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2013年08月04日

江戸は縄文の再生3.~中央と地方を逆転させた江戸の理(ことわり)

こんにちわちわわです。
前回「江戸の大衆活力の源泉とは?」では、江戸庶民の活力ある姿が浮き彫りになりました。今回はその源泉を生み出す、江戸時代の体制、政策に焦点を当て、戦争の無い「天下泰平」の時代を築きあげたその秘訣に迫っていきたいと思います。
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江戸時代はさまざまな偶然が重なって、物も人も生産も消費も見事に循環した社会が形成されました。その背景には、縄文時代から連綿と続く集団性と精神性を尊重し、中央からの一方通行の命令ではなく、集団の自主性にまかせ、庶民の活力を社会の仕組みに組み込むことが出来た結果だと見ることができます。
江戸時代の仕組みとはどのようなものだったのでしょうか?
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【中央集権ではなく、徹底した地方分権を実現した幕藩体制】
幕藩体制とは、幕府(将軍)と蕃(大名)という封建的な主従関係を基盤にした社会体制をいいます。江戸幕府を全ての武士の頂点とし、最高の統治機関としながらも、各大名がそれぞれの領地において、独立した統治機構(蕃)を形成していることと、米を現物で納めさせて年貢とする石高制を基礎に置いていることが特徴です。
すなわち、自給自足を原則とし、法も経済も各蕃にゆだねることで、各蕃の主体性を引き出し、活力を創出することができたのです。
末端の農民は50戸程度の地縁、血縁から成る村落共同体を形成し、そこで営まれる共同作業を通じて独自の規範を作り、共同責任で年貢を納めました。五公五民~四公六民といった石高に基づく年貢は、決して楽なものではなかったはずですが、米以外に生産可能な換金作物や下駄や草鞋などの生活必需品の家内製生産品による身入りは、働いた分だけ豊かになれる可能性を導き出し、生産活力となりました。
しかし、なんと言っても、安心基盤のある集団に所属し、共同作業の中から生じる役割をまっとうし、みんなで充足する活力は、江戸時代に醸成されたものでしょう。収穫の祭りなど盛んに行なわれたのもこの時代です。
蕃毎に地方の特色を生かした産業の育成や、安定した生産基盤を整えるために行なわれた灌漑や治水の土木事業も、集団のみんなが豊かになる事を目的に積極的に行なわれ、全ての生産活動がみんなのために活力を持って行なわれました。奴隷意識などは微塵も無かったと思われます。
このように、共認域の範囲内で完結した村落共同体と、それを統治する蕃との信頼関係と、蕃内の自給自足の生産体制、さらには自治組織の存在がバランス良く機能したのが江戸時代の幕藩体制といえるでしょう。
奈良時代に出来上がった中央集権の国家の仕組みは、朝鮮半島から来た渡来人が中国を模範として持ち込んだものです。それに対して江戸の仕組みは徹頭徹尾、集団内の規範と共認を軸にした統合の仕組みで、縄文時代から築き上げた日本人の気質にぴったりはまったのではないでしょうか。
【中央と地方を循環させる仕組み~参勤交代~が社会の活力源】
参勤交代とは、各蕃の藩主を定期的に江戸に出仕させることにより、財政的負担を掛けると共に、人質をも取るための江戸幕府の制度です。各蕃は藩主の江戸藩邸と国元の居城の二重の維持費が必要となり、江戸と国元との行き来のために街道の整備や、大名行列の費用、道中の宿泊費など多額の出費を迫られました。この制度により、各蕃は徳川家に反旗を翻すことが非常に難しくなり、徳川家が15代に渡る繁栄を築く要因となりました。
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自給自足の幕藩体制が、バラバラに存在するだけでは閉塞するだけの社会になってしまいます。地方(蕃)と中央(幕府)をつなぐ制度~これが参勤交代です。参勤交代は上記の蕃の力の突出を抑止する目的以外にさまざまな効果を生み出しました。
◆同類闘争圧力を生起
参勤交代により江戸には全国の情報、人、物、文化、学問が集まるようになりました。江戸で得られた情報は、戦争のない世の中では各大名の同類意識を刺激し、情報を自蕃に持ち帰り、教育、文化、産業の向上意欲を高めることに繋がったと思われます。
◆地方の誇りと生産活力を上昇
江戸という特化した都市に身を置く事、各蕃の威厳に触れる事で、自蕃への愛着と誇りの意識が芽生えます。地方にいる村落共同体の成員一人一人が、郷土意識を高め、他蕃に負けないよう、大名行列の武士をきらびやかに送り出す事が、蕃内の人々の課題となり、そのために生産意欲=活力を上昇させることに繋がったのでしょう。
◆世界一巨大都市江戸と生産と消費の循環→経済の発達
参勤交代により、蕃で生産した財を、強制的に消費する仕組みが出来上がりました。
財は不必要に蓄財され巨大な力となることはなく、街道や宿場町や江戸で消費され、循環されることになります。これにより、経済活動が活発になり、世界最大都市江戸が誕生するのです。
このように参勤交代は、江戸幕府のねらい以上に、さまざまな効果をもたらしました。
江戸というみんなが集まる巨大都市が、地方での活動を評価する場となり、同類圧力を生起させ、各蕃の活力を上昇させることができたのです。
【都市と地方の循環社会の形成】都市での大量消費は、膨大な排泄物と廃棄物をもたらします。しかし、江戸時代の都市はこれらを丁寧に処理し、堆肥として地方の農家に還元しました。農家はこれを肥やしとすることで、必要以上に里山を荒らすことなく農産物を生産することができました。
江戸時代までは、新田の乱開発により隣接する森を消失させました。しかし、日本の国土は江戸時代の人間の営みにより、保水性の豊かな森を完全に復活させ、防災性の向上と豊かな自然環境の回復を実現しました。西洋の都市と比較すると、江戸は比較にならないくらいきれいで衛生的で、訪れた外国人は皆感動したようです。
江戸時代は経済、人、資源が見事に循環した、全く無駄のない社会です。質素、倹約を美徳とする精神性が、あらゆる活動でうまく機能し、世界から賞賛される究極の循環型社会を形成することができたのです。
【江戸社会の理とは?】
江戸時代は、集団の自立した活動に権限をゆだねることで個々の活力を創出し、中央と地方の交流により同類圧力を生み出し、さらなる活力上昇へつなげることができたまれに見る社会だといえます。
◆規範による自我の封印
技術革新により開かれた私権追求の可能性から生じる自我を、末端の集団規範で完全に封じ込めることができました。さらに、中央からの質素・倹約の規範を、武士から末端の農民に至るまで浸透させた事も、自我の封印に大きく寄与しました。
◆石高制による実質経済
石高制という実質価値に基ずく力の尺度を用いることで、金融による架空経済の暴走を阻止し、地に足の付いた生産活動を主体とする実質経済を成立させることができました。
◆幕藩体制と参勤交代で同類活力を上昇
蕃毎の自給自足と、自立した地方自治が主体性を向上させ、さらに参勤交代という地方と中央を交流させる政策により同類圧力が高まり、末端までの活力を上昇させました。
このように江戸時代は、豊かさ欠乏と倹約の精神がバランスし、経済活動も地球環境においても究極の循環型社会が実現した、世界でも類を見ない奇跡の時代であったと言えるでしょう。

投稿者 tiwawa : 2013年08月04日 List  

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