2019年10月31日

2019年10月31日

秦氏=忍者=諜報組織 だが、彼らが裏方で活躍してきた事が今の日本に息づいている

過去のるいネットの中から掘り出し物の記事を紹介していきます。リンク

「日本の裏の歴史は秦氏が支配してきた。」
秦氏の系列に大伴氏、加茂氏があり、陰陽道、神社ネットワーク、忍者部隊、芸能民、山の民によって立体的な裏支配を作り上げていた。
5世紀に大量に渡ってきた秦氏がなぜそのような組織を作り上げる事ができたのか、動機は何か、非常に興味湧くところではあるが、それを追求した書は未だない。秦氏と忍者、諜報組織の関係についてまとまった文章があったので紹介しておきたい。

秦氏は常に歴史の裏方で活躍してきた。彼らがいなければ、今日の日本はありえず、伝統文化も存在しえなかった。忍者と財閥、このふたつを握ることで、秦氏は日本の歴史を裏で動かしてきたといってもいい。リンク

諜報組織、忍者、裏組織と聞けば悪いイメージが付きまとうが、決して表舞台に登場しない彼らが日本の土台を作った。
以下を読むと悪しきイメージよりその功績は大きい。要はそこで得た裏情報(=事実情報)を何に使うかである。
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<忍者と秦氏>
・忍者の歴史は古い。文献に残る忍者の初見は聖徳太子が組織したという「志能備」、もしくは「志能使」と表記される組織である。『日本書紀』によると、「大伴細人」なるをもって志能備の任に当たらせたとある。大伴氏は物部氏と並ぶ古代豪族のひとつ。軍事的な力をもっていた。軍事の基本は情報であり、インテリジェンスである。その意味で、大伴氏が諜報活動を行ったという記述は十分、信頼性のあるものだが、忍者の歴史を俯瞰するに、実際の任務を担ったのは、実は秦氏であることが見てとれる。

・特に江戸時代、幕藩体制のもとでは、一般庶民は自由に藩を出ることはできなかった。伊勢講など、神社へと詣でる特別な行事でもなければ、関所を通ることはできなかったのである。
しかし、なかには特別に関所を自由に通行することを許された人々もいる。遊行者である旅芸人をはじめ、いわゆる興行を行う人々は全国を歩き回ることができた。なかでも日本の伝統芸能である「能」は観阿弥、世阿弥によって集大成され今日に至っているが、彼らは秦氏であった。能の源流ともいわれる「猿楽」「申嶽」は、もともと聖徳太子の命によって、彼の側近であり、舎人であった秦河勝が始めたものである。秦河勝の息子が当時、聖徳太子が建立した四天王寺において披露した芸が始まりだとされる。
能や申楽のほか、田楽などといった庶民の芸能のほか、雅楽もまた、そのほとんどを秦氏が担っていた。同じく全国を歩き回ることを許可された民間陰陽師、歩き巫女、香具師といった人々もまた、秦氏の流れを引く者が多い。

・さらに、里の民とは別に、山の民もいた。街道ではなく、深い山々に張り巡らされた道を通り、日本列島を縦横無尽に歩き回った山の民、とりわけ山伏と呼ばれた修験者は呪術的な存在でもあった。修験道の祖「役小角」と並び称され、京都の愛宕山や加賀の白山を開いた「泰澄」の俗姓は秦氏であった。

・こうした全国を旅する人々は必然的に多くの情報を見聞きすることになる。事実上、諸国の事情を最も包括的に知っているのは秦氏だったといっても過言ではない。まさに、それは全国に張り巡らされた情報ネットワークであり、為政者の目には極めて良質なインテリジェンス組織のように映ったことだろう。ある意味、秦氏が忍者となったのは歴史的な必然だったともいえる。

事実、戦国時代から近世に至るまで、歴史の裏で暗躍した忍者の多くは秦氏であった。講談や漫画でもおなじみの忍者「服部半蔵」は、その名の服部が示すように伊賀の秦氏であった。伝説的な存在では「百地三太夫」なども有名だが、俳句を詠んで東北を歩いた「松尾芭蕉」を含め、彼ら伊賀忍者はみな秦氏である。ちなみに、松尾氏は京都の松尾大社で知られるように、そのほとんどが秦氏であるといっても過言ではない。

<秦氏の経済力>
・いわば農業や漁業、林業などの第1次産業と並んで、日本経済の柱となったのは第2次産業である。ごく大雑把にいえば工業である。工業には重工業と軽工業があるが、このいずれも、基盤は秦氏が担っていた。

まず、重工業はいうまでもなく、鉄鉱石を採掘し、これを道具や武器などの製品にする。鉄はもちろん、金銀銅といった貴金属を生み出す鉱山の多くは、高度な金属精錬技術をもった渡来人が担ってきた。なかでも、そのほとんどが秦氏であったといっても過言ではない。全国の金山や銀山、銅山には、古代から近代にいたるまで必ずといっていいほど秦氏の影がある。
・一方の軽工業といえば、まさに戦後の経済成長の牽引力ともなった繊維産業だ。古代にあって最高の繊維は絹であり、それを生み出す蚕の飼育、すなわち養蚕はこれまたほぼ秦氏が独占していた。
・まさに秦氏は殖産豪族の代表格であった。近代の財閥のようだというより、そもそも三井をはじめとして財閥自体、実は秦氏の流れを汲む人々なのである。莫大な財力をもつ財閥一族が、あまり政治の表舞台に立つことがないように、秦氏もまた政治家になる者は少なく、もっぱら産業界において名を馳せた。

<歴史の表と裏>
・では、社会の表に出ない秘密、インテリジェンスを入手するためにはどうすればいいのか。答えは諜報活動、平たく言えばスパイ活動である。合法・非合法を問わず、有効な極秘情報を入手することが重要だといっていい。よく引き合いに出される欧米の格言によれば、スパイ活動は世界で2番目に古い職業であると評言される。ちなみに、最も古い職業はセクシャリティを売ること、すなわち売春である。
・近代国家が発足する以前、諜報活動はすべて裏方が行ってきた。すなわち、「忍者」である。

<陰陽道における秦氏と加茂氏>
・陰陽道を握ることは、神道を支配することにほかならない。秦氏と加茂氏は互いに陰陽道によって、日本全国の神社を支配下に治めていくことになる。今日、氏子がどう思うかどうかは別にして、神道の元締めが天皇であり、その祭礼を一手に握る加茂氏と歴史の裏で暗躍した秦氏によって、すべての神社は乗っ取られてしまったのである。

 

投稿者 tanog : 2019年10月31日  



 
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