2019年2月1日
2019年02月01日
新シリーズ「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」 第1回 竪穴式住居と火と焔
縄文ブログもこの間縄文体質とは何かというテーマで続けてきましたが、ようやく前回の投稿で一旦シリーズは終了しました。次のシリーズを設定したいと思います。次は縄文時代そのものを扱います。丁度最近購入した本に「縄文探検隊の記録」という非常に興味深い本があります。小説家の夢枕獏さんと歴史家の岡村道男さんの対談集です。
縄文時代人は何を考え何を築いてきたか、そのディテールにスポットを当ていくつか展開していきたいと思います。
初回は住居。竪穴式住居と言えば縄文の定番ですが、その住居の合理性と縄文人が大切にしたものを紹介していきます。このシリーズは淡々と縄文人の行動を提示して行く事で私達が縄文時代を考える拠り所にしていきたいと思います。
■は投げかけで私の文章です。□は著書からの抜粋です。
■竪穴式住居のサイズは、その合理性は
>竪穴式住居は一般的に床を1mほど掘り下げ、広くフラットな穴を開けます。
広さは直径4~5m。掘った土は外周へ土堤状に積み、穴の床に柱を4~5本立て、その上に円錐状の屋根の骨組みを作ります。柱が立ったら梁と桁を横に渡し、そこに垂木という木を放射状にぐるりと渡します。垂木に細い横木をしばりつけ、その上に樹皮や枝を敷いて今度は粗朶を置き、その伏屋根の上に、床を掘ったときに出た土をすり上げて載せていくのです。掘り下げたときに出た土がそのまま屋根土になるので土の移動量はほぼプラスマイナスゼロです。余った土をわざわざ離れた場所に捨てに行かなくてもよい。こういう発想も極めて縄文的です。
■竪穴式住居の居住性とは
>土屋根式の竪穴住居はどれくらい快適だったでしょうか。
真冬でも炉で火を焚いていると摂氏25度くらいに保てます。竪穴住居に載せられた土は、日本の北へ行くほど厚くなります。つまり耐寒仕様になっていたらしい。夏は夏で地表の暑い空気を遮断してくれるので涼しいのですが、もっぱら冬を想定した建築です。
炉は物理的にも精神的にも常に家の中心にありました。標準的な縄文の炉は構造が単純で石で囲う程度、石を使わず地面の上で直接燃やしているケースもあります。福島から新潟以北にある、4500年前の縄文中期にあった宮畑遺跡の場合、複式炉と呼ばれる特殊なタイプで3つの部分から構成される炉が流行します。たき口は前庭のように広く、その先に深い燃焼スペースがあり、奥には消し炭を置く場所がある。その3つで炉を形成しており、機能的な進化が見られるだけでなく、石を丁寧に組んで立派に作られます。
■複式炉はどのように使われていたのでしょうか?
>縄文時代の炉というと赤い炎が大きく立ち上った焚き火を連想する人も多いと思いますが、そういう焚き方はしていません。基本的にはかなり穏やかな火です。よく乾いた太い木を横たえ、前へ送り出しながらじわじわと炭化させていく燃やし方。乾いた薪を使えば煙もそれほどは出ません。熱も安定しています。炎が小さいと調理をしていても土器が割れにくいですし、長くもやせるので熱カロリーを有効に使えます。炉ではこの灰の存在が非常に大きくて余熱を保温に使えるだけでなく、熱い灰を使った蒸し焼き料理もできました。ワラビやトチの実のアクは木灰を使って抜きますが、これも縄文ゆかりの知恵だと私は思います。
>縄文人は何事も無駄使いはしない。
燃え残りのかけら、つまり消し炭は炉の奥の溜まりにまとめておき、種火を大きくするときに使ったようです。
暮らしのあらゆる部分に、持続と合理のための知恵があったようです。
■縄文人と火、切っても切れない関係にあります。火焔土器に見られるように縄文住居の焔とは神聖なるものであり、火はその使い方も含めて工夫に工夫を重ねていたのでしょう。縄文人を語る上で一つの象徴でもあります。
投稿者 tanog : 2019年02月01日 Tweet