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日本史を学ぶなら「縄文」からがおススメ~第2回「海洋民としての縄文」

2回は海洋民としての縄文を見ていきたいと思います。

 縄文時代は日本海という温暖な海流が入り込んで大陸と切り離されたことによって始まります。降雨による豊かな水資源、それによる広葉樹域の広がり、採集食料の拡大、さらには暖流によって運ばれた大量の水産資源がありました。縄文時代の始まりにはこの海の存在が密接に絡んでいます。
参考⇒「日本人の起源」を識る~1.日本海の形成によって始まる縄文文化 [1]

縄文人といえば採取狩猟民としてイメージされる事が多いでしょうが、その本流は漁労民、海洋民にあるのではないかと思っています。というのも他地域と異なる最大の縄文人の特性は非常に広域な黒曜石、ヒスイ等の贈与ネットワークの存在と既に縄文時代に拡大した共通言語=日本語の存在です。縄文早期には釣針がつかわれ、網の技術も中期には開発されています。また東日本で見られたサケマス漁は縄文人の複数の共同体を巻き込んだ組織性、共同性、その後の祭りの文化を創出しました。大量の貝塚、縄文中期から始まる製塩技術など海と共に縄文文化は存在してきたのです。
当然穀物も必要だったので海と山の中間に居を構え、海の幸、山の幸を季節、場所に応じて採取したのでしょう。そういう意味では豊かな食資源を生み出したのは海洋民としての縄文の方だったに違いありません。

もう一つの根拠が、縄文人はどこから来たのかという事で、朝鮮半島、シベリア、中国江南地方、縄文時代の早期から彼らは丸木舟に乗って漂着しています。日本列島に辿り着いたという事は裏返せば海を渡りきる技術を有しており、漂着した時に既に海洋民だったと考えれば合点がいくと思います。
☆この海洋民としての縄文人はその後どのように展開していったのでしょうか?

 縄文人の海洋民としての特徴はそのまま沖縄の歴史に引き継がれていきます。

沖縄ではご存知の通り琉球王国が16世紀に作られますが、琉球王国とは国でありながら実のところ周辺の広域の海洋地域をネットワークした交易商業国家であったわけです。⇒沖縄に在る力に学ぶ~琉球王国は侵略か自治か? [2]

本土、日本は弥生以降大陸の支配者の下、農業を中心とした陸の文化が始まりますが、それでも律令支配が崩れだした9世紀からは海洋民としての特徴が随所に現れます。

網野氏の著書をまとめた下記の投稿にそれらが記載されています。
国家と海洋民の通史(2)~中世は海の勢力の興隆期 [3]

また、北海道に移動した本土の縄文人は続縄文文化を経てアイヌ文化を形成します。
このアイヌ文化もまた交易を特徴としており、広くはシベリアまで広げています。
本土に略奪される19世紀まで続いたのは彼らが海洋民としての柔軟さ、取引力があったからで私権社会とわたりあえる力をそれなりに有していたことを示しています。
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(1) アイヌの歴史と文化(基礎データー編) [4]

この海洋民としての特徴は農業民や遊牧民、狩猟民と異なり、非常に自然への同化力が高いという事、境界、領域がなく他者や他部族に対して交易的、ネットワーク形成に極めて長けているという特徴です。外交下手な日本人ですが、それは逆に言えば私権社会の仕組みである略奪交易において劣っているに過ぎず、本来の贈与的、友好的な交易に関してはむしろ有利でありいくらでも拡がっていく可能性を秘めているという事です

現在、金貸し支配のグローバル企業の弱体化、略奪市場の閉塞が始まっている以上、新しい市場のありよう、国境を越えたネットワークが求められています。海洋民としての日本人の可能性はここに来て注目できるのではないでしょうか?

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