は、相変わらず、死穢の問題を解決できずに、死後の問題を棚上げにしたままである。
 「神社合祀令」は、全国の神社を、「天皇崇拝」にとりこむものと、そうでないものとに、あらためて篩にかける政策であった。アマテラスを絶対神として、伊勢神宮を頂点とする神社組織が新たに設けられ、その組織には、中央政府によって任命された神官が、天皇の官僚として天下ってくることになった。世襲の神主は、国家の祭祀を私有するものとして廃止された。問題は、官僚としての神官を、全国の神社に配置するには、予算に限度があるため、神社の方を整理して、一地域に一つの神社を置くという、神社の統廃合を実施することになった点にある。
 神社を政治的に統合整理することは、身近で親しい神々の否定につながった。今まで村の氏神として厚い信仰を得ていた神社が、突然他村に合併されるのである。合併後もはるかな道のりをたどって、その氏神に詣でることができるであろうか。身近な神々を失ったあとには、新たな「天皇崇拝」が強制する、見も知らぬよそよそしい神々が待っていた。
 加えて、神々は、国家によって正統とされるものを除いて、多くが淫祀(祠)、つまり、いかがわしい神々というレッテルが貼られて、その信仰が禁止されてしまった。また、文明開化の名の下に、「迷信」や「祈祷」も排除されるようになってしまった。
 要するに、身近で親しいカミガミや名もない神々が、信仰の対象からはずされることになった。日本人の信仰を支えていた特殊な部分、つまり、日本人の信仰の毛根の部分が排除されることになったのである。毛根を切られた木々がどうして順調に育つであろうか。日本人の精神生活は重大な危機を迎えたのだが、そのことに気づいた人は、きわめて少数であった。
・・・中略・・・
 こうして日本人は、長きにわたって維持してきた、特殊と普遍という組み合わせからなる信仰のシステムを放乗せざるをえなくなり、表面的に雑多と見えた信仰が、文字通りの「雑多」、「曖昧」になってしまったのである。
 それだけではない。神々に対する信仰は、「祭祀」と「祈願」にも分離されてしまった。さきに紹介したように、井上毅は、神道とは宗教ではなく、国家の「祭祀」だと主張した。だが、神々への信仰は、それほど簡単に「祭祀」と「祈願」に分離できるものであろうか。
 考えてもみてほしい。神社に参拝したとしよう。だれが、祈願もせずに、柏手を打つという儀礼だけをすることがあろうか。祈願があってはじめて、柏手という儀礼がともなうのだ。それを、神道とは柏手を打つという儀礼だけにとどめようというのだ。たしかに、祈願のない儀礼は、信仰に似て信仰にあらざる営みであり、その意味では、見事に「非宗教」が実現できたのかもしれない。しかし、神社信仰において、それは自殺行為であった。
 その自殺行為を、明治の為政者たちは、「天皇崇拝」の名の下に実行したのである。また、神社関係者の大部分も、こうした政策を積極的に受け入れた。こうして、神道式の壮麗な国家行事が、神道という宗教から切り離されて国民生活に君臨することになった。
・・・・中略・・・・
 いずれにせよ、神道を含めて日本の「自然宗教」は、明治政府の「天皇崇拝」のイデオロギーのもとで、そのシステムや約束事を大きく変更せざるをえない状況においこまれることになった。しかも、やっかいなことに、「創唱宗教」に見られる職業的宗教家が「自然宗教」には不在であったために、こうした危機的状況は、ほとんど自覚されることなく、現在にいたっているのである。・・・・後略・・・・

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いかにも宗教家らしい著者の宗教観であります。日本の長い歴史を見れば、外国の圧力に屈して対外政策を天皇中心とする中央集権国家を目指す反面、国内では、支配者は、民への横暴な圧力を加える半面、配慮の同時に行ってきました。その結果、庶民のお上意識と相まって、この無宗教という雑多・曖昧な価値観を生み出していったのだろうと思います。通常、欧米では、唯一絶対の神は宗教カテゴリーに属し、それ以外を排除し、唯一神を強要してきました。
 著者曰く、「日本では宗教と見なさない「この似非宗教(=国家神道)が、本当の宗教よりも力をふるい、支配者=国家は、神道式の国家儀礼を、どのような信仰の持ち主に対しても、「非宗教」なるが故に、強制できた」といいます。
 また、日本人は、ヨーロッパに学ばなくとも、互いに他人の信仰を認めあい、家々の異なる神々を敬い合うという多神教的価値観に根ざした、立派な「信教の自由」をすでに自前で手にしていたのである・それくらいのことは、当時の日本人はわかっていたと断言します。
 非宗教の国家神道が、著者の創唱宗教と命名する神道・仏教のみならず、キリスト教も公的には否定して、一切の宗教色を排除していきます。
また、当時の習俗・風俗として深く民衆の心に刻み込まれた自然宗教や日常主義もまた、近代国家の名の下に、徐々に解体されていきます。支配者の意識(上(諸外国)には従順・下(民)には横暴という意識)と民への配慮(神仏習合や夜這い禁止令などの習俗の公的否定がなされるが、葬式仏教や檀家制度・夜這いさえも残り続け、完全ではない形で規制されること)がなされ、ますます、信仰・宗教の概念が曖昧になっていきます。
 また、天皇を唯一絶対(一神教的存在)とする国家神道を受け入れる側の民衆は、お上捨象意識(やむなく受け入れるが現実に充足する対象があるので、お上のやることはどうでもよいという意識)で、アマテラスをやむなく受け入れていきます。庶民にとっては、天皇(アマテラス)を受け入れたからといって、充足の場である村落共同体が破壊されない限り、現実は変わらないわけで、その意識はあまり大きく変化していないように思われます。これらの意識が変わるのは、都市化・市場化が完成する大正から昭和初期で、この事実は、私たちの習俗・風俗・信仰があまりかわらなかったことを裏付けています。
 こうしてみると私たちは何を信じてきたのだろうか?とふと疑問になります。明らかに観念の世界では到底及びも付かない共認世界の潜在思念そのものなのかもしれません。その潜在思念の本源性とは、精霊信仰の成立の過程からあまり変化がないものとも思われます。自然現象の全てに魂が宿るという協働性や協調性・受け入れ体質や肯定視観・共感充足や男女和合・仲間意識などが連綿と心底に強く残っており、それらを基盤とした現実直視の視点を信じてきたのかもしれません。
次回は、時代を遡って、精霊信仰や祖霊信仰の成立を見て行きましょう。私たちが信じてきたものの深層が明らかになるかも知れませんね。
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投稿者 2310 : 2012年08月30日 List  

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