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三内丸山遺跡の大型掘立柱建築物の考察

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三内丸山遺跡の大型掘立柱建物

縄文時代の住居と言うか、建築物に関し考えています。最もそれらしく復元されている青森県の三内丸山遺跡ですが、よく言われる竪穴式住居の他に高床式倉庫はあるわ、三階建てで屋根も壁もない大型掘立て柱建物はあるわで、中々の混乱ぶりと言えます。

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三内丸山遺跡の大型掘立柱建物の遺構の様子 

大型掘立柱建物の再検討

特に大型掘立柱建物に関しては、
大林組による三内丸山遺跡の工学的分析 ジオフロント株式会社 [3]

に詳細が報告されています。

>1平方mに16tの荷重が加わっていた
>建物の総重量は約71tの規模となり、この構造だと荷重は1平方mあたり16tちかくになり、地盤調査の結果とも整合性がとれる。

との話ですが、そもそも建物重量71tはかなり重いと思います。4.2m×4.2m×2列が建築面積で35㎡位です。鉄筋コンクリート造2階建て延床150㎡(建築面積75㎡)で230tなので、平屋なら75㎡で半分として115t、35㎡に換算すると53t余り。現代の鉄筋コンクリート造より重いものが建っていたとなります。

地面が敷き固められて強くなった、或いは強くした上に建てたとして、当時は木材しかないのでそんなに重いものは造らなかったでしょう。この16t/㎡の地面の耐力をどう考えればよいでしょうか。

遺構には6か所の穴と直径90㎝~1mの木造の柱の根元と思しきものがあったと言います。この木造の柱らしきものを柱と考えてしまうと長大な柱と言う発想になると思いますが、この大きな径の柱らしきものを基礎、或いは杭と考えるとその上部にさらに別のものがあったと言えると思います。例えば木製基礎(遺構にあった)の上にさらに土があったとすると土の重さも加算されます。仮に2mの高さの土があったとすると土の重さは、2t/m3×0.785㎡(1mφの円の面機)×2m=3.12t。地面耐力が上に乗るものの重さで固められ頑丈になったとして16t/㎡×0.785㎡(1mφの円の面機)=12.56t。土の重さを引いて9.44t/木製基礎一本当たりなので6本で56.64tの建物がその上にある。35㎡で56tの重さは木造家屋より相当重い。石があったり、屋根も割としっかりあるなど、結構な建物があったと考えざるを得ないように思います。

竪穴住居以外の可能性

現在でも木造住宅の基礎として「松杭」が使われますが、木製杭を打ち込みその上に石を敷いたりして木造床張りまで頑丈に創る方法があります。

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現代の松杭基礎 画像はこちら [5]から

[/caption]因みに中国では4700年前(紀元前2500年)に大規模木造建屋があったと思われる基礎の遺構を発見したとの記事が2019年にありました。三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉で約5900-4200年前とされるので、三内丸山にも伝播した可能性は十分にあり、従来の竪穴式住居や復元された3階建てで屋根も壁もない不思議な建物とは異なる建物があった可能性は十分にあると思います。
中国最古で最も完全な大型木造建築が出土 [6]

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