2013年6月25日

2013年06月25日

「江戸時代は縄文の再生」プロローグ

みなさんこんばんは。
今回は前シリーズ「東にあったもう一つの日本」を引き継ぎ、江戸時代の解明に入っていきます。徳川家康が関ケ原の合戦に勝利し、天下統一を果たした時に言った言葉があります。
地図の江戸の辺りを指差し、「ここへ幕府を置く」と言ったそうです。その時はまだ地方の一拠点に過ぎなかった江戸です。なぜ彼は江戸を指したのでしょう。
既に西には商人と公家、仏門権力で牛耳られた京都があります。尾張はさまざまな戦乱の当事国となり長期政権は望めません。それならば思い切って江戸に・・・。彼の直感はそういう思惑も作用したのかもしれませんが、何より争いを持ち込まない為政を試みた家康の政治手法は、その要素が最も少ない江戸を無意識に指し示したのかもしれまんせん。
いずれにしても再び東へ立った日本の中心。
しかし、江戸時代のシステムと260年の平和はこの江戸という立地が全てでした。
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参勤交代の風景~こちらよりお借りしました。
江戸時代の特徴を西と東という観点で一言で言うとすれば、中央集権に代わる地方自治です。
西が朝廷を中心とした中国式の中央集権国家を目指したのに対し、東の江戸は中央集権を意識的に解体し、地方自治を奨励、参勤交代などで地方自治と中央を結び、さらにはその原点である大衆の共同体に着目し、徹底的に集団発で社会を統合しなおしたという点です。

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投稿者 tano : 2013年06月25日