2021年3月18日

2021年03月18日

縄文人は共同体が全てであり、個という意識は微塵もなかった。

縄文人は皆共同体の一員であり、そこには個という意識は微塵もなかった。 収穫したものは皆に行き届くように分配され、自分の子供という意識もなく、共同体の皆で子育てをしていた。集団内での恋愛なんて感情も無かっただろう。近親相姦を避けるため、他集団から男を受け入れ、女系が主体の母系集団の中で安心基盤が形成されていた。

近代思想にまみれた現代とはおよそ真逆の社会だったからこそ、安定した社会が1万年以上も維持できたのであろう。 男女の役割も鮮明ではあったであろうが、生業は男だから、女だからといった線引きが明快にあったわけではなく、お互い助け合いながら、目の前の課題をこなしていったと思われる。

(さらに…)

投稿者 tanog : 2021年03月18日  

2021年03月18日

日本人の活力衰弱の元凶は「恋愛」にあり!

今回も実現塾でのテーマを中心に記事を書きます。
先週の実現塾では日本人の活力衰弱、それも世界でダントツの原因と構造化を扱った。

 活力衰弱の現状)

・大人の労働意欲(仕事をやりたい、楽しい)は6%。下位から2番手の国でさえ30%なのでダントツ

・性の衰弱。夫婦のセックスレスは常識、さらに独身男女の性の衰弱もどんどん進み晩婚、非婚、性行為忌避が年々増えている

・子供の活力衰弱。親や学校の管理により子どもたちのやる気はどんどん低下。習い事や勉強でスケジュールが埋まった子どもたちは子供らしくないばかりかまるでゾンビのような生きてるか死んでいるかわからないような状態になっている。

これが我が国のこの10年の活力衰弱の実態だ。

原因は直接的には70年豊かさの実現で貧困時代にあったような生きるために働く必要がなくなり、徐々に衰弱。それまでの私権獲得の為の労働が意味を失った。しかし、それだけなら他の国も同様になるはず。なぜ日本だけがここまで一気に衰弱したのかの答えにはなっていない。逆に言えば50年前―1970年が活力最高だった。そこから何が始まったのか?会議で提起されたのが村落共同体の崩壊、都市への集中、移動。さらに大家族から核家族へ。その流れの中に答えがある。

恋愛結婚から活力衰弱は始まった)
1970年代から始まった恋愛結婚が引き金になったのではないか?
恋愛結婚が核家族化を推進し、同時にセックスレスにもつながった。恋愛結婚の本質とはなにか?様々美化されてきたが、それらの美化観念を取り除けば本質は独占欲であり自我の塊である。自分たちさえよければよい、そういう価値観が恋愛結婚の本音である。さらにそれが子育てに転写され、子供は私有物であり管理する対象に転化した。

学校教育の問題、明治維新以降に入ってきた西洋観念の問題など子供が活力を失っていく理由は様々あるが、この核家族の母親さらには父親によって私物化され、管理されていった子育ての問題に活力衰弱の核心がある。かつての日本は縄文時代以降ながらく地域共同体が残存しており、その中での子育てとは子供は集団の宝であり、子育ては地域で育ててきた。当然母親の負担は軽くなり、子供は多くの大人や子どもたちの中で充足を与え、与えられすくすくと育っていた。それが江戸時代に外国人が見た日本の子どもたちの姿だった(~子供が真ん中にいる社会~明治初期の外国人が見た日本  )

結婚しようよ)
1972年に発売された吉田拓郎の「結婚しようよ」の歌詞に当時の恋愛に対する人々の意識が表れている。
恋愛結婚、核家族、都市への動きが一気に始まる。
それは歌の世界やドラマ、小説を通じて若者文化の中から短期間に深く日本人に浸透した。

僕の髪が肩までのびて
君と同じになったら
約束どおり町の教会で
結婚しようよ MMMM

古いギターをボロンと鳴らそう
白いチャペルが見えたら
仲間を呼んで花をもらおう
結婚しようよ MMMM

 もうすぐ春がペンキを肩に
お花畑の中を散歩にくるよ

そしたら君は窓をあけて
エクボを見せる僕のために
僕は君をさらいにくるよ
結婚しようよ MMMM

他国(世界は)なぜ衰弱していない?)
世界での恋愛は既にフランス革命から始まっている。有名な「ロミオとジュリエット」決して敵わない身分の異なる美男美女の引力を恋愛として世に打ち出し、恋愛こそ最も尊いものとして西欧社会では既に300年以上の歴史を持っている。元々契約社会だった西欧人は結婚も恋愛も自ら咀嚼し、体制に組み入れていった。美化しつつも反した場合には強烈な掟と罰則もついて回った。セックスレスも少なく、未だに恋愛観念に収束している西洋人は性の活力は衰弱させていない。

言い換えれば日本人の活力衰弱とは性の衰弱に行き着く。
かつての労働意欲も私権獲得の意欲も突き詰めれば「もてたい」からであり、性収束が活力に連動していた。

もう一つの活力衰弱の理由~縄文体質だから)
日本人の活力衰弱のもう一つの理由が「縄文体質だから」という事がある。
これは何を示すかと言うと私権、自我に心底収束できないということだ。既に私権社会は衰弱しており、今こそ縄文体質にあった観念を生み出し、その観念で活力を復活させればいいのではないかという考え方も出る。
しかし、物事そう簡単にいかない。
日々の生活や集団の拠り所は都市での生活であり、核家族であり、子供と家庭を第一に考える規範や思い込み観念群だからだ。今のままだと意識と体が分断されたままどんどん活力は衰弱する一方だ。

失われた母系社会)
もう一つは縄文体質の根本に集団原理があり、基本は母系社会であるということ。母系社会とは集団の中に直系の婆さん、母、娘が同居していることだ。さらにそれが連綿と続いていること。そこで子育て課題は集団という安心感の中で対応されていく。女の活力は集団の安心感に包まれて初めて充足存在として作られていく。逆に核家族や都市化は女の子育てを孤立化させ、不安を増大させ、故に充足存在の女の充足性は失われていく。自明と言えば自明である。

 どうする・・・)

前回の実現塾ではそこまで詳しく扱われなかったが、上記の問題から以下を考えてみた。

・恋愛観念の爆破、恋愛こそ邪悪であるという事実の固定

・核家族の解体(これは既に進んでいる)

・子育てを軸にした女集団の形成~先には母系集団化

・新しい男女関係の形成(男規範、女規範の構築)

・子育ての課題化⇒どこがやるか⇒企業での共同保育なら直ぐにも初められるはず。

投稿者 tanog : 2021年03月18日  



 
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