2019年8月1日

2019年08月01日

インカ帝国をつくったのは縄文人の末裔~このトンでも説に、これだけの証拠が残っている。

今年に入り台湾から与那国島まで実験航海が行われ古代人が黒潮を突き抜けて航海した事を実証したとするニュースが飛び込みました。国立科学博物館で今年の夏にその公開技術が報道されます。今日はその記事とも連関するのですが、古代縄文人がその海洋技術を使って太平洋を越えて南米に到着していたのではないかとする説の紹介です。

インカ帝国をつくったのは縄文人の末裔であるとするとんでも説ですが非公開の元日本駐在ペルー大使フランシスコ・ロワイサ氏が書いた文献の要約を読むとあながちとんでも説ではないと思えるのです。このように南九州の縄文人は火山噴火と共に世界各地にその足跡を残していった。そう考えるとその影響はどこまで拡がっているのかに興味が湧いてきます。

リンクより借用させていただきました。
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■「インカ帝国に日本人建国説」
インカ帝国という名前を一度は聞いたことがある方は多いと思います。
ひとつの説に日本人(縄文人)がこの帝国を築いたというものがあります。今回はその仮説を紹介していきたいと思います。このインカ帝国をつくったのは少数のグループと考えられていて、13世紀から14世紀ころ、後に帝国の首都となるクスコから一気に領土拡張を開始したといわれています。しかしその人たちが何処から来たのかは、文献が残っていないため、詳細がわかっていません。そして今回の説について、元日本駐在ペルー大使フランシスコ・ロワイサ氏が書いた文献が残されていて、国立図書館に保存、現在は非公開となっています。

この本のサブタイトルには
「インカ帝国をつくったのは日本人だった。そしてインカの人々は日本人の末裔だった。」という説が書かれていて、聖なる湖、チチカカ湖は、父ちち・母はは から取ったと言及、更には日本人が海を渡ったルートまで記されていたといいます。
南米の多くの譜代文明の風俗・習慣、遺物などには、古代縄文文化と同じような物も多数存在しており、その関連性が海外の研究者の間では、熱く議論されているといいます。しかし不思議な事に日本の考古学では、最近では変わりつつあるが、過去は縄文時代とは狩猟採取生活に毛が生えたような未開の時代であり、全く研究に値しないと考えられており、弥生時代や古墳時代などに中国や韓国を通じて知識や技術が入ってきたもので、その文明を受け入れた大和朝廷によってはじめて世界に通じる国作りが始まったとされていたました。

そのために縄文時代には太平洋を渡る技能が全く存在していなかったとされていますが、実際世界中には縄文文明との繋がりを示すと思われる事柄が数多く存在しており、古くから縄文文明を評価した論文が数多く在ることも事実でした

インカ帝国の記録を紐解いて浮かび上がるもの
インカ帝国 第9代皇帝、パチャクテクの子孫、ミゲル・アンヘル・トレス・チャベス氏には、家に代々伝わる話があるといいます。
それは子供の頃から、インカ帝国をつくったのは日本人だと聞いていたそうです。インカ帝国領土内の人々は、ケチュア語、アイマラ語など、征服した村の言葉を話していました。しかしインカの王族の間だけで話されていた言葉があり、他の人には誰にも分らない言葉だったそうです。それが日本語であるとしています。

インカなどの古代文明をつくった人々がどこから来たかと云う発祥地に関しても、東アジアと言われていますが、日本の考古学では頭から否定されていてその研究も成されていないのが現状です。

しかしインカに関する記録を紐解くと
1、彼らの骨格やDNA遺伝子に関する調査では、南米の人々に縄文人との繋がりがあるとされた
2、インカの創世記の話しに、神から支持をされて姓名を上下反対にして、現地の名前の呼び方に合わせたとされており、本来は姓が最初で名が後にくる民族と思われ、東アジアの習慣と同じだった。
3、インカでは沖縄地方で古くからおこなわれていた2度葬儀と同じ方法で埋葬していたと思われた。それは最初の葬儀の後に暫くして開封して、遺骨を洗い浄めるか、または遺骨がミイラ化していたら、正装した後に、同じ住居の中で生活を共にして生きている時と同じように扱う風習がインカに伝わっていたと思われた。
4、インカには創世記の話しが各地に多くの伝承が残っていたが、その中のひとつに日本の古事記の内容と似た話が存在している

■アメリカンインデアンのルーツは縄文人?
そして、ペルーで見つかった約1000年前のミイラの便から、「ズビ二鉤虫」が大量に発見されました。順天堂大学の奈良准教授によると、ズビ二鉤虫は寒さに弱いため、ベーリング海峡を渡り南米に到達したとする北方ルートは考えにくい。さらに昨年発表された論文では、南米沿岸の人たちは日本人とDNAが似ているといいます。
因みにこのズビ二鉤虫は、縄文日本人が、北米および南米インディオの祖先だということを証明してくれる小さな承認ともいわれています。

それまでは、アメリカインディアンの祖先はモンゴロイドではないかという説が有力でした。モンゴロイドたちは、ベーリング海峡が氷河で繋がっている時にユーラシア大陸から、北米大陸に、歩いて渡って行ったに違いないと考えられました。そうした考えと共に、日本のように小さな島国から日本人が太平洋を越えて移動できるはずがないという考え方が有力でした。
ところが、約3500年前の南米インディアのミイラの体内から「ズビ二鉤虫」という寄生虫の卵が検出されました。「ズビ二鉤虫」は、5℃以下で2年間暮らすと体内で死滅してしまうという特徴があります。

したがって、アジア・ユーラシア大陸に住むモンゴロイドたちが、氷河期に凍り付いたベーリング海峡を歩いて移動したという説が誤りであることが証明されました。このことでやっと、縄文日本人がアメリカインディアンのルーツだということが、この説を支持している学者は証明されたとしています。

■多くのペルー人は日本人ルーツ説を信じている
ペルーの元国立記念碑文化遺産庁長官フェデリコ・カウフマン・ドイグさんは「子供の頃、日本人ルーツ説をよく聞きました。多くのペルー人がインカ帝国の皇帝は日本人だと思っていたのです」と語っていたり、インカの暮らしを守り続けているマティンガ村には、日本で見かける昔ながらの竈(かまど)があり、村に伝わる神話があるそうです。「太平洋の彼方からやってきた神さまが王国を築いた後、いつか私は必ず戻ってくるといい残し再び海へ旅立った」と。
また、ペルーより北にあるエクアドルの海岸部で発見された土器類が、南九州で5千年以上前に盛行した「曽畑式土器」とよく似たものであることがわかっています

 ■アカホヤの大噴火が起した縄文人の拡散
そして南九州、とくに鹿児島に多い「成人T細胞白血病」と同じものを起こす遺伝子も向こうには多いといいます。過去、人類有史最大規模と呼ばれる程の火山噴火が鹿児島沖の硫黄島で起こりました。鬼界カルデラ、いわゆるアカホヤの大噴火です。これは日本中に痕跡を残しており、特に九州南部には最大1mもの火山灰を降らせたことが鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっています。

沖縄を含む九州南部は全く人が住めない状態となったといいます。
そこで作られていた縄文集落が噴火の後無くなっており、人骨が見つかっていないことから、住民がどこかへ逃避したことがわかっています

大多数の住民は被害の少ない九州北部に移ったと考えられるが、中国大陸やアメリカ大陸に渡った人たちもいたのではないでしょうか。アカホヤの大噴火が起こったのは約7300年前だが、黄河文明は約6800年前、南米エクアドルで見つかった縄文土器は約5500年前といづれも大噴火の後なのです。年代的に見てこれらの文明をつくったのは火山噴火から逃れた九州南部の縄文人だった可能性があると研究者は話しています。太平洋には日本からアメリカ大陸に向かって黒潮が流れており、その流れに乗って太平洋を渡ったと考えられるのです。南米には前述の通り、遺伝子や土器のほかにも埋葬方法や言い伝えなど文化的に似通ったものがあり、自分たちの祖先は日本人だったと主張する人もいるそうです。

年々高度な文明であったと判明している縄文時代。
我々日本人の祖先は海を渡り、新しい文明を切り開いていったのでしょうか?これから先も世界のルーツは色々な仮説、そして真実が解ってくるのだろうと考えると楽しみで仕方ないですね。

投稿者 tanog : 2019年08月01日  



 
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