2022年10月29日

2022年10月29日

竪穴式住居、高床式住居のルーツをたどる

縄文時代に存在した「竪穴式住居」と「高床式住居」の2つの建築様式について。

これらの建築様式はどこからやってきたのでしょうか。

 

縄文時代と同時期だと考えられる遺跡、あるいは現在の生活様式からの仮説から

関係性を探ってみました。

 

■西アジアの竪穴式住居らしきもの

 

西アジアでは1万2500年前ころから定住をした竪穴住居のようなものが見つかっている。

 

>生活の基本は旧石器時代以来の採集狩猟だから、そのような人々は定住的採集狩猟民ということになる。かれらの文化をナトゥーフ文化という。家屋は円形の竪穴住居で、石の壁や貯蔵穴をもっていた。遺跡から出土する遺物は、後の新石器時代を彷彿とさせるものが多い。たとえば、穀物収穫用の石鎌や、製粉具である石皿、石鉢、石杵が大量に見つかる。(リンク)<

 

西北シリアにあるデデリエ洞窟から当時の竪穴住居の構成がうかがえる。

 

>当時の家の仕組みがわかる稀有な遺跡の一つである。4m×2.5mほどの範囲の地面を深さ70cmほど掘りくぼめ、内側に石灰岩をつみあげてあった。壁の内側には木材が横にはりめぐらされ、床には木材が部屋の中央に向かって放射状に何本か落ちていた。木材でくみ上げた屋根が作られていたのである。(リンク)<

 

またナトゥーフ文化が栄えた時期は前12700年(14700年前)に温暖期が始まり、急激に気温が上昇したころ、その後のヤンガードリアス期(寒の戻り)には遺跡が減少しているため、遊動民に戻ったともいわれている。

 

■高床式住居の分布

高床式住居は中国南部、東南アジアなどの熱帯地域や、シベリア、北アメリカ、南アメリカなどにみられる。

 

亜熱帯地域では床面が地面、水面から離れているため大雨による洪水被害を避け、シベリア地方では、暖房の熱で溶けた床下の永久凍土による建物の傾きを軽減するなどの働きがあるとされている。

 

東南アジアに着目すると当時約三〇〇の民族名がある中で、民家の共通項のうちで最大のものは高床の居住様式にあると言われている。

ただし民族によって住み方は違う。

 

>ボントック族は伝統的に地床(土間)居住をおこなう。高床住居の下で日常生活をおくり、けっして高床のうえに住もうとはしないのである。(毎年一回だけ米の収穫後、各家では高床上にしつらえられた炉に火をおこして供犠のためのニワトリを調理する)

 

ボントック族に接して居住地をもつイフガオ族は本来の高床居住をおこなう民族であり、住居とおなじ構造をした建物に穀倉がある。実際イフガオ族では住居よりも穀倉の方にいっそう重要性があるようだ。(穀倉には穀霊をかたどった木彫がおかれていたり、穀倉は富裕なものだけしか所有していなかったり)

 

登呂や山木の遺跡から発掘された板校倉式の高倉の建築細部は、精度の高い加工をうけていた。また、銅鐸や土器片にのこされている建築画もほとんどは高倉を描いたものであり、穀倉が技術的な完成度の点でも、また社会的な機能のうえでも、社会集団の中心的な施設であったことがわかる。(リンク)<

 

北(西アジア)からのルート、南(東南アジア)からのルートと建築様式の伝播は

複数のルートがある中で、集団の生活で定住を始めた竪穴式住居、身分・儀式・保存のための高床式住居と、派生した地域の機能も継承して日本国内に伝搬したかもしれません。

 

 

投稿者 hanada : 2022年10月29日  



 
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