2021年6月3日

2021年06月03日

縄文人の死生観~死は自然に帰ってもう一度生まれてくる出来事

縄文人は自然と共生し、生命は自然の中を循環していくものとし、その死生観も循環するものと考えていました。だから、死は決して恐れるものではなく、自然に帰ってもう一度生まれてくるための出来事だととらえていました。

現代は、死は消えて無くなるイメージが強いですが、死を恐れることなく、生に真剣に向き合って生きていけば、あらゆるものが一体的なものと感じることができるのかもしれません。

毎日が発見ネットより。

【死を遠ざけなかった縄文人の生き方】

現在、私たちが持っている死のイメージと、縄文の人々のそれとは、まったく違うもでした。 「現代では死は忌み嫌われているイメージがありますが、縄文人にとって死はもっと身近でした。この時代は、集落の中央にある広場にお墓を作ったり、家の中に埋葬したりすることが多くありました。広場や家に遺体をしばらく置いていた例も見られます。つまり、彼らは死や死者を恐れていなかったのです」。

その根底にあるのが、「生命は再生する」「生命は自然の中を循環していく」という、「再生・循環」の観念です。

「現代では、死は自分がこの世からいなくなる”消滅”や”無”のイメージを持つ人が多いですが、縄文人にとって、死は『自然に還ってもう一度生まれる』ための出来事でした」。 この時代の「生」の象徴といえば、生命を生み出す出産に関するものが多く挙げられます。 「土器や土偶がたくさん作られましたが、出産に関するデザインが多いんですね。土偶はおなかや腰のあたりが膨らんだだものがよく見られますが、これは妊婦をかたどったものだといわれています。

また、土器には、赤ちゃんの顔のようなものが装飾されていたり、出産時の光景を表したようなデザインもあります。土器の中に赤ちゃんや、時には成人の遺骨を入れる『土器棺墓(どきかんぼ)』という埋葬方法がありますが、これは、土器を母体に見立て、もう一度生まれ変わることを願ったといわれているんですよ。お墓の副葬品として、遺体と一緒に土偶が埋められていた例もあります」。

【全てに宿る魂は自然の中で生き続ける】

縄文時代には、生物だけでなく、この世に存在する全てのものに魂(アニマ)が宿るという思想「アニミズム」がありました。縄文の人々は、常に周辺にさまざまな生命や魂を感じながら、生活していたことになります。こんな考えから「土器棺墓(どきかんぼ)」には、動物の頭や木の実などが入っていたこともあるそうです。   そんな生活において、人の死もまた、自然界に起こり得る当たり前のことの一つでした。「縄文の人々にとっても死への不安や恐怖は当然あったと思います。でも、人は死んだらいなくなるのではなく、風となり、鳥となり、星となり、自然に還って存在し続け、やがて再生する。そう考えることは、彼らにとって『心の処方箋』として機能していたと考えています」。

【再生・循環を思えばもっと豊かな人生に】

縄文の人々は、私たちと同じように見たり、感じたりできるホモ・サピエンス(現生人類)でした。日本人の精神や考え方などの基盤がここにあるのです。最近は、自分の遺骨を山や海に散骨する「自然葬」を希望する人も増えていますが、これも「生命は自然に還って再生する」という縄文時代の思想が、いまも私たちの心の中に脈々と受け継がれているからでは。

「縄文時代の死生観は、人類史から見ても最も根源的な観念の一つです。現代は科学文明が発達したにもかかわらず、経済や環境、家庭や仕事などのさまざまな問題があり、死に対する恐怖や不安を持つ人も多くいます。閉塞感を強く抱えるいまだからこそ、その観念が人々の『心の処方箋』として求められているのでしょう。自分は消滅するのではなく、自然のあらゆるところに存在して生き続ける、と思うことができれば、死の迎え方やクオリティ・オブ・デス(死の質)も、とても豊かなものになるのではないでしょうか」。

投稿者 tanog : 2021年06月03日  

2021年06月03日

「新説」土偶はなぜ作られたか⇒ヒントは「なぜ上を向いているか?」にある。

「月と蛇と縄文人」
この著書に最近出会いました。きっかけはるいネットの記事から。
日本が誇るべき縄文文化の本質は「右脳活性」だった! 考古学者・大島直行の日本文化論

大島直行氏は北海道生まれで長く考古学を追求をされてきておられますが、10年前にネリーナウマンというドイツ人の日本研究家の著書との出会いをきっかけに縄文への視座を新たにし、これまでの縄文社会への学会の論説をいくつも覆す、新論を提起しておられます。その視点は非常に斬新で、いくつかこのブログでも展開してみたいと思います。また大島氏の発想を広げる元になったネリー・ナウマンという学者にも非常に興味が湧いてきました。ナウマン氏は女性で既にこの世には居られませんがいくつもの著書を残しており世界中の古代人の精神史を比較検証し、独自の理論を展開されています。

そのうちナウマン氏の著書も購入して紹介していきたいと思います。

第1回は大島氏の著書「月と蛇と縄文人」から紹介します。
土偶とは何か?これについて言及しています。氏は土偶とは死と再生のシンボリズムである「月」の水を受ける装置と提起しています。さらに土器ですら、煮炊きではなく月の水を受ける器という見方も成立する。その月とは縄文人や古代人にとってどういう存在だったのか、そこにも思いを馳せることができます。
以下、引用です。
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「土偶はなぜ作られた」
縄文人は土偶を何のために作ったのでしょうか。長い土偶研究の歴史の中で実は戦前の非常に早い段階から、一つの定説があります。それは土偶を女神や地母神とした解釈です。近年はさらに、土偶が男でも女でもない、いわば「精霊」的な性格を持ち、縄文社会の中では地域や時代を超えて普遍的な価値を持つ存在であることが指摘されています。戦後の土偶研究の一つの到達点といってもいいでしょう。

そうした土偶研究を距離を置いて眺めていた私は、しだいにある思いを持つようになりました。それは、土偶が安産の守り神に過ぎないならば、それほど大きな意味はなく、そこから縄文文化の本質を明らかにすることはできないだろうという”偏見”といってもいいかもしれません。それが私を土偶研究から遠ざけていきました。そんな私が、ひょんなことからドイツの日本学者、ネリー・ナウマンの最後の著者「生の緒―縄文時代の物質・精神文化」を手にするのです。

「土偶の顔はなぜ上を向く」
ナウマンは「土偶は女神」とする日本の考古学者の解釈は根拠が乏しいとしました。そして神話学や図像解釈学を援用しながら独自の土偶解釈を行いました。どくにナウマンの解釈で重要なのは、世界中の神話や民族例を分析したうえで、土偶の造形に月が象徴的に表されていることを突き止めたのです。月は「死と再生」の象徴です。
ナウマンは、縄文人は満ち欠けによる姿を変える月を「死と再生」になぞらえたと考え、そこに呪術宗教的な価値を見出したのだと、月のシンボリズムの意義を力説しました。そして月がこの世のすべての水をもたらし、人も動植物も「月の水」によって生かされていると考えるのは、化学が興る以前の狩猟採集社会の共通した思考方法だったのだと指摘しています。だから縄文土偶の造形にも月を象徴した図像が散りばめられているのだと考えたのです。

7823f27decc029501d413ca1c9319ee2「土偶の顔の向き」
一般に土偶の顔は最初の段階では描かれていません。13000年前の三重県粥見遺跡の土偶も頭部は表現されていますが、顔は描かれていません。同時にもう一つ特徴があります。それは古い土偶は足の表現が極度に簡略化されていて自立できるものはほとんどないということです。縄文も中頃(5000年前)になって足が表現され、自立するようになります。それと同時に顔も描かれるようになってくるのです。
面白いのはこうして作られた土偶の顔がことごとく上を向いていることです。上といっても真上では有りません。心持ち上です。しっかり斜めを前方を向くものも少なくありません。また、この頃から顔や頭のてっぺんがお盆状、あるいは皿状に作られるようになるのです。
ナウマンは、てっぺんがお盆状や皿状のこうした容器が、中国や中近東、アメリカなどの牡牛や牡羊の左右の三日月の角がつくる湾曲した形と同様に、月の水を集める容器そのものと考えられることから、土偶の顔自体が月の象徴とみなしているのです。

※著書にはこの後、土偶のぽかんと口を開けた表情やなぜ土偶の中が中空になっているかや、なぜ合掌しているか、なぜ壺をかかえているかについて言及し、月の水を乞い願う姿は、再生信仰の象徴であると解釈を提示しています。さらに縄文土器の本来の機能についても以下のように述べています。

「これらのことからあることが見えてきます。縄文土器の本来の機能です。縄文土器は鍋として作られたものではなく、第一義的にはあくまで「月の水」を集めるという役割を担った祭祀道具の一つとして作られたのだと思います。」

投稿者 tanog : 2021年06月03日  



 
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