2019年10月17日
2019年10月17日
寺田寅彦に学ぶ「日本人の自然観」
今から70年前に書かれた文章、寺田寅彦の随筆の言葉の力はは災害がある毎に私たちに迫ってくる。今回台風19号で多くの地域、人々がまた災害の犠牲になった。特に台風は毎年日本列島で猛威を振るい、その被害が年々大きくなっているのは都市化や気象変動の影響はあるものの、私たちの自然に対する意識(畏れ)が希薄になってきている事の裏返しかもしれない。
古来日本人は自然を畏れ、敬い、その中で恵を頂いてきた。何でもコンビニやネットで買える時代になり、便利さの代償として頂くという感謝の意識は確実に薄れていっている。寺田氏が書かれている西欧科学の成果を何の苦労もなくごっそり輸入した日本でその危機が今、顕現している。そしてそれは天の知らせであり、今改めて謙虚に自然を受け容れなければいけない事の示唆ではないか。日本に与えられた自然外圧は台風や洪水、地震、火山噴火と、西洋のように立ち向かう、克服するでは乗り越えられない大きなものなのだ。迎え入れる、対応する、適応する、その為に自然を謙虚に学び、それに適応した古来からあった自然観への同化、学びが今必要。そして防災に必要な政策や政治があるとしたら、そこから組立て直さなければいけない。どこかのアホな自民党の政治家がコメントした“今回の台風の被害はまずまずだった“等と言う発言は出てくるわけがない。
=寺田寅彦氏の味わい深い随筆を時間がある方は読んでみてほしい。=参考リンク「青空文庫」
>われわれは通例便宜上自然と人間とを対立させ両方別々の存在のように考える。これが現代の科学的方法の長所であると同時に短所である。この両者は実は合して一つの有機体を構成しているのであって究極的には独立に切り離して考えることのできないものである。人類もあらゆる植物や動物と同様に長い長い歳月の間に自然のふところにはぐくまれてその環境に適応するように育て上げられて来たものであって、あらゆる環境の特異性はその中に育って来たものにたとえわずかでもなんらか固有の印銘を残しているであろうと思われる。
日本人の先祖がどこに生まれどこから渡って来たかは別問題として、有史以来二千有余年この土地に土着してしまった日本人がたとえいかなる遺伝的記憶をもっているとしても、その上層を大部分掩蔽するだけの経験の収穫をこの日本の環境から受け取り、それにできるだけしっくり適応するように努力しまた少なくも部分的にはそれに成効して来たものであることには疑いがないであろうと思われる。
そういうわけであるから、もし日本人の自然観という問題を考えようとするならば、まず第一に日本の自然がいかなるものであって、いかなる特徴をもっているかということを考えてみるのが順序であろうと思われる。
(中略~読みたい方は上記のリンクへ飛んでください)
このような自然の多様性と活動性とは、そうした環境の中に保育されて来た国民にいかなる影響を及ぼすであろうか、ということはあまり多言を費やさずとも明白なことであろう。複雑な環境の変化に適応せんとする不断の意識的ないし無意識的努力はその環境に対する観察の精微な敏捷を招致し養成するわけである。同時にまた自然の驚異の奥行きと神秘の深さに対する感覚を助長する結果にもなるはずである。自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど人間は自然に対して従順になり、自然に逆らう代わりに自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験をわが物として自然の環境に適応するように務めるであろう。前にも述べたとおり大自然は慈母であると同時に厳父である。厳父の厳訓に服することは慈母の慈愛に甘えるのと同等にわれわれの生活の安寧を保証するために必要なことである。
(中略)
人間の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科学の発達を促した。何ゆえに東洋の文化国日本にどうしてそれと同じような科学が同じ歩調で進歩しなかったかという問題はなかなか複雑な問題であるが、その差別の原因をなす多様な因子の中の少なくも一つとしては、上記のごとき日本の自然の特異性が関与しているのではないかと想像される。
すなわち日本ではまず第一に自然の慈母の慈愛が深くてその慈愛に対する欲求が満たされやすいために住民は安んじてそのふところに抱かれることができる、という一方ではまた、厳父の厳罰のきびしさ恐ろしさが身にしみて、その禁制にそむき逆らうことの不利をよく心得ている。その結果として、自然の充分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を集収し蓄積することをつとめて来た。この民族的な知恵もたしかに一種のワイスハイトであり学問である。しかし、分析的な科学とは類型を異にした学問である。
たとえば、昔の日本人が集落を作り架構を施すにはまず地を相することを知っていた。西欧科学を輸入した現代日本人は西洋と日本とで自然の環境に著しい相違のあることを無視し、従って伝来の相地の学を蔑視して建てるべからざる所に人工を建設した。そうして克服し得たつもりの自然の厳父のふるった鞭のひと打ちで、その建設物が実にいくじもなく壊滅する、それを眼前に見ながら自己の錯誤を悟らないでいる、といったような場合が近ごろ頻繁に起こるように思われる。昭和九年十年の風水害史だけでもこれを実証して余りがある。
西欧諸国を歩いたときに自分の感じたことの一つは、これらの国で自然の慈母の慈愛が案外に欠乏していることであった。洪積期の遺物と見られる泥炭地や砂地や、さもなければはげた岩山の多いのに驚いたことであったが、また一方で自然の厳父の威厳の物足りなさも感ぜられた。地震も台風も知らない国がたくさんあった。自然を恐れることなしに自然を克服しようとする科学の発達には真に格好の地盤であろうと思われたのである。
こうして発達した西欧科学の成果を、なんの骨折りもなくそっくり継承した日本人が、もしも日本の自然の特異性を深く認識し自覚した上でこの利器を適当に利用することを学び、そうしてたださえ豊富な天恵をいっそう有利に享有すると同時にわが国に特異な天変地異の災禍を軽減し回避するように努力すれば、おそらく世界じゅうでわが国ほど都合よくできている国はまれであろうと思われるのである。しかるに現代の日本ではただ天恵の享楽にのみ夢中になって天災の回避のほうを全然忘れているように見えるのはまことに惜しむべきことと思われる。
投稿者 tanog : 2019年10月17日 Tweet