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【縄文再考】縄文人は「女の家」「男の家」「若者の家」とすみ分け、社会的分業を高度化し自生力を高めた

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先日は竪穴住居について記事を書きました。

【縄文再考】全国各地にある竪穴住居は北方適応住居だった。シベリアから技術流入したか? [2]

茅葺きや土屋根、凍結深度以下、2つ1セット、夏用冬用など様々なキーワードが出てきましたね。

次に気になるのは縄文人の子育て・人材育成です。無文字文化で情報を伝達するというのは、実際のやり取りを重ねる他ありません。かなり難しいように思います。

土器、土偶、武器などの道具作りや、季節ごとの狩猟採集、竪穴住居づくり、料理や衣服の製作など。

生きることに関わる全てのことを自分たちでやってのける訳です。(教えること多すぎっ)

 

実は、自分たちで生きる力(以下自生力と呼ぶ)を身に着ける・強めるのに竪穴住居が大きく関係しているのです。

正確に言うと、竪穴住居に暮らす生活単位が大きく関係しているのです。

今回は竪穴住居の暮らしについて追求していきます。

 

竪穴住居の暮らし方

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[竪穴住居(復元)内部]

皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?

この中で縄文人は「家族」という単位ではなく、「女の家」「男の家」「若者の家」と別れて暮らしていたとされています。

※家族という概念が曖昧なのは、当時は今のような婚姻制度はなく、氏族の長が認めた者同士が結ばれる、それも外婚だったとか。夫が嫁の元に戻って来なかったらそれは離婚を意味したしたのだそう。だから、子供は誰の子か分からなくなっていきます。子供が出来れば村のみんなで育ててるのです。

そうして、女と男、若者がそれぞれの役割を果たしながら生活していたのでしょう。

 

では、なぜ「女」「男」「若者」と住居を分けたのでしょうか?

長野県諏訪郡富士見町にある、井戸尻考古館の学芸員・小松隆史さんはこう言っています。

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「子どもは女性の家で育てられますが、男の子はやがて狩猟を覚えるために男性の家に出入りするようになる。

自我が成長するにしたがって、外へ出てはまた帰ってくる、大人と子どもの境界をさまよっているような存在です。

居心地のいい“どちらでもない”期間と場所がある。そこで性教育も含めて、生きる術を学んでいたのでしょうね。」

世界の民族学研究でも、若者の住居が別にあることは珍しくないのです。

縄文時代の“竪穴住居”を知れば、火と水、土との暮らしかたが見えてくる。今こそ見直したい、縄文人の小屋 [5]

 

小松隆史氏の見解から考えられるのは、

「役割分化単位での暮らしで集落の総体的な自生力を養うため」

 

役割分化の利点は、極めることとそれによる総体的な力を増すことにあると思います。

狩猟を極める者(男)、土器づくりを極める者(女)がいたと思います。土偶も師匠のような人がいたという話もあります。

それぞれの分担の中で特化していく。そういう人たちの集まりと考えれば強い集団になりそうです。

現代でも多くの企業が分業し、その道を究めることを行っていますが、その原点が縄文時代です。

 

「女」「男」「若者」の役割とそれぞれの住居でどういった生活が行われていたのでしょうか?

縄文時代は社会的な分業(全員で同じことではなく、役割分担をしていた)をもって生きていたと言われています。それぞれの単位で暮らしながら学びあう、そんな生活を送っていました。それが集団を強くする竪穴住居の住み方です。

近くに明確な同化すべき対象がいること、役割が明確なので追求スピードも速かったのでしょう。

 

まとめると、

・縄文人は社会的な分業を高度化し、自生力を高めるために「女」「男」「若者」ですみ分けた。

・ただ暮らすのではなく、現実課題があることを前提に分業し、学びあう生活を送っていた。

・竪穴住居は北方適用した住宅で快適に過ごせるだけでなく、集団を強くするひとつの武器だった。

 

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