2021年10月29日
2021年10月29日
縄文再考~土偶は女性への贈与品!?欠乏の強い男こそが集団を強くする男~
みなさんこんにちは。
今回は縄文時代の土偶から分かる性生活について追求していきます。
始まりは定住化からです。定住するようになってから土器、土偶が作られるようになりましたよね。
この頃は温暖化が進み、降雨をもたらし、食物が豊かになります。所説ありますが、八季あったのだとか。食には困らなかったのかもしれませんね。
ではなぜ全国各地で女性を再現した土偶をつくったのか?
そしてその技術が発達した理由とは一体何なのでしょうか?
定住化が始まり、安定的に暮らせるようになったものの、不安定な部分は残ります。それは集団づくりです。集団づくりといっても一概に現代でいう人材育成などではありません。
洞窟生活から定住化に移行したことで、今までにない外圧に見舞われます。その外圧に対して安定した生活が送れるように変異(=外圧適応)していきます。この安定と変異の繰り返しで集団を強くしていきます(=生き延びれるように)。生活レベルの問題では降雨に対して安定するために藁葺きの竪穴住居という形式に至ったのだと思われます。
一事例の紹介でしたが、定住化が始まり、より安定を求めるようになります。
一方で不安定な部分は?
縄文人の平均年齢はで乳児も含み平均15歳程度。乳児を除けば平均年齢は40歳前後まで高くなるのです。つまり、乳児期の死亡率、そもそもの出生死亡率が高いということです。
集団づくり=子作りといっても過言ではない。子づくりは縄文人にとっての最重要集団課題という訳です。そして安定すべき課題であったとも言えます。
集落内の男女は血縁関係になるのですが、集団がある程度続く中で、血縁関係間での子作りのリスクを学んだことでしょう。そのため、如何に集団外(血縁関係外)からくる男性と交わるために変異するか?が必要になります。
仮説ですが、石器時代から母系集団(血縁関係)として生活をしており、縄文になっても女性が集団を束ねていた可能性は高いです。常に集団の中に滞在していることで安定思考の強い女性が、集団として生き延びるために男性を選択していたと思われます。
集団として強くなるきっかけは女性にあったということです。
男性は女性に選択される必要があります。でなければ最大の集団課題を担えない。男としての役割充足を失うことになります。
性行為したくても出来ない、そんな状況から土偶で女性を再現し想いを鎮めていたのではないでしょうか?早期の土偶は全国的にすべて女性の”体”のみ。顔の表現は一切ないことからも、女性との性行為(=最大の集団課題)を担いたいという欠乏がむき出しにされています。
ある種ラブレターとして、その欠乏の強さの表現が女性に届き、役割が上昇していったのではないでしょうか?土偶は女性への贈与品だったのです。
そしていつしか、土偶の写実性、繊細さが男性としての強さ(=欠乏の強さ)として評価されるようになり、それが男性を選択する評価軸となったと考えられます。
そのため中期へ移行するにつれ、土偶の表現が高度化していったのではないでしょうか?
女性は安定するために強い男性を選択し、男性は選択されるべく変異していく。欠乏を強くしていく。そうやって縄文時代の性生活は成り立ち、それにより集団が強くなっていったということです。
投稿者 matudai : 2021年10月29日 Tweet
2021年10月29日
縄文再考~洞窟から竪穴式住居へ、縄文時代の定住化は集団での役割が明確になったから?~
みなさんこんにちは!
前回は縄文の時代ごとに竪穴式住居の建物形態の変化について辿ってきました。(→リンク★)
今週は「そもそもなんで洞窟の中から竪穴式住居に住み始めたの?」という謎に迫りたいと思います。
投稿者 hanada : 2021年10月29日 Tweet