2014年11月11日
2014年11月11日
仏教に未知収束の志を観る~エピローグ
本シリーズのまとめに入ります。
仏教というキーワードで始めた本シリーズですが、儒教もその志において同じ構造だったという事を発見をしました。シリーズの最後には未知収束という部分に関連してこれらの現象と現代を繋ぐ構造を提示したいと考えています。
まずはこのシリーズを俯瞰して、各記事のダイジェストを列記します。
プロローグ リンク
“仏教とは人類史における未知収束の一形態ではないか?”
現在の状況とは極限時代の人類と近似しており、私権社会突入の激動期の孔子や釈迦のように未知なるものに急速に収束する動きが発生しているのではないでしょうか?
投稿者 tanog : 2014年11月11日 Tweet