2013年9月13日
2013年09月13日
江戸時代は縄文の再生4.~鎖国によって防いだキリスト教の侵略~
江戸時代と聞いて必ず浮かんでくるキーワードに「鎖国」を挙げる人は多いと思います。多くの人々にとって、江戸時代の日本が「鎖国」であったというのは、一種の常識になっているかもしれません。
しかし、最近の研究で、「鎖国」という言葉は、実は17世紀の段階では存在していなかったことが分かっています。つまり、江戸幕府にはみずからの政策を「鎖国」とみなす認識はなかったということです。
それは、松平定信が林述斎(はやしじゅつさい)に編纂させた幕府の正史(明示以降は『徳川実紀』と呼ばれる)からも伺えます。徳川実紀の記述から判断するかぎり、寛永10年から寛永16に出されたいわゆる「鎖国令」について、必ずしもその全てについて触れられておらず、幕府の「鎖国」的な政策に対する関心の薄さが見て取れます。寛永16年のポルトガル船の日本来航禁止令についても、「邪教」すなわちキリスト教の弾圧に関する記述が中心になっています。
この「徳川実紀」の編纂スタンスは、幕府の本当のねらいは、「鎖国」=国を閉ざすことではなく、キリスト教の禁圧と、そのために必要なポルトガル人の追放であったことを物語っていると言えます。
実際、日本が「鎖国」後に「通信」「通商」のかたちで交渉をもったのは、キリスト教を日本に押しつけようとしない国々でした。
投稿者 hi-ro : 2013年09月13日 Tweet