2019年2月28日
2019年02月28日
「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」 第3回 翡翠の道を追う(後半)
2週間前に翡翠の記事の前半を入れたのですが、それからかなり時間が経ってしまいました。私事で年度末の仕事が立て込んだというのもあるのですが、いけませんね。継続していきます。
さて、前回の記事では翡翠とは何か、日本列島の翡翠は硬玉と呼ばれ同時期の中国の軟玉に比べ硬度があり、加工が難しく、宝石としての価値ははるかに高いものでした。さらにその用途は装飾品からシャーマンの象徴だったり、それを保有する集落、集団としてのステイタスの表現にも使われたとされています。
また、翡翠を語る上で最も縄文的で現在の日本人にも通じるものとして工芸的な職人センター、さらに贈与を最大の価値とする独特の文化がありました。そしてその贈与を担ったのが運搬人です。舟や陸路を使い、その専門の運び屋が明らかに存在していたのです。
彼ら、運び屋とは何か、何の為に危険を冒して貴重な品々を遠方に運んだのか?
投稿者 tanog : 2019年02月28日 Tweet