2013年7月9日

2013年07月09日

江戸時代は縄文の再生~2.江戸の大衆活力の源泉とは

「家康が江戸を目指した本当の理由」の中で、家康がどのように江戸の大衆に受け入れられたのかを示しました。その中でも、「地元に多くの仕事を作り出す土木工事に真っ先に取り掛かった」ことはその後の方向性を暗示しています。
何より、江戸時代初期の最大の注目点は新田開発による食糧の増産とそれによる人口の増大にあるからです。
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■江戸初期の社会期待と人口増

わが国の主要土木工事のなかから用水土木関係工事を抜き出して年代別にその分布を調べてみるとつぎのようになる。
全体118件のうちで47件が戦国時代から三代将軍家光の末年までの186年間に集中しており、なかんずく慶長元年より慶安4年までの徳川初頭56年間に38件とその集中度は高い。
近世中期の新田政策より引用

その結果、豊臣秀吉のころ約150万町歩(約150万ha)であった全国の耕地面積が、100年後の元禄のころには2倍近くの約300万町歩に増加していきます。
徳川幕府は諸藩に新田開発を奨励するとともに、諸藩はそのための治水工事に取り組み、庶民もまた利水工事を自前で行ったと思われます。戦乱のない平和な社会にあって、藩の力を増大させるにも、村落共同体の食料事情を豊かにするにも、どちらの期待も食糧の増産へと収束した時代であることが分かります。
これに比例するように、江戸初期の日本の推定人口は1600年1200万から1700年の推定人口3100万へと2.6倍に増大し、都市である江戸の人口は100万人にも膨れ上がりました。
しかし、急速な新田開発は国土を荒廃させていくことになります。新田開発が進みすぎると禿山となり、風雨があるとすぐ土砂が河川に流れ込んで河床が高くなり、洪水になってしまうことも度々生じるようになったのです。
また、都市の膨張は物質循環に負のダメージを与えかねません。しかし、ここからが現代の行政の施策と江戸の庶民との発想と大きく違うところです。
それは、、、

(さらに…)

投稿者 isino : 2013年07月09日