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江戸時代は縄文の再生~2.江戸の大衆活力の源泉とは

Posted By isino On 2013年7月9日 @ 8:49 PM In 江戸時代 | No Comments

「家康が江戸を目指した本当の理由」の中で、家康がどのように江戸の大衆に受け入れられたのかを示しました。その中でも、「地元に多くの仕事を作り出す土木工事に真っ先に取り掛かった」ことはその後の方向性を暗示しています。
何より、江戸時代初期の最大の注目点は新田開発による食糧の増産とそれによる人口の増大にあるからです。
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■江戸初期の社会期待と人口増

わが国の主要土木工事のなかから用水土木関係工事を抜き出して年代別にその分布を調べてみるとつぎのようになる。
全体118件のうちで47件が戦国時代から三代将軍家光の末年までの186年間に集中しており、なかんずく慶長元年より慶安4年までの徳川初頭56年間に38件とその集中度は高い。
近世中期の新田政策 [2]より引用

その結果、豊臣秀吉のころ約150万町歩(約150万ha)であった全国の耕地面積が、100年後の元禄のころには2倍近くの約300万町歩に増加していきます。
徳川幕府は諸藩に新田開発を奨励するとともに、諸藩はそのための治水工事に取り組み、庶民もまた利水工事を自前で行ったと思われます。戦乱のない平和な社会にあって、藩の力を増大させるにも、村落共同体の食料事情を豊かにするにも、どちらの期待も食糧の増産へと収束した時代であることが分かります。
これに比例するように、江戸初期の日本の推定人口は1600年1200万から1700年の推定人口3100万へと2.6倍に増大し、都市である江戸の人口は100万人にも膨れ上がりました。
しかし、急速な新田開発は国土を荒廃させていくことになります。新田開発が進みすぎると禿山となり、風雨があるとすぐ土砂が河川に流れ込んで河床が高くなり、洪水になってしまうことも度々生じるようになったのです。
また、都市の膨張は物質循環に負のダメージを与えかねません。しかし、ここからが現代の行政の施策と江戸の庶民との発想と大きく違うところです。
それは、、、


■庶民が生み出す自然環境との調和
以下のような方法論によって、禿山は徐々に回復し、江戸時代の豊かな循環社会が形成されていくことになります。

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1.都市部の糞尿・草木灰は買い取られて肥料として近郊農地に投入された。それらの有機物質は、河川を経て海に至り海を豊かにした。
2. 干鰯(ホシカ)は鰯から灯明用の油を絞った後のカスだが、それを肥料として農地に投入する流れが出来た。それが重力で海底に滞りがちな栄養素を物質循環にのせることになった。また、干鰯が刈敷に取って代わる事で里山のダメージは減った。
3.鳥は海や里の水田の小動物や植物の種を食べて奥山で糞をする。これが貧栄養化しがちな奥山に栄養素をもたらし、同時に植物の進出をうながした。(*中国の朱鷺保護センターの事例では、1羽を飼育するために1日当たり約500g、年間約181kgの水性生物や昆虫が必要だそうです。鳥は、意外と大食漢です。)
新しい農のかたち [4]より引用

村落共同体の庶民の自然観は、利用可能な対象としての自然ではなく、畏怖の念をもって自然を対象化(注視)していました。
ですから、新田開発による森の消滅にはもともと違和感と危機感を抱いていたと思われます。
物質の循環系が形成できなければ、絶滅の道を歩むことを、縄文時代からの自然との対話の中で体得していたでしょうから。
■農業技術の進歩と蓄積
新田が開発されたとは言え、農家1戸あたりの農地面積は大きくなく、この狭い農地に労働を集中させ生産力を高めるための工夫が随所に見られます。
1.農具の改善による作業効率の上昇
2.稲→麦、稲→菜種などの二毛作や、稲→大麦→西瓜などの多毛作の普及
3.稲も品種改良が進み反当りの収量が増加
4.油を使って稲の害虫駆除の方法を発見
5.商品作物栽培の拡大
これらの技術蓄積が「農書」としてまとめられ、その写本によって広く普及していきます。その中から、全国各地を渡り歩いて各地の篤農家を尋ね、その土地にあった農業技術を記録した農学者(宮崎安貞・大蔵永常・佐藤信淵など)が現れるに至ります。
庶民の工夫(創造)の蓄積から学者が登場するのは、農業だけでありません。
■庶民の算数と数学者関孝和
利水のための土木工事など、村落共同体にとって必要な工事を考えれば、誰にとっても数学は必要不可欠になります。
江戸時代の識字率の高さは驚異的ですが、庶民の学力の高さはそれだけではありません。日本の数学もまた世界希に見る高度さを誇っています。そして、それらは庶民の日常生活の必要から生まれ庶民の工夫によって高度化されていきました。

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江戸時代になると毛利重能、吉田光由、関考和らの優れた和算家が輩出して、渡来算術は日本で独自に発展して「和算」と呼ばれるようになった。和算はそろばん塾などでも教えられて大衆化していった。つまり江戸中期には誰でも算術を学べる環境になっていたのである。当時既に鈎股弦(ピタゴラスの定理)や三角函数は広く用いられており、驚くことにそろばんで10乗根まで開いたり、52桁までの円周率を計算したり、更には多元高次元方程式まで解かれていた。江戸時代の和算は、現在我々が想像する以上に高度化していたのである。
(中略)
和算の普及と向上には遊歴算家の貢献が大きい。遊歴算家とは江戸期の文化文政の頃、諸国を行脚して算術を教え歩いた人で、武士からの転向者が多かったと云われる。各地の寺に泊まりながら庄屋、長百姓、医者、商人達の求めに応じて和算を教えて歩いた。また遊歴算家は地方の和算家(塾)を訪れては難問で挑み、勝てば謝礼や宿を得、あるいは負かした和算家を弟子にしたとも伝えられる。このことが地方の和算のレベル向上に繋がったのである。
江戸時代和算書の巻末などに、解答や解き方を読者に問う「遺題」と呼ばれる問題掲示がされるようになった。それを読んだ人がその問題に解答するばかりでなく、より難しい問題を提案する風習が生まれた。このように問題提起と解答が連鎖的に行われるこれを「遺題継承」と呼ばれ、これは和算の高度化に大きく寄与したと云われる。
 和算を学んだ人が遺題などの難しい問題が解けた時、それは神仏のご加護によるものと感謝するため、あるいは自分の算術的力量を誇示するために、人目につきやすい神社仏閣に奉納したのが算額と云われる。算額は江戸初期から全国の神社仏閣に見られ,江戸中期に最も多く明治時代まで続いた。
和算と算額 [6]より引用

世の東西を問わず、社会期待に対応して専門家=学者が登場するのは共通です。しかし、江戸時代におけるそれが庶民のなかから登場し庶民の中で研鑽されていくことは、西洋の宮廷にお抱えの学者から大学にいたる有り様とは一線を画しています。
全国行脚の象徴されるように、常に庶民に学び、その集大成を庶民に返して行く(役に立つ)ことが江戸時代の学者のインセンティブとなっています。
江戸時代とは、庶民の工夫と創造が社会的期待と一致した、時代ではないでしょうか。
■まとめ
江戸時代は藩の自由裁量が大きく認められた、現代で言うところの地方自治が進んだ社会です。庶民、その大多数を占める農民は村落共同体における自主管理、自給自足を基盤として、村の課題も規範も共同体を構成する庶民自身が決めるという社会構造が江戸時代の特徴であり、これが庶民の活力の源泉となっています。
江戸時代に登場した学者は庶民の工夫の中から誕生し、庶民の役に立つこと=現実の中で存在しています。戦国時代の動乱を経て、日本人の縄文体質(集団自治の共認充足)が蘇生した社会、縄文時代から変わらぬ村落共同体の庶民の生き方が素人の創造として花開いた時代と言えるのではないでしょうか。


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[2] 近世中期の新田政策: http://www.gakushuin.ac.jp/univ/eco/gakkai/pdf_files/keizai_ronsyuu/contents/1003/1003-18oishi.pdf

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[4] 新しい農のかたち: http://blog.new-agriculture.com/blog/2010/04/001093.html

[5] Image: http://web.joumon.jp.net/blog/img2011/%E7%AE%97%E9%A1%8D%EF%BC%88%E7%B5%B5%E9%A6%AC%EF%BC%89.jpg

[6] 和算と算額: http://www9.ocn.ne.jp/~sedarfil/newpage2.html

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