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シリーズ「沖縄に在る“力”に学ぶ」~沖縄文化に見る女性力~

みなさんこんにちは。

 

「沖縄に在る“力に学ぶ」シリーズ第2弾。今回は、~沖縄文化に見る女性力~がテーマです。

沖縄は、太平洋戦争での戦火から復興を果たしました。

その復興について調べると、女傑たちの名前があがってきます。

戦後物資が不足するも民間貿易が禁じられる中、沖縄から薬きょう・銅線を運び出し、日用品や食料、医薬品を海外から持ってくる。密貿易を通じて、沖縄を支えた金城夏子

復員者300名以上を受け入れ、女船頭として、漁業団を結成し、本土の役人相手に自ら先頭を切って乗り込んでいき、沖縄の水産物の価格向上に尽力した照屋敏子

 

戦争という、激動の中、登場した彼女らですが、その彼女らを輩出したのは、沖縄の文化、沖縄に根付く女性の力に他ならないのではないかと感じています。

特別なものではなく、日常の中で、沖縄にある、女の力の根底にあるものを探っていきたいと思います。

 おばあ [1]

 ※写真はこちらからおかりしました→http://www.okitour.net/sightseeing/tatsujin/00156/ [2]

 

皆さん、“ユタ”“ノロ”というのを聞いたことがあるでしょうか?“ノロ”は聞きなれないかもしれませんが、“ユタ”というのは、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?

これは、沖縄のいわゆるシャーマン=巫女のことを指します。

この2つには、以下の違いがあります。

“ノロ”・・・地域の祭事を取り仕切る、女性神職者。日常的に祈りを捧げる存在。

“ユタ”・・・民間の巫女。病気や不幸が続くなど、異常事態に依頼を受け、祈りを捧げる存在。

 ノロ [3]

※写真はこちらからおかりしました→http://www.y-asakawa.com/nihon-tansaku%202007-2008/kudaka-jima1.htm [4]

今回注目したいのは、この“ノロ”の存在です。

前回の、「沖縄に在る“力”に学ぶ」~岡本太郎が見た沖縄の力~ [5]の最後でも紹介した、沖縄県久高島。ここでは、30歳~70歳の女性全てが、神事に参加する、と紹介しました。

久高島では、“ノロ”とは、祭祀に参加する女性全員のことを指すのではなく、祭祀組織の最上位に位置する女性たちのことを指します。

この下に、30~70歳の村の女達が付き従い、【神女(タマガエー)と呼ばれています。

この点を、より詳しく掘り下げてみたいと思います。

 

『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』比嘉康雄著(集英社新書)からの引用です。

 
女は神人(カミンチュ)、男は海人(ウミンチュ)

女児は生後、旧暦の3月、6月、8月におこなわれるフボー御獄(ウタキ)参りのときのいずれかに、母親が抱いて参列する。これは将来、神女になる願いがこめられている。
また、旧暦811日には、15歳以下の娘たち全員のフボー御獄参りがおこなわれていた。娘たちは、ノロや神女たちの円陣の中に入れられ、神歌で祝福された。女は7歳から神が憑依すると考えられていて、以前は幼年の神女がいたという話もある。

女は11歳の旧暦624日におこなわれる健康願いの祭祀のときから腰巻(メーチャー)を付けた。女は男のように、16歳で正人になるといった節目はない。しかし、女も16歳から結婚できる一人前の女性と考えられていたと思われる。16歳から神女就任儀式である<イザイホー>に該当する年齢までとくに祭祀に参加することはないが、この年齢層で結婚し子供を産み、これから神女になったときに守護する家族を作ることになる。

イザイホーは12年ごと午年におこなわれ、そのとき30歳から41歳の女性がイザイホーを経て神女となり、家族の守護を担い、やがてノロの祭祀に参列することになる。そして70歳になると、フボー御獄でノロや後輩神女たちに祝福されて引退する式(フバワケの中のテーヤク)をおこなう。
30歳で神女になった人は40年間、神女をつとめることになる。引退後は、大きい祭祀になると、祭場の隅で後輩たちを見守っている。なお、家の祭祀はひきつづきとりおこなう。

このように、久高島の女と男の一生は、それぞれコースが決まっていた。久高島では基本的に女は守護する者、男は守護される者ということである。結婚を通じて結ばれた一対の女と男であれば、女は神女になり、一生、夫や子供たちの守護者として生きる。一方、男は、16歳から70歳まで、妻や母たちがおこなっている祭祀を経済的に助ける。こんな夫を守護者である妻は頼れる存在として「フサティ」(腰当の意)と呼ぶ。

戦前まで、働き盛りの男たちは、北は奄美、南は宮古、八重山、台湾、さらに南洋まで出漁し、半年以上島を留守にするのが常であった。男たちが出漁中、女たちは農業をし、子供を育て、祭祀をおこない、出漁中の男たちの安全と大漁を祈り、ひたすら男たちの帰りを待って暮らしていたのである。

 

男達は、島民たちや家族のためにより高い外圧に向かっていく。そんな男達の無事を祈り、男達に変わって、家族を守るため、女達は、神女となることを役割として担っています。

ふぼーうたき [6]

※写真はこちらからおかりしました→http://www.y-asakawa.com/nihon-tansaku%202007-2008/kudaka-jima1.htm [4]

 

一般的に、他の宗教では、こういった役割は、特定の女性が担っています。

しかし、ここ久高島では、特定の女性ではなく、島で生まれた女みんながその役割を担います。どの女性でも、みんなが持っている力が期待されているわけです。

その力とはなんなのでしょうか?

 

守護力の根拠

守護霊の鎮まる御獄(ウタキ)を女性たちのみの他界と考えていること、祭祀の主体が女性であるということは、その思想の根底に母系社会を拠り所とする思想があったと考えられる。

序章でもふれたが、魚介類採取を主とする生活では、男性が能力を発揮することはあまりなく、これに対し子を産み育てる能力は女性の優位性の根拠になっていた。子供は母親に属し、男親との関係は制度化されていなかった。そうして母親が子供に乳を与えて育てるという愛護の行動のインパクトは成長しても子の側の潜在意識に残り、母と子の絆が保たれていく。生前そうであるように、死後はさらに不可視の力が愛護性に加わり、子供たちを守ってくれる存在になると考えられた。やがてこの考えに儀式性を加え、今日のような祖母霊の守護性が明確な形になっていったのであろう。

母性の絆に発する守護力は、実際は母親をはさんで、祖母から孫娘へと継承されていく。そのとき、祖母霊の守護力が現世にはたらくのは一代で終わり、役目が終わった祖母霊は帰属御獄に鎮まる。守護力は三代ごとに完結し、一代重なりながらまたつぎの三代へとつなげられていくのである。

くりかえすと、守護力の根拠は愛護というものである。孫娘は祖母に生前可愛がられた体験があり、この心情が守護力の根拠になっている。つまり、親を心情で認識できるのが三代ということである。したがって父系制のように何代にもわたって父祖を積み上げるという発想はない。これは、親の権威というより、愛護という純粋な心情のみが守護力を成り立たせているということなのである。

この母性的守護はそれを継承する主体の心情で成立していて、主体が不在になると守護力も消えることになる。つまり守護力も守護神も主体の心情の中に存在しているのである。

なお最高位の神職者であるノロや根神(ニーガン)、ウメーギ、それにムトゥ神の女性神職者の場合は、神職者としての守護神と個人としての守護神との、二つの守護神を継承しているが、神職者の守護霊は生きているあいだだけである。神職者の死後、その魂は祖母霊(ウプテイシジ)のもとに行って鎮まる。この考え方からも、久高島の神意識、守護意識は母性を基本としていることがわかる。

 

女性神職者といえば、神道の巫女やキリスト教の聖女、仏教の尼など、処女性が重んじられたり、性とは切り離された世界に身を置く事が求められますが、久高島の神女は、家族という、むしろ性がベースにあって成り立つ関係の中から出てきています。
それは、女性の持つ、『愛護=充足力』こそが守護力の源になっているからです。

 

イザイホー [7]

※写真は、こちらからおかりしました→http://hmpiano.net/koharu/friend/michiko/year2008/newpage7.html [8]

 

誰か1人に任せるのでもなく、男達に委ねながらも、それは一方的な依存ではなく、自らも、守護として依存される立場にある、久高島の女性達。

このように、自分達の生きる場を、常に主体となって実現してきた沖縄の女達。

その力強さが、戦争という、全てを破壊されるような状態の中からの復興を支えた、大きな力になっていったのではないでしょうか?

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