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【縄文再考】大陸と縄文②~日本海の海流に乗って大陸から文化が届き、列島産・黒曜石は海を渡って大陸に広がった

前回 [1]、縄文時代から大陸と列島は相互に影響し合い、耳飾りや石斧・土器などで類似性があることを紹介しました。

国境のない時代、縄文社会は大陸と分断していたのではなく、日本海を囲む横断的な文化圏の中にあったのです。

今回は、さらに、大陸と縄文の関わり合いを示す痕跡を紹介します。

1.大陸にも拡散した日本列島産の黒曜石

縄文時代、刃物や鏃等に黒曜石が使われていました。日本列島においては、黒曜石の産出地はある程度限定され、伊豆諸島の神津島、長野県の和田峠、北海道の白滝、日本海側の男鹿・隠岐、九州の姫島・阿蘇山・腰岳などが有名です。

この黒曜石を石器等の原材料に使ったのは、縄文人だけではありませんでした。

北東アジアの細石刃技術など先端技術を駆使していた集団も、日本列島産の高質な黒曜石を求めていたようです。

隠岐産の黒曜石は中国地方だけに止まらず朝鮮、さらにはウラジオストクやナホトカ周辺まで運ばれて使用されていたことが判明しています(図のウスチノフカ遺跡)。また、南サハリンの旧石器時代の遺跡・ソーコル遺跡には、当時陸橋となっていた宗谷海峡を経由して、白滝の黒曜石が届いていたようです。

列島内における黒曜石の流通をはるかに上回る規模で、列島産の黒曜石が北東アジアに拡散していたのです。火山列島・日本は、旧石器時代から高品質の黒曜石を産出する場所として、北東アジアに知れ渡っていたのでしょう。

 

 

2.大陸と東北地方をむすぶ航路

では、大陸産・耳飾りや石斧、あるいは列島産・黒曜石は、どのように大陸と列島を行き来したのでしょうか。

 

とりわけ、山形や青森など東北地方に、大陸との影響を示す痕跡が多く発見されています。なぜ東北地方は、大陸との交流を示す痕跡が多いのか。

元山形大学教授、柏倉(かしわくら)亮吉氏の考察によれば、日本海の海流が大きな影響を与えているようです。

かつて大陸に存在していた渤海という国の航海術によれば、大陸の南海府から、列島の大宰府までの航路は、対馬海流や東鮮海流の影響を受けて、東北地方に流されていたようです。特に出羽海岸が着岸しやすい。おそらく、縄文時代も大陸から列島を目指した舟が、出羽地方に着岸することが多かったと推測されます。

山形や青森の縄文遺跡に、大陸の痕跡が強いのは、海流の影響なのです。

 

 

3.中国東北部と日本列島という文化圏

前回投稿で紹介した、C形をしたケツ状耳飾は、約7000年前に中国東北部の興隆窪(こうりゅうわ)文化と呼ばれる遺跡のうちの一つ、査海遺跡の墓地から見つかっている。これが6000年前に縄文に伝わったのです。

このことを、環境考古学者の安田喜憲氏は、次のような図を提示して“中国東北部→長江流域”“中国東北部→日本列島”という文化の流れを示している。

以上の分析から、列島の縄文人と大陸の中国東北部の人々は日本海を挟んで、耳飾りや黒曜石などを通じて交流してきたことがわかります。日本海の海流に乗って大陸から文化が届き、列島産の黒曜石も海を渡って大陸に広がったのです

 

縄文時代を列島単独ではなく、日本海を囲む横断的な文化圏の中でとらえていく」と、新たな縄文観が見えてきます。

 

参考文献:

私の諏訪考HP(いにしえの島根/島根古代文化センター) [2]

「日本人の源流を探して」大陸との交流の痕跡の数々 [3]

安田喜憲著 「龍の文明 太陽の文明」(PHP新書)

[4] [5] [6]