2013年3月14日
2013年03月14日
弥生時代再考エピローグ~日本人の本源性は女によって残された~
このシリーズでは6回にわたってテーマ追求をしてきましたが、今回が最後になります。そこで改めて弥生時代とは(日本にとって)何か?の答えに迫ってみたいと思います。
縄文のビーナス
プロローグで弥生時代とは私権社会の始まりであると仮説を出しました。
農耕の拡大、金属器の拡大は私権社会を拡大するための手段で、目的は渡来人為政者が私権社会を作る事、即ち大衆支配にあったとしました。
この間の追求で見えてきたのは、金属器の拡大にせよ、巨大古墳の拡大にせよ、支配という力の原理だけでは事は進まなかったという事です。むしろ、支配者自信が縄文人の意識の方に擦寄り、彼らの信望を集めることでその頂点に立つという手法を取らざるをえなかったのです。
冒頭の弥生時代に起こった事象をまとめて考えると、弥生時代とは以下のように捉える事ができるのではないでしょうか?
投稿者 hi-ro : 2013年03月14日 Tweet