2020年3月12日

2020年03月12日

サルから人類へ、その分岐点となったのが自然を捉える追求力、対話の力~「自然は何を我々に期待しているのか」

人類がサル(オランウータン)から進化した最大のポイントは観念を生み出したという事だ。

木から落ちた(登れなくなった)カタワのオランウータンがいきなり人類になったわけではない。カタワのオランウータンの時代に洞窟に隠れ住み、生きながらえた時代が100万年ほど続き、その延長の中で歩行訓練、共認機能を通じての親和共認、性充足、その先に最大の外圧である自然外圧を自然現象として捉え、その過程で大自然の力=精霊を措定する事ができた。それを観念原回路という。前回の実現塾でも観念原回路についての議論が少しだけ為されたが、本格的には4月から始まる次の実現塾からになる。非常に楽しみではあるが、今回事前にこれまでるいネットで投稿されてきた観念についての投稿を復習しそれに備えておきたい。

また前回の実現塾では観念原回路の発生を以下のように扱った。次回はその続きとなる。

極限時代の人類は洞窟に隠れ住み、極限的な飢餓の中でそれでも毎夜、決死行で洞窟を飛び出し骨や死肉、草や根子のわずかに食べられる食料を探し出し生きながらえた。本能では既に対応できない為、サル時代に獲得した共認回路を使って自然をひたすら注視した。
自然に語りかけ、自然は何を我々に期待しているのか、どういう役割があるのかを考え続け、恵みを得ると共に感謝の念で自然と一体化する追求を続けた。風、雨、地震、火山活動など驚異的な大自然に対して人類は“生命力の塊”を感じ取った。この力を生み出している相手は誰なのか、ひたすら対話を続け、見えてきたのが精霊の存在だ。この世の全ての力、恵みを生み出しているものが精霊、自分たちをはるかに超えた超越の者。感謝と畏怖の念で対峙した。
自然の力を少しでも自らの中に取り込みたい、その一心が精霊信仰、さらには縄文土器の渦巻きに見られる宇宙の力。本能や五感を超えた予知、それを表現する感覚言葉、それがクルクルやピカピカといった最初の擬態語を生み出し、やがて観念機能としての言葉が登場する。

これら一連の追求が数百年、数千年と続き、単語にできないような超越的な存在を捉えるようになり脳は拡大、オランウータンから原人へと進化した。つまり人類が獲得した言語とは単なる対象を表す単語ではなく、対象を捉える為の見えないものを見えるようにする力だったのではなかろうか。感謝や肯定視、祈り、それらを全て動員して、見ることができたのだ。だから、精霊とは肯定視であり、感謝そのものなのだ

下記は4年前にるいネットで投稿された言語の進化1~3の記事の全文紹介です。ここに観念誕生前夜の意識が書かれています。
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【言語の進化】1.言葉は、みんなで、答えを追求するためにある。その中身を、みんなに伝えるためにある。

動物の鳴き声は、みんな(or相手)に、何かを伝えるためにある。伝えたい内容は、主に危険や餌の発見、あるいは威嚇や発情である。
人類の言葉も、みんなに何かを伝えるためにあるように見える。しかし、実は人類の言葉の生命は、伝える手前の追求の過程にこそ宿っている。即ち人類の言葉は、みんなで考える(答えを出す)ためにある、従って当然みんなに伝えるためにあるという二重性を持っている。大事なのは、言葉を発する前にある伝えたい答え=何らかの意識or認識である。
それに対して、考えるまでもない危険や餌の情報をみんなに知らせるのは、サルと同じように鳴き声で充分だっただろう。

このように人類の言葉は、その伝えたい内容が明らかに動物の鳴き声とは異なっている。それは、人類が追求し続けてきた内容(→言葉として発信したい内容)が、本能や五感で捉えられる対象を超えた超感覚的な対象であったからである。
人類は、足の指が先祖返りして樹上に棲めなくなったカタワのサルであり、想像を絶するような極限的な生存環境の下で500万年に亘って洞窟に隠れ住み、奇跡的に生き延びてきた動物である。
洞窟時代、人類の意識の最先端にあったのは、原猿が共認機能を形成していった始原の意識とほぼ同じ意識内容であっただろう。即ちそれは、不整合な世界を前にして生じた「どうする?」という課題意識だったと考えられる。
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【言語の進化】2.追求充足回路=観念原回路の形成
人類は生存力を強化するために、直立歩行の訓練に励んだが、日々の歩行訓練は踊りのトランス状態へと昇華され、更に日々の性充足へと昇華されていった。これは、同類闘争という不整合な世界に直面した原猿が、縄張りを確保できずに親和充足へと後退して、共認機能を形成していった過程と同じである。絶望的な状況に置かれた人類にとって、この踊りと性の充足こそが、生きてゆく最大の活力源となった。

しかし、解脱充足は活力源と成っても、それだけでは生存の危機→「どうする?」の答えにはならない。相変わらず、生きる為には洞窟を出て、決死行に身を挺さなければならない。従って、不整合な自然世界を前にした「どうする?」という課題共認とみんな追求は連綿と続けられたが、おそらく、それは踊りや性充足の後の半トランス状態で行われたであろう。
こうして、「どうする?」に始まる追求(という課題)共認と追求充足によって、徐々に追求充足回路=観念原回路が形成されていった。

この観念原回路には、現代人が失って終ったものが二つある。
一つは追求回路の根っこに接続していた宇宙と一体化したトランス感覚である。
とは云え、トランス感覚の更に根っ子の共認充足回路は、もちろん現代でも確り追求回路に接続しているし、何よりも根本の適応本能(=秩序化本能=論理整合性を形成する根元)は追求回路に直結している。
もう一つは、洞窟の中で研ぎ澄まされた感覚機能が追求回路の先端に接続していたことであるが、もちろん現代でも追求回路が感覚機能に接続しているのは言うまでもない。
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【言語の進化】3.人類最初の観念は「精霊」。「精霊」こそ、観念の原点である。

      歩行訓練→踊り→性充足(闘争から解脱充足へ後退)
↑     ↓  ↓  祈 り→感謝
↑     ↓  ↓  ↑ ↓ ↑
どうする? → トランス状態で追求→精 霊→何?→何で?

恒常的に生存の危機に晒されていた人類は、唯一の武器である共認機能に先端収束して、不整合な自然世界に問いかけ続け(=対象を凝視し続け)、その果てに遂に自然の背後に「精霊」を見た。人類が万物の背後に見たこの「精霊」こそ、人類最初の観念である。
しかし、観念そのものは、単なる記号にすぎず、それ自体は意味を持っていない。観念≒言葉の意味は、もっぱら言葉を発する前の追求回路=観念原回路の中にある。
換言すれば、観念回路そのものはデジタル回路にすぎない。それは、本能や共認機能を動員して形成されたアナログな追求回路(=観念原回路)に直結して、はじめて意味を持つ。重要なのは、言葉ではなく、言葉以前の伝えたい内容=何らかの意識なのである。
従って、受験勉強のように、「どうする?」発の根源的な追求回路を駆動させることなく、観念回路だけを作動させても、単なる知識としての観念が蓄積され、暗記脳が形成されてゆくだけで、そんな観念は使いこなすことが出来ないし、現実には何の役にも立たない。
なお、万物の背後に「精霊」を見るのも「物理法則」を見るのも、共に五感を超えた認識機能=観念機能の産物であり、五感対象の背後に措定した観念であるという意味では基本的に同じ認識である。

人類が最初に見た「精霊」は、おそらく生命力の塊のようなものだったろう。
しかし、それが言葉として発せられた時、おそらくその言葉は「ぴかぴか」とか「くるくる」というような擬態語だっただろう。そして、その擬態語には、生命の躍動感が込められていたに違いない。
人類の最初の言葉が擬態語や擬音語であったことは、乳児が発する言葉からも、又(最後まで侵略による破壊を免れた)縄文語→日本語に残る擬態語・擬音語の多さからも伺うことができる。

投稿者 tanog : 2020年03月12日  



 
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