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「次代の可能性をイスラムに学ぶ」6 オスマン帝国の拡大の鍵は、モンゴル譲りの軍組織力とイスラームの統合力・包容力!

Posted By staff On 2012年7月11日 @ 1:35 PM In Ⅵメソポタミア文明 | 1 Comment

>イスラムの東アジア進出はイスラム帝国消滅と期が同一。中東を追われたムスリム商人のあたらな商圏獲得の拠点としてインド、インドネシアが選択された。 [1]
イスラム帝国の消滅→中東を追われるという上記外圧を受けて、イスラムはまた別の方向にも可能性収束していきます。
0.念願のコンスタンチノープル!
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もともとビザンツ帝国が強力だったのもありますが、西ヨーロッパ諸国にとってもビザンツ帝国はイスラムをはじめとする東方勢力からの盾となる国であり、必死で守っていたと言えます。実際十字軍(11~13世紀)は、ビザンツ帝国(当初は東ローマ帝国)が「イスラム勢力から守って欲しい」と要請したことから実施されました。
それが1453年にオスマン帝国によって陥落することになるのですが、そこにはイスラームだからこそ成し得た、周到でしたたかな戦略があったのです !!
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1.オスマン家の誕生~【イスラームの信仰戦士!】~
コンスタンティノープルの陥落を成功させたのは、オスマン家の6代目当主メフメト2世ですが、このオスマン家はもともとモンゴル高原を出自とするトルコ人の部族でした。
オスマン家が台頭してくる13世紀当時のアナトリア地方は、従来のビザンツ帝国支配下でギリシャ正教を奉じギリシャ語を母語とする人々と、オスマン家のような新興勢力化してきたイスラム教を奉じトルコ語を母語とする人々と、さらには十字軍以降のラテン人、南欧系カトリック教徒勢力などが入り乱れる、まさに群雄割拠の状態でした。
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そうした中、オスマン家はどのように台頭してきたのでしょうか?!
もともとオスマン部族は、その騎馬技術と集団戦法で勢力を伸ばしてきた小規模の戦士集団でしかありませんでした。しかし彼らは早くから(アラブの)イスラム法学者をわざわざ集団外から招き入れ、(日常生活の隅々までを規定した)イスラム法によって集団を統合、秩序化させていきます。それゆえに彼らは、イスラーム世界の辺境を守り、異教徒との戦争に従事する「信仰の戦士」という意味である「ガーズィー」と呼ばれ、定住民や商人たちから羨望を集めていました。こうしてイスラームと一体となって、強力な武力を組織展開し、アナトリア地方で少しづつ領土を拡大していったのです。
2.いよいよコンスタンティノープルへ!
アナトリア地方に林立したどの勢力も、交易拠点となり旨みの大きいコンスタンティノープルの攻略を目指しますが、オスマン部族も例外ではなく歴代の君主が何度か攻め入りますが、なかなか攻略しきれないでいました。ようやく6代目のメフメト2世が、第四回十字軍による略奪によってビザンツ帝国が衰弱しきったことに乗じて、その念願を果します。
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画像はこちらから♪ [8]                         メフメト2世
コンスタンティノープルを落としたとき、オスマン軍は10万人以上にものぼる大軍になっていました。ビザンツ帝国最盛期の軍隊規模は28万人と言われていますので、それには及びませんが、十字軍の遠征(略奪)を受けてボロボロになっていた当時のビザンツ帝国の軍勢はわずか1万人にも達しなかったことから考えると、当時のオスマン軍10万という規模は大きいです。なぜ彼らはこれほどの大軍を組織できたのでしょうか?
【民族・宗教を超えたゆるやかな統合】
6代かけてオスマン部族が整備し、オスマン軍の中核をなしたものは常備軍でした。しかもそれは、ムスリム・トルコ系の兵士を徴募するのではなく、異教徒・異民族の人々を奴隷として入手し、訓練をほどこして軍人に育て上げるという奴隷軍人制で成り立っていたのです。
奴隷といっても古代ギリシャやローマのそれとイスラムの奴隷では大きく異なります。イスラム法上も奴隷は売買の対象となる財産の一部ではなりますが、実際的には、家内奴隷で養子的な扱いを受けていたようです。主人は奴隷市場で購入した少年奴隷たちを大切に養育・訓練し、いろいろな仕事を任せました。主人と奴隷の関係も、所有者と所有物というよりは、育ての親と養い子という関係に近い場合も多く、相互の心理的なきづなも強いものでした。言語や宗教に寛容だったオスマン帝国のゆるやかな支配方法により、異教徒・異民族はうまく組織・管理されていたと言えるでしょう。
【“イスラムを奉じ、守る国”としての帝国】
一方、コンスタンティノープルに入城したメフメト2世が真っ先に行ったのは、ギリシャ正教会の教会をモスクに変え、金曜日に共同礼拝を執り行うというものでした。これはまさに、内外に“イスラムを奉じ、守る国”としてのオスマン朝のアピールに他なりません。
このように、一方では異教徒・異民族をゆるやかに組織、利用しつつ、一方では君主自らが深く信心することで、イスラーム法によって民衆の忠誠心を醸成し、統合する(結束を図る)。オスマン帝国の強さはその辺りにあるように思います。
3.地中海の制海権を握る~海賊をも協力させたその力~
コンスタンティノープルを攻略したオスマン帝国は、その後1世紀もかからぬ間にかつてイスラム帝国であった領土をオセロをひっくり返すように再統合してゆきます。
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セリム1世時代(1512年~20年)には、エジプトのマムルーク朝を破り、イスラームの本拠地であるメッカ、メディナを保護下に起き、名実共にイスラム帝国となります。その際、アラブ人ムスリムがオスマン帝国の臣民になるのですが、アラブ人たちにとって新参者のトルコ人の支配下に入る事はいくばくかの抵抗があったと想像できます。しかし、そこでも大きな争いは起こりませんでした。民族の違いよりも、同じムスリムであることが彼らのアイデンティティを形成しており、決定的な対立を引き起こさなかったのです。
また、次のスレイマン1世(1520年~66年)はアルジェリア地方も勢力下に入れること成功するのですが、その際チュニジア・アルジェリア地方で活躍していた海賊バルバロスを、帝国の海軍提督に任じます。そして西欧諸国が徹底した身分制を敷き、奴隷や海賊、異教徒を差別し排除しようとしたのに対し、イスラム世界では、誰であれ「取引相手(利用相手)」として対象認識されました。民族や出自を問わない柔軟な人材登用にその特徴は見て取れるでしょう。
そしてついに1538年プレヴェザの海戦でスペインなどの連合艦隊を破り、地中海のほぼ全域を支配下に置くことに成功し、オスマン帝国は絶頂期を迎えます。その逆に西欧諸国は東への交易ルートを失い、新たな可能性を求めて大航海時代へと入っていくことになるのです。
まとめ~オスマン帝国の拡大の鍵は、モンゴル譲りの軍組織力とイスラームの統合力・包容力!~
【モンゴル譲りの軍組織力】
オスマン家出自はモンゴル高原のトルコ系遊牧部族でした。アジアのトルコ系遊牧部族は、その祖先は匈奴やモンゴルに遡れるのではないでしょうか。もともとオスマン家が武力で台頭してきたのも、その騎馬技術と集団戦法によるところが大きく、その戦法はモンゴルの戦法と同じです。軍隊の組織化において秀でた能力はモンゴルから引き継がれたと考えられます。そのようにみれば、短期間に一気に大帝国を作り上げたモンゴル帝国とイスラム帝国は似たところがあります。
【イスラームゆえの統合力・包容力】
最初は武力に秀でた一部族でしかなかったオスマン部族は、イスラームに同化したからこそ、後に帝国にまで拡大しました。建国当初の弱小国家時代から君主が積極的にイスラームを信仰し、その法学(諸規範)を学んで取りいれてきたからこそ、帝国は拡大し得たのです。
なぜイスラームを取り入れると拡大できるのでしょうか?それはイスラームの教えが単純で、誰でもすぐ同化・実行できるものだからです。イスラームはムハンマドという統合者が作った宗教です。だから、こういう場合はこうしなさいという具体的な行動方針(答え)が示されている。そして根拠は明確で、正論。だから誰もが納得できるのです。オスマンはイスラームのもつそうした集団統合力を見抜き、いち早く取り入れたのです。
また、支配下に入る諸国(民族)にとっては、イスラーム法が略奪行為を制限したので、支配下に入ったとしても命や財産を奪われることはありませんでした。当時隣国のヨーロッパは戦いに負ければ略奪される世界(=食うか食われるかの世界)でしたから、イスラームの支配は容易に受け入れられたのです。
このようにオスマン帝国は、モンゴル譲りの軍組織力とイスラームの統合力・包容力を兼ね備えることで、イスラーム帝国最大の領土を実現したのです!
いよいよ次回は、この間学んだ歴史からどう次代を読むか?に迫ります!
お楽しみに


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