中国人とは何者か? ~交易からみた中国史1 |
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2011年07月07日
中国人とは何者か? ~交易からみた中国史2
(続き)
◆唐帝国の衰退
http://www.eonet.ne.jp/~libell/1tou.html
・五胡十六国時代の戦乱によって、大量の逃亡民(難民)が誕生。
→難民を取り込んで土地を開拓する強大な荘園領主が登場。
⇒唐王朝は、一般農民の土地の私的所有を認めた。
⇒加えて、彼ら農民を徴兵し、軍団を作り上げる。
→その結果、地方軍閥が誕生。半独立していく。
彼らが地方都市で盛んに商取引を行う
★中国の歴史は、国家体制として捉えると、中央集権と地方分権を交互に繰り返している。
・地方分権(小国家が乱立している)
→戦乱が続く→統合気運の上昇
→中央集権国家に
・中央集権国家を維持するために、地方に司令官を派遣
→地方司令官が私腹を肥やす
→地方で半独立=地方分権化
→小国家が乱立する
中国交易史5 (隋・唐)中央集権と地方分権は交互に繰り返される
◆唐末期→五代十国時代
http://www.uraken.net/rekishi/reki-chu11.html
☆高倍率の科挙制度によって大量の落第者が生じる
→彼らは、インテリでありながら、中央政府への反感を強めた
☆財政再建の必要から、塩の専売を始める
→塩の密売人が跋扈する原因となった
★「科挙を落第し続けた結果、塩の密売人になった者」が、唐を滅亡に追い込んだ(黄巣の乱)
★商人の横の繋がりである幇(バン)が成立してから500年余り経っているが、王朝を転覆させることができるほどの力を付けていたと言える
☆その後、中国大陸は小国家が割拠する時代に入るが、江南地方の小国家が海洋交易に力を入れた。
中国交易史6 (唐・五代十国)塩の密売人が唐を滅ぼす
◆北宋
http://www.uraken.net/rekishi/reki-chu11.html
☆宋では、地方司令官が力を付け反乱することを防ぐために、科挙により登用した文民が軍隊を管理する体制へ
→軍が弱体化したため、北方遊牧国家への貢物によって平和を維持しようとする
→官僚の維持と貢物のために、財政が逼迫
→財政再建のために、専売制を強める
→密売人が横行し、管理交易を裏で、私交易が盛んになる
中国交易史7 (北宋)本格的な科挙制度→文官統制国家に
◆南宋
http://www.uraken.net/rekishi/reki-chu12.html
12世紀初めに中国南部に支配域を移した南宋であったが、北宋時代から経済の中心が長江流域から江南地方に移っていたため、海上交易を中心に発展する。唐時代からの東アジア交易圏に、中国人交易人が本格的に登場する。史上最初の海洋交易帝国であり、(西洋に遡ること400年前に)史上初の大航海時代が始まったと言われる。
この結果、江南地方での造船業が急速に発達し、加えて製紙・火薬、羅針盤が発明され改良されていった。
・7世紀以降の海洋交易を主要に担ってきたのは、イスラム商人だった。
☆10世紀以降、東アジア~東南アジアの海洋交易路に中国商人が進出し始める。
→それまで朝貢交易(管理交易)が主であった東アジアで、私交易が盛んになる。
→私交易を担った商人達が、日本列島の各地にも進出する
→日本の地方武士たちが、交易によって利益を得て、力を蓄えいく
⇒こうして力を付けた武士が政権を樹立(→鎌倉幕府へ)
※江戸時代の藩主も、重要な交易路に飛び地を持っており、交易を重要視していた。(ex.伊達家・仙石藩が近江や愛媛県に領地を所有していた)
☆中国で発明された製紙、火薬、羅針盤は、イスラム商人を通じてヨーロッパにもたらされた。
→イスラム・ヨーロッパではさらなる改良が加えられ、16世紀からのヨーロッパでの大航海時代を支えることになる。
中国交易史8 (南宋)史上初の海洋交易国家
《まとめ》
西洋の歴史も略奪と交易の連続だが、中国の交易史はそれとは大きく違うことが分かる。
まず、東アジアの交易が「朝貢交易=国家による管理交易」を基盤にして、発展していったことが挙げられる。ヨーロッパが市場として成熟する基盤に何度となく続けられた十字軍遠征=略奪交易があったこととは大きく異なる。
また、10世紀前後から始まった宋における「東洋の大航海時代」も、その後のヨーロッパにおける「西洋の大航海時代」と大きく異なり、原住民の大虐殺と略奪などほとんど無かった。
加えて、中国大陸は秦が統一して以降、基本的には中華帝国が登場しては消えて行った。分裂することはあっても、分裂状態がずっと続くことは無かった。
一方のヨーロッパは、十字軍遠征→大航海時代と市場が拡大にするにつれて、分裂が進んでいく。これには当時から力を付け始めていた金融業を営む「金貸し」の存在が大きい。金貸しにとっては、国が小さく分裂し、戦争を起こしてくれた方が、金儲けの機会は増える(両方にカネを貸しておけばいいから)。
中国の商人と、ヨーロッパの商人→金貸しの存在の違いが、歴史や国のあり方を大きく変えたことになる。
(ないとう)
投稿者 staff : 2011年07月07日 TweetList
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コメント
投稿者 tano : 2012年2月19日 04:02
日本人の根底にある「縄文気質」という切り口に興味があり、読ませて頂いています。
ロシアから捕虜を帰還せせた鳩山首相は、庶民派だと思います。
戦後日本の足場固めにおいて、二極化して語ることは、わかりやすいでしょうが、難しいと感じました。
縄文気質に関しては、中国の少数民族であるソン族に伝わ大歌や韓国のミタンの歌などは文字を持たなかった時代に歴史や暮らしを伝承させてきた文化の名残がみられます。アイヌや日本の山村に残っていた文化とも重なります。
縄文的なの文化は広くあるけれど、武器を捨て、武士も刀を抜かずに生活する「心の伝承」が日本人なのかなと思っています。
子供の体に、大人以上の柔軟な頭脳、少年探偵コナンですかね。
投稿者 風雅こまち : 2012年2月19日 10:07
風雅こまちさん。心温まるコメントありがとうございます。
敵を作らない「縄文気質」「縄文体質」は私権時代には時として弱い性格、敗者の気質として西欧の肉食系民族達の後ろからついていっていましたが、これからの時代西洋型文明が後退すると同時に表舞台に登場していくものと確信しています。
>戦後日本の足場固めにおいて、二極化して語ることは、わかりやすいでしょうが、難しいと感じました。
ここについてはこの記事の本質に関るのでぜひ記事を書いた方に答えをお願いしたいと思います。
投稿者 tano : 2012年2月19日 18:01
なるほどです。
昭和がいまだに懐かしいのは高度経済成長だけではない何かがありそうですね。究極の危機ゆえに作動した縄文体質。この視点は頷けそうです。