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人類の男の本来の闘争とは何か?⇒武士とは闘争を純化させた専門集団

Posted By tanog On 2019年11月28日 @ 9:46 PM In ⅩⅠエトセトラ(その他諸々) | No Comments

この間、人類の男の闘争力を見ていくという事でシリーズを始めている。平尾ラグビーの言葉の力リンク [1]、さらに縄文時代の寡黙な男リンク [2]に続けて第3弾は武士をテーマに扱いたい。やはり日本人の闘争と言えば武士は避けて取れない。それは武士道として純粋化され、現在の男達にも少なからずその遺伝子は残っているはずだ。

強い男のイメージとは少なからずこの武士道での男に重なる部分はあるのではないか?
生物的にも「男の存在意義は戦う事にある」を濃縮された闘争の専門分化、武士にその闘争の一片を探る。

過去のるいネットと縄文ブログからいくつか紹介してみたい。

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武士時代(900年~1860年) 960年間~リンク [3]

荘園制度の転換に伴い、各地に治安不安が生じると部落ごとに自衛の必要が生じた。武力を持っていた坂東武士を中心に護衛の役として武士が誕生する。武士は専ら東日本に誕生し、後に西日本にも武士が登場するがそれは関東のそれを真似た物に過ぎなかった。関東の武士団はたちまち力をつけ、横の連携を持つと朝廷に対抗する勢力に成長していく。その延長で誕生したのが源氏率いる鎌倉幕府である。以後、自治を旗印に武士中心の政権が継続する。
朝廷、天皇も制度として残されるが、その統治力も権力も無く江戸時代に入るとその存在意義すら失う目立たないものに成り下がった。武士が天皇を残したのは、いかにも縄文由来の日本人的発想で、天(自然)に抗えない、天を奉るという畏れ意識に起因した可能性が高い。事実最大権力者の信長ですら天皇をほぼ無視しているが滅ぼしてはいない。

武士時代は江戸時代も含めると900年以上続くが、その裏では秦氏率が支える藤原ー天皇が脈々と続いており、また同時期に秦氏は商業ネットワークと諜報ネットワークを全国網で形成することで武士を骨抜きにしていく。武士支配の世界に反旗を翻したのが後醍醐天皇が引き起こした南北朝戦争だったが、天皇家は北朝を表、南朝を裏に建て江戸時代は潜伏した。

坂東武士の基本構造リンク [4]

武士の起源、武士とは何かを追求すると必ず坂東武士に辿り着く
平家も源氏も坂東の地に人材を送り込み、土着の坂東武士を組織化して勢力争いを行った。坂東武士それ自体は歴史の表舞台には登場していないが、武士という職能を作り、その後の兵(つわもの)としての志を継続させていく土壌に坂東武士の成り立ちがある。

平安時代になり国が安定し戦が少なくなると、経済的負担を軽減するために農民による徴兵制度を廃止し、地方の豪族などの中から武芸に優れた者を招聘し「健児制(こんでいせい)」に切り替えた。常備軍が廃止になると地方の治安が悪化し、集団的な強盗団が勃発した。治安を維持するために地方の地主達は領内の一族や領民を組織して武力を持ち、自らの力で治安を維持しなくてはならなくなってきた。これが武士の起源である。
当時の武士とは、身分を表すのではなく武力を持っている在地地主とその家の子、郎党のことを武士と呼んでいた。武士はこのような社会情勢の下に発生したので、特に武士発祥の地という所はなく、ほぼ同時代に全国各地で発生した。

▼健児(こんでい)・・・奈良、平安時代に徴兵制を廃止した代わりに諸国の国府の守護、関所の警備等をまかした兵士。

しかし「つわもの兵」武士の話をするに当っては、どうしても坂東侍が中心になる。坂東侍を抜きにして武士の歴史を語ることは出来ない。坂東の侍は気性が激しく、土地を中心とした結束が固く主従の関係も強い絆で結ばれていた。坂東とは箱根と碓氷を結んだ線の東側にある相模(神奈川)武蔵(埼玉、東京、神奈川東部)安房(千葉南部)上総(千葉中部)下総(千葉北部、茨城南部)常陸(茨城)上野(群馬)下野(栃木)の八カ国の地域を指す。 坂東の原野は牛馬の牧場として最適であり、皇室の馬を育て養うところの御牧(みまき)や軍用馬を養成する国牧(くにのまき)などが九州地方と共に多く分布していた。坂東の人々は農耕と同時に狩猟生活も営んでいたので、気質は勇猛果敢、特に馬に乗り弓矢を使うことが巧みで武芸に優れていることから、九州防衛の防人(さきもり)や蝦夷鎮圧のために多くの坂東人が駆り出された。

 ■武士道の根源は本当の実力とは何かという問いにあるリンク [5]

【武士の定義】
武士の暫定的な定義は3点からなる。
第一にそれは戦闘を本来の業とする者である。刀を差し、鎧兜を常備しているという武士の見た目の特徴がこれにあたる。本来の業とするというのは、たとえば追い詰められた農民が武器を手にするのとは違うという事である。武士は普段の日常生活そのものが、根本的に戦いを原理にしている人々だということである。
第二に、武士は妻子家族を含めた独特の団体=共同体を形成して生活をするという事である。武士が武士として立っていくということは、背負うもの、守るべきもの、あるいは支えあうものとしての人間の共同が不可欠なものとしてあるということだ。一族郎党、主従関係、譜代、御家など、武士特有の人間共同のあり方はここを母体としている。
第三に武士は、私有の領地の維持・拡大を生活の基盤とし、かつ目的とする存在だという事である。そしていうまでもなく、所領を維持、拡大する力は第一の武力を行使する戦闘にあるという事になる。

以上三つをまとめると、武士とは武力によって所領を維持拡大し、そのことで妻子一族を養う存在という事になろう。妻子とともに食べて寝て着るという普通の人間生活を己の武力によって支え、営む者、それが武士の基本イメージである。こういう武士のイメージの中で、とりわけ根本的なのは第一の戦う者という要件である。刀は武士の魂といわれるように、他の様々な稼業と武士を区別する標識は、何といっても刀を抜いて戦うという一点に存するからである。

しかしながら、武士の実力は、決して腕力、暴力一つに留まるわけではない。ただただ荒っぽいだけのむきだしの暴力には、やはり一定の限界がある。最後に勝ち残るのはただの腕自慢の武士ではない。そのことを、武士は実地の闘争の中で学んできた。武士の強さは、武力はもちろん、知恵、人望、統率力、動員力、経済力、地の利、天運など有形無形のあらゆる力の総合上に成り立つものである。

武士道は、こうした自身が身につけ、使う事ができるあらゆる力を勘定に入れながら、本当の強さとは何か、最後に勝つ武士の条件はなにかを切実に追求する中から生まれてきたのだ。武士道の根源は、本当の実力とは何かという問いにある。自己の実力だけが、自分の存立を支える武士の世界にあっては、この問いはまさに自己の生命をかけた問いであった。武士道の厳しい自己探求の精神は、そこから生まれてくる。甘さが直ちに死を招く世界は、己に対するいささかの手加減も許されないからである。存立に命を懸けて、自己を問う。

刀を持たない現代人にとって、武士道がなお訴えかけてくる何かを持つとすれば、それはおそらくこの一点に存するものと思われる。


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