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2010年07月17日

シリーズ:「国家と市場」第7回 【人類の新たな活力源=圧力源】

これまでのシリーズで「国家と市場」の構造を扱ってきましたが、その中で、より根底にある社会の活力源=圧力源も触れていました。
これまでの社会(私権時代)は生存圧力に基く私権闘争の圧力が活力源となっていたが‘70年以降(貧困の消滅以降)私権闘争の圧力は衰弱して、誰の目にも活力ダウンは明らかになった。
そしてこのまま、社会は活力ダウンし続けて衰弱に向かうのか?
いいや、社会(人類)は、新たな活力源に向かっているのです。
第7回は「人類の新たな活力源=圧力源」について記載した記事を紹介します。
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~以下は「るいネット」より引用~
「超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源」

では、人類の新たな活力源⇒圧力源は何か?
それは、すでに実現論4_1_00『人類500万年のパラダイム転換』に明示されている。
>サル→人類が共認機能→観念機能を武器に進化してきた動物であり、その生存と進化の前提条件の一つであった物的生存圧力(自然圧力と外敵圧力)⇒物的生存課題をほぼ克服し得たのだとすれば、あるいは少なくとも動物的な生存圧力はもはや主要な活力源たり得ず、従って物的生産はもはや第一義課題たり得ないとしたら、残るのは同類圧力の活力源しかない。人類は、これまで500万年に亙って自然圧力・外敵圧力だけを対象とし(そして期待・応望の同類圧力を生命源として)、共認機能と観念機能を進化させてきた。そして5500年前(日本は2000年前)、同類闘争圧力が加わるや否や、わずか数千年で、自然圧力・外敵圧力をほぼ克服してしまった。
これから先、人類は同類圧力(同類闘争圧力も含む)を主活力源として、共認機能・観念機能を更に進化させてゆくしかない。元々サルは、同類圧力を主活力源として共認機能を進化させてきたのだから、それは基本的には充分に可能である。

始原人類の活力源は、物的生存圧力(自然圧力・外敵圧力)と同類圧力であり、文明以降の人類の活力源は、人為的に作られた飢えの圧力+同類闘争圧力(負けると殺されるか奴隷にされる)である。要するにこれまでの人類の活力源は、不全課題(生命危機を回避する)を克服する事であったと言う事も出来る。
ところで今後の人類の活力源は?

>また、既に動物的な生存圧力を克服した共認社会では、環境その他の人類的課題に対する期待・応望の同類圧力=共認圧力が解脱充足と並んで主活力源となり、人々の期待に応える政治や哲学や科学や芸術が主活動となる。そして、期待・応望を主活力源とするそれらの活動は、評価収束によって必然的に創造闘争=共認闘争の圧力を形成し、それが期待・応望の主活力を加圧する。
つまり、共認社会の同類闘争は、人類的課題に応える創造競争=共認闘争となる。(政治であれ哲学であれ科学であれ芸術であれ、提起された認識は共認の獲得を目的としており、最終的には社会共認となることを目指しているので、創造競争は本質的には共認闘争である。)
但し、あくまでも人々の期待に対する応望が主目的であって、闘争が主目的なのではない。闘争圧力は、評価収束によって期待・応望から必然的に派生する期待・応望の強化圧力であり、それによって人類的課題に対する期待・応望の活力は、極めて強力なエネルギーを持つことになる。

これからの人類の活力源は、共認充足課題(人類課題に対する期待・応望)に向かっての共認闘争圧力である。

>人類的課題に対する期待と応望を主活力源にして創造活動を営み、評価収束による創造競争(=新たな同類闘争)によって圧力=活力を高め、その同類闘争を同じ評価収束⇒評価共認によって統合する社会、これは原始人には夢想だにできなかった社会である。
にも拘らず、同類圧力=共認圧力を生命源とする社会であるという根本パラダイムは、極限時代と同じである。ただ人類は、動物的な生存圧力の場を超えて、超動物的な同類圧力=共認圧力の場へ移行する段階を迎えただけである。それは、共認動物が到達するべくして到達した必然的世界であり、実は滅亡の危機に瀕した今こそ、動物的限界を引きずっていた前史が終わり、真の人類史が始まる、その起点となる時なのである

現代社会の問題点探る為に「国家と市場」の観点から『基礎構造は?』と見てきたが、『より本質は?』との追求で「人類の活力源=圧力源」まで遡って始めて、普遍性の高い解答が得られた。そして現在が人類史上の大転換時期である事も納得がいくものであった。今回は、人類(社会)の活力源を見て来たが、次回は、人類(社会)の統合原理をみてみたいと思います。

投稿者 ryou : 2010年07月17日 List  

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コメント

仏教の位置づけは日本史の中でも登場時期の国家仏教から鎌倉時代の大衆仏教、桃山時代の市場と直結した教団仏教と大きく3つに分かれると思います。
その時々で仏教は為政者に利用されてきたのではないかと思いますが、それでも大衆に支持され拡大していったのは、仏教も同じようにいいとこどりをして日本風に改変されたからではないでしょうか?
神仏習合とはまさにその象徴ではないかと思います。

投稿者 tano : 2010年10月2日 22:22

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