2022年2月4日

2022年02月04日

【縄文再考】自然災害を恐れるのではなく、注視し、生き方を変え、適応(共存)していく縄文人の底力

みなさん、こんにちは。

今回は、縄文時代における人口、縄文人たちの生活に大きく影響を与えたであろう『災害』について分析していきます。

そもそも、縄文人に影響を及ぼした災害って何なのか、どんな被害を受けたのか、そして縄文人って災害をどう乗り越えてきたのかを明らかにしていきたいと思います。

■自然の摂理に沿った生き方

まず、特筆すべきは、縄文時代の貝塚を調査すると、津波・河川氾濫などの水害をうけたものはみられないということ。

津波のこない高台を選んで集落を形成。内陸でも、縄文時代の集落はほとんどが、河川の支流が近くを流れる大地の高台のへりに作られているそうです。

※流されたから遺跡が残らないという指摘もありえますが、頻繁におきていたら一部が流された…という集落がないとおかしい。そういう遺跡が発見されていない以上、ほとんど水害はなかったと考えるのが妥当ではないでしょうか。

一方で、稲作をはじめた弥生時代以降は、甚大な被害をもたらした大規模な洪水痕跡が複数検出されています。

縄文人は、自然の摂理に逆らわず、自然外圧を読み、生きていたのでしょう。

 

■自然を畏れ、敬い、生き方を変える

縄文時代に大きな影響を与えた災害は「火山の噴火」です。中でも下で紹介する火山噴火は甚大な被害をもたらしています。

約 7,300 年前 鬼界カルデラ大噴火 【縄文早期末】

・薩摩硫黄島、竹島、屋久島付近の海底まで広がるカルデラ

・3万メートルの噴煙柱/100 キロ離れた薩摩半島にまで達した火砕流/火山灰は九州全土に厚く積もり、西日本全体にも降り注いだ

 

約5,900年前 十和田火山巨大噴火 【縄文時代前期】

・青森県十和田市、秋田県鹿角郡小坂町の県境に位置

・青森県全土が焦土と化した/岩手県の陸前高田、山形県の月山まで噴火の軽石が飛んでいき、堆積

 

約5,400年前 沼沢火山噴火 【縄文時代前期末葉】

・福島県大沼郡金山町の会津盆地の南西山地に位置する沼沢火山

・広域拡散型の流速 100m/s を超の火砕流、会津盆地南半を覆い、噴火口から約 30㎞離れた阿賀川流域付近まで到達

 

約3,000年前 富士山4回の爆発的噴火 【縄文時代後期】

・通常西風が吹いており噴出物は東側に多く積もりますが、大沢スコリアのみは、東風に乗って浜松付近まで飛んでいます

・結果として、富士山以東が寒冷化、以西は寒冷化の影響少

 

こうした火山に対して、縄文人は、富士山を崇めていたことを推測させる遺構(富士山の方向に向かって配置された環状列石や帯状列石)が残っているなど、山岳信仰がみられます。恐怖の対象である火山を避けるのではなく、畏れ、敬っていたのです。

また、火山の被害(火砕流や火山灰等)を受けた土地は壊滅状態に陥ることに焦点があたりがちですが…実は、同じ土地に戻ってきて、生活を再建した集落、さらには新しい食料を発見し、新しい土器を生み出し、生き方を変えることで、隆盛を極めた例さえあるそうです。

★十和田火山後の青森県では、栗林、円筒土器文化の出現が同時期に発生しています。

★噴火や土石流でムラを出なければならない状況になってしまった縄文人が、近い将来にここに戻ってくることを願い、ここに埋めたのではないかと言われている宝石も見つかっている。

自然災害を単に畏れる(恐れる)だけでなく、注視し、生き方を変え、適応(共存)していくのが縄文人の底力なんですね。

また単に耐えるように生活するのではなく、逆境を糧に、新しい技術を生み出し、進化していくことも縄文人に学ぶべきポイントでしょう。

投稿者 sibata-h : 2022年02月04日  



 
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