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日本人(縄文人)はこれまで2度、借り物の思想を丸呑みしてきた。

>実は日本人が借り物の観念を使ったのは明治時代だけではない。2回目だった。
さらに遡る事1500年前、弥生時代に同様の時代があった。朝鮮半島から大量に流れ着いた人、物、知識、技術だ。縄文人は私権制度、私権意識という物を借り物として取り込んだ。次回はそれを深彫りしてみたい。
前回記事 [1]

前回このように書いた。今から1500年前、500年前後から始まる弥生時代後期から大和朝廷の時代に明治維新同様、あるいはそれ以上の変動があった。

簡単に書くと朝鮮半島の戦乱から負けた部族が日本に逃げ延び、母国が次々と消えていく中、日本を新たな部族延命の地として選び、定着した。それが天皇制の始まりであり、今も続く天皇制度なのである。天皇制は神武天皇が初代と言われているが明らかにデタラメで実際いつの天皇が最初だったのかは未だに明らかになっていない。ただほぼ明確に言えるのは百済が滅亡し、その一派が日本に定着し始めた650年以降の歴史だろう。天武天皇が初代天応であるのはほぼ間違いなく、以降は天皇を操る位置(作り出す位置)に支配者(=藤原)が座るという構図が日本の政治体制になる。しかし操られる天皇もその裏の支配者も朝鮮人であり、公家それ自体が高句麗人も含めた朝鮮人の集団であった。

そして、この1500年前の時代に日本が取り込んだのは借り物の中国(又は百済)式の律令制度であり、その形としての天皇制度であった。そして租庸調から始まる徴税制度や土地を中央支配者が所有し分配する荘園制度。しかしこの制度は(借り物故に)結局200年と持たず、平安時代の中期900年頃には総崩れとなり社会が混迷する。と同時に治安の為の武士が登場した。平安時代とは平安だった時代ではなくおそらく日本史上最も不安定な時代だった。

また、借り物としたのはあくまで支配者層の渡来人たちだけで普通の庶民(縄文人の末裔)は全く従わず、その制度を換骨奪胎していった。支配者の事をいまだに「お上」といって軽んじるのはこの時代の庶民の意識が今でも色濃く残存しているからである。

しかし、この借り物の時代、縄文人(縄文体質を持つ日本人)は何もしなかったのか?そうではない。明治維新で富国強兵の名の元に追いつけ追い越せで列強支配を免れたように、大和時代の縄文人達も同じ状況だった。大国「唐」の登場であっという間に日本が飲み込まれる危機的な時期に国としてまとまりを作り、遣唐使を送り中国文化を追いつけ追い越せで取り入れたのだ。形ばかりの国家仏教の始まりや中国を真似た天皇制、それて中国同様の律令制などどれも明治維新の日本と酷似している。結果6世紀から8世紀にかけて続いた東アジアの戦乱にほとんど巻き込まれずに日本は国家としての体を成していく。

そしていずれも日本に取り入れると日本風に改変し、似て否なるものに、自らが使えるものに変えていく。9世紀に登場した「ひらがな」はそういった象徴であった。これらの改変に何らかの形で関わったのが縄文体質だったのではないか?これは朝鮮半島由来の支配者とは言え、日本に来れば日本語を使い、そして日本語を使う事でその長い歴史の縄文体質を迎え入れていく。決して縄文人そのものが手を下したわけではないが、支配者が日本社会に馴染む事も縄文体質ゆえなのである。

また一方でこの借り物のとはいえ朝鮮半島の人、思想を受け容れた縄文人に定着したものもあった。それが私権社会であり、私権意識だ。それまでは私有という意識も同類で殺しあう戦争や支配という認識がなかった縄文人にこの時代、確実に伝わっていった。
現代の日本人の私権意識は遡ればこの時代から生まれてきたのだ。

つまり借り物とは言え、外から来た文明、思想が日本人にもたらしたものとは、以下の2つに限定される。
・明治維新:近代思想に代表される個人、自我というもの
・大和時代:人類の文明社会に登場した戦争、私権というもの

濃淡は別として借り物の制度や文化、人たちが縄文体質の私達の上部意識を変えていった。もちろん下部意識は縄文体質である。
これからの時代、この外からの借り物に頼る事はできない。下部意識にある縄文体質を浮上させていくしかない。
改めて今必要なのは内側から沸き起こる(潜在思念に摺り込まれた)縄文体質を起点に新しい社会の制度や仕組みを試みて行く事ではないか?
それが史上初めて「考える縄文人」となれるかどうかにかかっている。

 

参考投稿)
日本の律令制は何を破壊し、何を作ったか? [2]

日本の歴史( [3]年表)第9回~奈良時代の年表(国家作りという名の唐模倣) [3]

日本史を学ぶなら「縄文」からがおススメ~第3 [4]回 舶来志向と工夫思考 [4]

日本の豊かさは西洋観念によってもたらされたのか? [5]

 

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