2022年4月21日

2022年04月21日

古人類の足の指が変化したのはラミダス猿人とアファール猿人の間 サル間闘争に負けた末の集団逃避行

東大総合研究博物館で公開されたアルディピテクス・ラミダスの全身骨格化石の複製

画像はこちら「JT生命誌研究館」から

皆さん、こんにちは。今回は、人類史の転換点。森林から離れたのは何時か、というお話です。

研究を伝える記事等

いつでもLOUPE<地球セミナ95-3 ダニエル・E・リーバーマン著「人体600万年史」[1]第3章>
「1976年、古生物学者のチームがタンザニアのラエトリで、固まった火山灰上にのこる約360万年前の人類の足跡を発見した(図7)。大人2人、子供1人のアウストラロピテクス・アファレンシスが残したものと考えられている。大きな親指と他の指が平行にならび、土踏まずがある。二足歩行をしていた動かぬ証拠である。」

NHK
「フィリピンにある洞窟から小型の人類の化石が見つかり、5万年前に姿を消した新種の人類とのこと。足の指の骨は300万年ほど前にアフリカに生息していた初期の人類アウストラロピテクスと同じように曲がり、木登りしやすいようになっていると報告、『ホモ・ルゾネンシス』=ルソン島の人と名付けました。」

「新種の初期人類を発見 米チーム、エチオピアで 2012年3月29日」日本経済新聞
「アフリカ東部・エチオピアにある約340万年前の地層から、新種とみられる初期人類の足の化石を、米クリーブランド自然史博物館などのチームが発見、29日付の英科学誌ネイチャーに発表した。エチオピアでは、同じ時代に『ルーシー』の愛称で知られるアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)がいた。新種は、アファール猿人とは違い、直立二足歩行に適した土踏まずをつくる弓形の構造がなく、足の指で物をつかめるのが特徴。アファール猿人の方がより、現生人類の祖先に近いと考えられるという。」

東京大学総合研究博物館
「ラミダスの親指の外転の程度は、類人猿や他のサル類と同程度であり、把握機能を相当保持していたに違いない。」

東京大学総合研究博物館
「ラエトリの足跡は一貫して、現代人的な荷重パタンを示唆することが確認された。特に重要とされたのが、足の前方部の圧痕が内外側全体にわたること、踵部の圧痕がそれよりも深いこと、中央内側部の盛り上がり方がアーチ構造のある足に典型的なことであった。アファール猿人と現代人の歩行は、おおよそ同様な荷重様式を持っていたと結論してよさそうである。」

何とも不整理な話(専門家でもっと摺合わせをすべき)ですが、どうやらラミダス猿人(アルディピテクス・ラミドゥス)とアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)の”間”の未明人類(或いは類人猿)で足の親指に変化が生じたようです。

改めて「直立二足歩行」の整理 足の指がサルのまま地上に降りた猿人(サル)

では、脚で木の枝を掴む生活から、地上で二足歩行する生活へ何故移行したのか?その答えになる何かが発見などされていませんので、あくまで推測です。

木の上の生活は完全な適応では無かった(そもそも、「完全な適応」は絶滅と同じ)。(木を降りて)新天地を求めるのは、動植物の適応原理における可能性探索。」

ラミダスもアファールも、化石「人類」、「猿人」と言われますが、見た目は完全にサルです。脳容量が増えるホモ・エレクトス(北京原人・ジャワ原人)が、「人類」の祖先、とすべきと思います。重要な点は、二足歩行が足の親指が変化する前のサルの段階で起きている事。その時点では、ラミダスのように樹上に戻れる可能性を残していました。

ラエトリ遺跡で新たに発見れたアファール猿人の足跡化石「L8」を別の角度から見たもの。(PHOTOGRAPH BY RAFFAELLO PELLIZZON)画像はこちらから

しかし、その後のアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)で状況は一変します。上の写真の通り、足の親指が分かれていないのです。恐らくこれは、森林から離れた後の事と思われます。ラミダスもアファールも、化石は草原の様なところで見つかると言いますが、暮らしていたのは、どちらかと言えば草原の近くの洞窟と思います。アファールの足跡化石は有名なオルドバイ渓谷から30㎞の地点。渓谷なら洞窟もあるでしょう。

知能進化は、仲間と地上に降りることで始まる。

森林から離れることは、外敵に襲われる恐ろしく危険な冒険です。しかし、樹上にも過酷な同類≒サル間の闘争があり、恒常的な飢餓に苛まれるサルもいたでしょう。弱いサルにとっては樹上は適応的では全然なくて、サル間闘争から逃れるには地上に降りて新天地を探すしかありません。

よく言われる、「危険の察知」「獲物を追いかけ狩る為」「辛抱強い訓練」「食物運搬」「真昼の暑さを避ける」「省エネ」は、どれも必然性に乏しい(他の方法も可能)。「苛烈な同類闘争からの逃避行(可能性探索含む)」なら、十分説明できると思います。

逃避行(※“自ら進んで”か、“嫌々”か、はどちらも含む複雑なもの)は、1匹では不可能です。オス、メスが居ないとその後の繁殖が出来ません。1匹で離脱するのは只の自殺行為です。最低限の適応=生き延びて子孫を繋ぐことが出来ないからです。

知能もさほど進化していないのに、森林から離れ、地上を歩き洞窟に暮らして徐々に拡散して行く。その後のホモ・エレクトス、ネアンデルタール人などの分布をみれば事実そうなっています。森林に居るだけでは「人類」にはなれなかった、のです。

地上に降りた当初は、本能で対応したのでしょう。しかし、猿人(サル)には互いに交感する機能があります。何匹か連れだって森林を離れたとすると、その後の生活は仲間との交換機能をフルに活用し、情報をやり取りして、少しでも生存の可能性のある行動、方法を選択するしか生き残る道は有りません。冒険という意味はそこにあります。危険な冒険が知能をさらに進化させより人に近づく。その後様々分岐や交配を経て、人類と言ってよいホモ・エレクトスが登場するのだと思います。

なお、ラミダスとアファールは、進化系統的に連続しているかは、今の段階では懐疑的なようです。アファール猿人以前の足の指の変化が、高頻度の突然変異である可能性も十分あります。もし、そうならサル間闘争に加え、一時的にでも樹上に逃げることができないもっと苛烈な状況になります。

突然変異が、雌雄含む比較的多数に同時に発生する可能性もあります。いずれにしても、障害のある(木に登れない)弱サル(猿人)が、森林を離れ洞窟に隠れ住むところから、人類史が始まると言えます。

投稿者 sai-yu : 2022年04月21日  



 
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