日本の支配階級の意識構造を解明する ~極東アジアの支配の歴史4 三韓・新羅・高麗の歴史と意識構造 |
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2011年07月28日
著書分析より明らかにする日本支配史の始まり~1プロローグ~
こんにちわちわわです。
今回から新シリーズを立ち上げます。
稲作を伴って日本列島に渡来した弥生人は「倭人」と呼ばれ、先住の縄文人を征して「倭国」を形成した。彼らの渡来は紀元前400~450年ころの縄文晩期とみられている。
画像は “>古代群像さんからお借りしました。
ところが同じ倭人の称をもつ部族が中国大陸にもいた。
『論衡』によると紀元前1000年、周代初頭の記事として、例えば「周時天下太平にして、越裳(越人)白雉を献じ、倭人、鬯艸を貢す」などの文が3箇所にみえる。
中国大陸にいた倭人は、一体どこに住んでいたのであろうか。
その倭人の住地を捜し求める調査研究の結果、長江上流域の四川・雲南・貴州の各省にかけて、いくつもの倭人の王国があることを知った。『史記』が記す滇・夜郎・且蘭・昆明・寯・徙・筰・冄・蜀・巴などの国々であるが、秦始皇帝と前漢武帝の征討を受けて、多くの王が殺され、滅亡していった。
彼ら倭人は新石器時代初めごろ、雲南省の周辺に点在する湖畔で、水稲の人工栽培に成功し、高床式建物を考案した。彼らはその稲作と高床式建物を携え雲南から各河川を通じて東アジア・東南アジアへ向けて広く移動分布した。
そうした、文化的特質を共有する民族、つまり、日本人と祖先を同じくするものを、先年来「倭族」という概念で捉える。
それら倭族の中で、長江を通じて東方へ向かった一団の中から、さらに朝鮮半島を経由して日本列島にまで辿り着いたのが、日本における弥生人、すなわち倭人である。
~『古代朝鮮と倭族』より~
今回のシリーズでは、日本人のルーツを探る上で、この大陸に存在した「倭人」がどんな民族だったのか、何時、どのようなルートで日本に渡来したのかを、この道の権威である3名の著書から紐解いていきます。
『古代中国と倭族』 鳥越憲三郎著
『古代朝鮮と倭族』 鳥越憲三郎著
『邪馬台国論争終結宣言』 山形明郷著
『騎馬民族征服王朝説』 江上波夫著
中国、朝鮮、日本の支配史を解明する事で属国意識の源泉を探ります。
また、支配者の構造を明らかにすることで、歴史上常に存在する支配者と庶民の断層が浮き彫りになるでしょう。
このシリーズから、日本人の可能性が少しでも見えてくれば幸いです。
倭族誰だ?と思った方↓↓ぽちっと!!
『史記』などをみると、長江下流域以南に「百越」がいたことが記されている。「百」とはたくさんの意であるが、その於越、閩越、掦越、南越、駱越、などの「越」は、上古音で「ヲ」wo、それは同じく上古音の「倭」woに通じ、類音異字に過ぎない。つまり越の国をはじめとして、多くの倭族が居住していた。
そうした倭族たちの居住する長江流域以南に、漢族が初めて政治的、武力的に介入したのは、秦始皇帝の全国統一のときと、ついで前漢武帝による征討である。
長江に沿って移動した倭族の最古の遺跡として知られるのは、杭州湾の南側の余姚県の河姆渡遺跡で、約7000年前に水稲農耕民として高床式住居の生活をしていたことが判明している。また杭州湾の北側にも同時代の羅家遺跡があり、ともに越が都をおいた紹興に近く、それら遺跡人の跡裔が越人、いわゆる倭人であったとみてよかろう。
【倭族たちの国】
また呉の国は『史記』が記すように、周公の長子の太伯が継承問題で身の危険を感じ、この地にのがれて倭族と同じに断髪・文身(入墨)し、後に建国したものである。そのとき大伯に帰服して国を築いたという千余家は、いうまでもなく倭族たちであった。
文献の上では周代に徐・淮・郯・莒・奄・萊などの国があったことがみえる。漢族は彼らを異民族として「東夷」と呼んだが、それらの国は倭族によって築かれたものであった。
その地域は後に呉の領域となり、呉も春秋時代末に越王に討たれて滅びる。その呉の滅亡(紀元前473年)を契機として、呉の遺民だけでなく、呉の領民となっていた東夷諸国の民たちも、稲作文化を携えて朝鮮半島の中・南部に亡命し、さらにその一部が日本列島に渡来して、いわゆる弥生人になったと考えている。『普書』倭人伝に、日本の倭人が「自らを太伯の後という」とみえるのは、そのことを示したものである。
このとき朝鮮半島の北部でなく、中・南部にのがれてきたのにはわけがある。呉の敵対国であった強大な燕が渤海湾から遼東半島にかけて領域とし、朝鮮を攻略して服属させ、現在の平壌の近くまで延びる要塞を築いていたためである。
そのために中・南部にしか亡命できなかったのであるが、その倭族としての韓族が馬韓を軸とし、後に辰韓、弁韓に分立して建国することになる。
以後のシリーズでは、長江流域の倭族、朝鮮半島の倭族、そしてそれらがどのように日本に渡来し、日本の文化を築き上げてきたのかを書籍を通じて紹介します。
投稿者 tiwawa : 2011年07月28日 TweetList
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コメント
投稿者 匿名 : 2012年3月16日 10:45
この問題を考える時、日本人の縄文人と渡来人の分類はおかしいと思います。いまのフィリピンを見て、日本の卑弥呼時代の人種とほぼ同じ構造だと思えば無難です。
投稿者 匿名 : 2012年3月16日 10:52
日本の原住民は中国史書によれば黒くて小さい人種でした、いまのマレー人とほとんど変わらない、現代日本人は中国人との混血種。