2017年3月30日
2017年03月30日
日本史を学ぶなら「縄文」からがおススメ~第2回「海洋民としての縄文」
第2回は海洋民としての縄文を見ていきたいと思います。
縄文時代は日本海という温暖な海流が入り込んで大陸と切り離されたことによって始まります。降雨による豊かな水資源、それによる広葉樹域の広がり、採集食料の拡大、さらには暖流によって運ばれた大量の水産資源がありました。縄文時代の始まりにはこの海の存在が密接に絡んでいます。
参考⇒「日本人の起源」を識る~1.日本海の形成によって始まる縄文文化
縄文人といえば採取狩猟民としてイメージされる事が多いでしょうが、その本流は漁労民、海洋民にあるのではないかと思っています。というのも他地域と異なる最大の縄文人の特性は非常に広域な黒曜石、ヒスイ等の贈与ネットワークの存在と既に縄文時代に拡大した共通言語=日本語の存在です。縄文早期には釣針がつかわれ、網の技術も中期には開発されています。また東日本で見られたサケマス漁は縄文人の複数の共同体を巻き込んだ組織性、共同性、その後の祭りの文化を創出しました。大量の貝塚、縄文中期から始まる製塩技術など海と共に縄文文化は存在してきたのです。
当然穀物も必要だったので海と山の中間に居を構え、海の幸、山の幸を季節、場所に応じて採取したのでしょう。そういう意味では豊かな食資源を生み出したのは海洋民としての縄文の方だったに違いありません。
もう一つの根拠が、縄文人はどこから来たのかという事で、朝鮮半島、シベリア、中国江南地方、縄文時代の早期から彼らは丸木舟に乗って漂着しています。日本列島に辿り着いたという事は裏返せば海を渡りきる技術を有しており、漂着した時に既に海洋民だったと考えれば合点がいくと思います。
☆この海洋民としての縄文人はその後どのように展開していったのでしょうか?
投稿者 tanog : 2017年03月30日 Tweet