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古墳時代~経済,軍事で実権を握った豪族

歴史上は、この古墳時代に、日本に王朝や豪族が数多く現れます。

古墳時代の豪族がどのような役割を果たしていたか。
以下から抜粋して追求してみます。

歴史人
https://www.rekishijin.com/ [1]
専門技術に秀でた古代豪族に支えられた天皇とは?
https://www.rekishijin.com/22555 [2]

追求する中で、豪族はどのような存在であったのか。
探りたいと思います。

▼継体大王の権力は水軍に支えられていた

(前略)

和歌山県北部の紀ノ川周辺で特に河口地域の古代豪族は、水運技術や製塩、朝鮮半島南部との交流などの重要な役割を果たしていたようです。彼らは遠く摂津国北部の高槻(たかつき)市に陵墓を築いた26代・継体(けいたい)天皇の時代にも重要な役割を担っていたと考えられます。もちろん紀ノ川周辺に母港を持ち、淀川河口域に水運基地を置いたのでしょう。

継体大王の時代は、任那(みまな)と百済(くだら)を救援するために新羅(しらぎ)征伐の大遠征を企てたり、それを阻止した筑紫(ちくし)の磐井(いわい)を征伐に出兵したり、阿蘇のピンク石で作った巨大な家型石棺を運んできたりと、有力な水軍が無ければ絶対にできない事績が豊富です。

大阪府高槻市の今城塚古墳は真の継体天皇陵だと考えて差し支えありませんが、膨大な円筒埴輪には船の線刻画が数多く描かれています。

継体大王の権力は水軍に支えられていたことが確実です。

その主力のひとつは、当時和歌山県の紀ノ川周辺に大勢力を誇っていた紀氏(きうじ)一族なのではなかったでしょうか。

もちろん瀬戸内にはその仲間ともいえる水軍豪族がいくつもあったはずです。

王朝を支えた水軍勢力は、継体大王の出身地で当時の表玄関である日本海側にもいたでしょうし、九州北部の沿岸を支配したプロフェッショナルな外洋航海豪族もいたはずです。

これまで述べてきたように、稲作に長けた豪族は弥生時代から相当数の集団がいたことでしょう。

また古墳時代には大量の埴輪や日用食器などを製作する技術を持った土師氏(はじうじ)なども勢力を拡大したのではなかったでしょうか。軍事では阿倍氏大伴氏(おおともうじ)葛城氏(かつらぎうじ)などが軍団長を受け持ったのでしょう。

飛鳥時代以前の古墳時代には、すでにそういった特技職掌豪族が相当広く分布していたのだと考えられます。
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豪族の役割として、一つ目は「軍事」の役割を担っていることがわかります。土師氏は埴輪などを製作していたことから、祭祀を通じて王朝に仕えていたのではないかと思います。
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▼葛城氏の家督を受け継ぎ百済とのパイプを持った蘇我氏

おそらく葛城氏の家督をすべて受け継いだのであろう蘇我氏は、百済の経済管理術を大和に持ち込んで財政再建に成功し、百済を中心とする外交ルートの太いパイプを活かして中央政界に登場します。
(中略)
蘇我氏はさらに仏教を取り入れて大和国に最新の文化と技術を導入し、その取り仕切りに成功して財政・外交・宗教の全権を掌握して、大王家の外戚として大権力を握るのです。

このようにそれぞれの渡来豪族は、故地で得た最新の技術や知識、文化を以って大和王権を支えて国家創造に協力したのでしょう。
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豪族のもうひとつの役割として「経済」「外交」の役割を担う。この役割もかなり重要だったのではないでしょうか。
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しかしそれにしても、最強の武力や文化、技術を誇った豪族たちが、なぜ素直に大和王権に協力し、王権を簒奪(さんだつ)しなかったのか?という疑問が生まれます。

それは「絶対に逆らえないほどのゆるぎない絶対権威や権力」を大和の大王が誇示していたということなのでしょうか。それは絶対神を祖先としているということだったのでしょうか?

それとも当時の先進文化人は天孫族の出自をよく知っていて、その権威にひれ伏したのでしょうか?

いや、古代に形成された「天皇制」そのものが王朝をあえて簒奪する必要を感じさせなかったのでしょうか?
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この「なぜ王権を奪おうとしなかったか?」は、確かに疑問です。ただ、冷静に考えると、王権を奪えば、他王朝にいずれ攻められ、王権を奪われる。王権とはそういう宿命にあります。彼ら自身は、軍事や経済,政治の役割を担っておけば、氏族として存続できる。そう考えれば、豪族は王権に仕えたまま軍事や経済,政治の実権さえ握っておけばよい。そう考えたのではないでしょうか。

次は、このような豪族は全て渡来人なのか。日本出自の豪族は存在したのか。そのあたりを追求してみたいと思います。

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