2020年5月14日

2020年05月14日

「日本人シュメール起源説」の謎

現在の歴史学が“世界最古”とする文明はシュメール文明です。シュメール文明は、シュメール人によってメソポタミアの最南部、チグリス・ユーフラテス川の下流域に築かれた文明です。

シュメール人は、遥かな古代、どこからともなくこの地に姿を現し、何の手本もなしに、独力で人類最初の文明を築き上げ、今から4000年前、突然その姿を消してしまったとされますこのシュメール人の存在は、わずか150年ほど前の1850年代まで、全く知られていませんでした

メソポタミアの歴史に詳しい聖書も、古代ギリシア・ローマの文学も、シュメール人については一言も触れていません。シュメールという名称そのものが、数千年の長きにわたって、人類の記憶から消え去っていたのです。現在でも、シュメール文明の興亡は、人類史上最大の謎のひとつとされ、歴史学はそれを「シュメール人問題」と呼び、解き明かせぬ歴史上の難問のシンボルとして扱っています。

シュメールは、数多くの文明が興亡を繰り返してきました  メソポタミア地方の最南部に興った。だが、いつ、どのような経路を通ってその地に やってきたのか誰も知りません。

(さらに…)

投稿者 tanog : 2020年05月14日  

2020年05月14日

ウバイド人を明らかにする~落合莞爾 史観より

メソポタミア文明を担った中心にシュメール人が居り、シュメール人は出自もアッカド人に追われた後も謎と言われている。あまりにも高度な文明装置を一気に揃えた事や天文学に長けていたことから一説には宇宙人などという説まで登場する。また現代の私権社会に繋がる戦争を初めとする全ての基礎的仕組みができあがったのもこの時代だ。私権社会を解明する上でシュメール人の謎を事実ベースだけを題材に明らかにする事は改めて重要だと感じている。しかしこのシュメール人が登場する前に既にメソポタミアで高度な文明を築いていたのがウバイド人である。シュメール人を解明する前にウバイド人を調べる事を優先したい。

その中で、ウバイド人という名前を付け、現在謎と言われている民族こそウバイド人の末裔であると表現する研究家が居た。落合莞爾氏である。1941年生まれの落合氏だが、日本の皇統や秘事を次々と書籍で発信し、その独自の分析に落合史観とまで評され、未だに根強い支持者がいる。

今回はブログ落合史観研究会からウバイド人のページを紹介したい
落合氏の説によれば、ウバイド人とは金の採取に長けた民族で、その後海洋人となり世界各地に拡散、その一派が日本では秦氏を名乗っている。
フェニキア人やスキタイ人の上層部に潜り込んだり、何より彼らの特徴はキングメーカー(裏から王を生み出し、操る)という処にある。

m010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gifm010.gif

 ウバイド人とは、紀元前5500年頃メソポタミアに登場した旧人類とされる人々で、「ウバイド文化」を担った人々。

学術的に「ウバイド文化」は存在するが、当時生きていた人々に対しての呼称がないため、落合莞爾氏が著作の中で便宜的に「ウバイド人」と使用。ウバイド人は、ビュルム氷期を寒冷地適応することなく高山地帯で過ごし、ビュルム氷期が終わった紀元前8000年頃から、しばらく時を経てメソポタミアに登場。ウバイド人のような旧人類は、その他にもビュルム氷期中でも比較的温暖であった太平洋沿岸の地域にも存在し縄文文化を担った人々(縄文人)もその一つとされる

ウバイド人はメソポタミアに登場した際から、農耕、漁労、牧畜の三つに社会的分業を行っており、各生業で生ずる余剰生産物交換における媒介として「黄金」が機能することを予め知っており、円滑な社会的分業から文明度を高める術を持っていた。また、黄金の利用価値を理解していたため、ウバイド人たちは世界各地の河川などに散在している自然金の収集を図った。収集の方法は、ウバイド人が各地に移住し、高度な灌漑技術で河川を灌漑する際に密かに収集していた。灌漑によって飛躍的に食料生産規模を高めたエリアは文明が発達していった。

メソポタミアには紀元前5500年から3800年頃まで存在し、以降はシュメール人にメソポタミアエリアの文明を引き継ぎ、東西への移住を推進した。

東に向かった人々がインダス川やウラル海に注ぎ込む内陸のアムダリア川に到達した。インダス川からガンジス川に内陸で移った後かその前か、一団が船団で東南アジアから日本に到達した。この海から渡ってきた一団の中に、日本皇統となったウバイド人たちもおり、海から日本に到達した人々を、落合莞爾氏は「タチバナ」と呼称している。
到達した先は和歌山県の熊野エリアで、さらにここから一部が博多(那の津)に展開した。なお、海人ウバイドのタチバナは、その後の姓では、和田(楠木)、橘、津田、井口、菊地(土編)、橋本、井上などを名乗っているが、さらに様々な名字が派生しているようであるが、井口や井上同様に灌漑技術に優れていたので「井」が入ることも多いらしい。また、ウバイド人同士の時は、自分たちのことを「イシヤ」と呼ぶようで、現在でもウバイド人の密度が濃い和歌山や大阪南部では「イシヤ」を使う人々が存在。

ところで、ウバイド人ではあるものの「タチバナ」とは別で呼称されるのが「サエキ」。佐伯と紛らわしいので「サエキ」と表記されるが、高山地帯で生きて来たからか修験のようでもあるので、「修験サエキ」とも呼称されるサエキは主に大陸で活動した人々を指すことが多いようで、アムダリア川やシナの黄河や長江を灌漑していた人々は「サエキ」と呼ばれる。シナの伝説的な王と言われる「尭」、「舜」、「禹」もウバイド人で、特に「禹」が高い灌漑能力を発揮した。

大陸で活動する中で、黄金を管理や移動を担う氏族はシナでは「呂」氏となり、黄金を使って王を生み出すことからキングメーカーとなり、歴史上では太公望呂姜、呂不韋、呂公などとして現れる。また日本ではこの「呂」氏は「秦」氏と名乗っている。秦氏は呂氏系秦氏の他にも、彼らが率いて来たその他の民族が秦人と呼ばれるので、必ずしも秦人=呂氏ではない。なお、サエキは、日本ではさらに呂氏以外も存在し、大伴氏、佐伯氏、阿刀氏、緒方(初期)氏などである。

ウバイド人は、世界に拡散する中で、スキタイ人の上層部として入っていたり、ケルト人やフェニキア人と呼称されたりしている。
世界史上謎の民族とされている人々がウバイド人でなるのかもしれない。

投稿者 tanog : 2020年05月14日  



 
Secured By miniOrange