2021年10月14日
2021年10月14日
縄文再考;人骨一覧 縄文人だけではない!?
皆さん、こんにちは。
今回は、人骨が出土する縄文遺跡の一覧を作成し、国内の所謂縄文人が、どのように存在したのか、傾向を掴もうと思います。なお、一覧は人骨出土が伝えられるものに限りました。縄文遺跡は、住居跡、土器、石器、貝(塚)等が出土する地層年代により遺跡として認定されますその数は全国で400余りも有ります。そのうち数で紹介するのは、人骨出土の記録の有るものです。
住居や土器などは、生活していた痕跡です。年代や形、などの情報を伝えてくれますが、縄文人のルーツを考える際に、出土した人骨から形態的な特徴や、遺伝子解析などが進めば、もう少し縄文人がどういう人で、どの地域の人に近いか分かるのだと思います。が、現在の研究はそこまで進んでいません。
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現在分かる特徴は、以下の通りです。
①九州地方では装飾品を身に着けた人骨が出土
②北海道礼文島人骨のゲノム解析ではエスキモーの様な寒冷適用をした人骨
③100体以上の多数の人骨が出土するのは、全国で5か所程度
④屈葬が認められる
⑤100体以上の多数の人骨が出土するのは、全国で5か所程度
<列島南北>
・北日本出土の寒冷適応した人骨、南日本の装飾人骨から、これらの地域は、既に所謂縄文人とは別の系統と思われます。北は、北海道の北から渡来してそのまま北海道に住み着いたアイヌの様な人々。南は、大陸から来たその後の弥生人の様な人々と素直に思えます。
・同じ縄文時代に、縄文人でない人々が日本列島に居た、と言う「事実」を押さえるべきと思います。
※そうなるとすべての縄文遺跡や遺構を、時代が同じと言うだけで「縄文」と言うのは、些か雑に思えます。土器や土偶などは、時代的な差異、位置的な差異もあることから、別の民族である可能性は多分にあると思います。
※特に南日本(九州)の装飾人骨は、集団の中の階層を想起させます。縄文時代の始まる前14,000年頃、中国では長江文明が始まり前11世紀には楚と言う王国があったとされます。比較的早い時期に大陸から階級を持つ人々、国家と言う統治機構を経験した人々が渡来してくる可能性は十分にあります。
※大陸渡来は、その後も続き、弥生時代、古墳時代を形成します。縄文時代の主役の縄文人が、渡来人ではない日本の先住民と考えることは可能で、縄文早期の日本列島に居住した人々のルーツの検討が必要です。
<多数>
・100体以上が出土することは、相当長期、或いは多数がそこで暮らしていたか、墓地であった(近くに長期間若しくは多数)暮らしていることになります。反対に1,2体しか出土しない、人骨が出ない例は、死体を別の場所に移動したか、短期的な生活で、移動の途中なのかも知れません。
・100体以上出土するのは、千葉県市川市、長野県安曇野市、愛知県田原市(二つの遺跡)、岡山県笹岡市。どれも中期以降の遺跡で、多数が暮らすのは中後期、草創期~前期は、数人規模で暮らしていたと思われます。
※
<屈葬>
・早期から死体を埋葬する習慣があった訳で、家畜と思われる犬の埋葬事例もあります。先の大陸からの渡来人の傾向かも知れません。
<旧石器時代>
・比較的明確な旧石器時代人骨が出土するのは、富山県、静岡県、沖縄県。
・静岡県の浜北人は縄文人と近いとされます。同じ浜北の三ヶ日人は、その後の調査で縄文時代人骨とされましたので、上表に(遺跡ではないものの)追加しています。
・富山県氷見市泊洞穴で出土した旧石器時代人骨も縄文人に近似している。
・石垣市白保竿根田原洞穴の人骨で、国内最古の4点のうち2点はハプログループM7Aと呼ばれる南方系由来だったそう。人骨は少なくとも19体分以上あり、旧石器時代の人骨発掘としては世界的にも最大級と言われます。人骨のうちの一体(4号人骨)は約2万7千年前(較正年代)のもので、全身骨格がほぼ残った人骨としては国内最古。4号人骨は、30代から40歳前後の男性で、身長は165.2cmと港川人(153cm)より高い。下顎と比較して上顎の歯の摩耗が顕著であり、特殊な歯の使い方をしていた可能性があります。仰向けの姿勢で、膝を胸の前に折るとともに、両手が顔の近くになるように肘を曲げられ、地上の岩の間にあった。このため人為的に安置されたと考えられ、風葬の可能性があるとされます。
※縄文時代以前(旧石器時代)に日本列島に居たと思われる原人や旧人。これらの中に後に縄文人となる人々がいるか、と言う事が根本的な問いとなります。継続して検討していきます。
(以上)
投稿者 sai-yu : 2021年10月14日 Tweet