2014年2月4日

2014年02月04日

日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~ 3、鎌倉時代の家訓

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鶴岡八幡宮
 みなさん、こんにちは!今回は鎌倉時代の為政者・統治者の哲学≒帝王学を時代背景とともに見ていきたいとおもいます。
 前回、桓武天皇から始まるとされる平安時代の帝王学=統治手法を見てきました。当時は、藤原氏の全盛期で、貴族の優雅な文化が有名で約390年間も続きました。初・中期は、神社の格付け(延喜式)の制定による万世一系の天皇制の固定と庶民の共同体を守ることで秩序化され、安定化を目指した社会でした。しかし、後期になると、私権・市場原理の浸透に伴い、変質していき、ほころび始めます。律令制の破綻、税制の破綻が民の生活を圧迫していきますが、一部の農村出身の武士や農民自身は力をつけ始めてきました。
 そして、台頭してきた庶民=武士・農民が、貴族・皇族に代わって新たに政治中枢を打ち立てたのが鎌倉時代でした。しかし、彼らは、社会統治・政治を知らず、無秩序な搾取と略奪を繰り返し、下層農民を圧迫していました。
 こうした中、幕府は、新たな社会秩序の構築に入ります。それは、幕府を超えた武士自身の戒めと弱者保護の政策をもって、公家・皇族の政治と違った政策を採りました。徐々に、下級武士も、民のことを考えないと社会は成り立たないことを理解していき、幕府の政治体制が磐石となっていきます。
 日本の政治体制が、天皇親政、摂関政治、院政、武家政権、執権政治と変わっていく中、現人神信仰・万世一系の天皇制や母系の系譜がほころび始め、力の原理による父系へと転換する中で、その観念に変わる新たな思想が必要になってきた時代でした。
 彼らは、どのような思想で民衆をまとめていったのでしょうか?その武家としての教訓=帝王学とはどんなものだったのでしょうか?
 そのキーワードの一つに、「撫民政策」という政策があります。撫でるように、民衆を大切にするという発想です。さて、この時代の帝王学とは???

(さらに…)

投稿者 2310 : 2014年02月04日  



 
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