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土葬から古墳への進化の過程~弥生時代の埋葬・墓制より考える~

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こんにちは、今回は縄文と古墳の間の謎多き「弥生時代」について“墓制”の切り口から追求していきます。

弥生時代の人々の人の死に対する畏敬、生前の威光の示し方など、縄文時代のただ土に埋める「土葬」から数段レベルアップした「古墳」に至るまでの過程に迫っていきます。


弥生時代には縄文時代には見られなかった“墓”や“棺”が作られるようになった。
■九州
・支石墓(弥生時代前期~後期)
大型の平たい石を小さい小石で支えており、その下には石棺墓や甕棺墓を入れて埋葬していた。
・甕棺墓(弥生時代前期~後期)
地面に土壙を空け、遺体を入れた甕棺を埋葬する。甕棺の中には遺体の他、副葬品が入れられていたものもあり、強力な首長のものだと考えられている。
・石棺墓・箱式石棺墓(弥生時代前期~後期)
縄文時代から古墳時代にかけて使用されてきた埋葬法であり、地面に掘った穴の四辺に板状の石を敷き詰め遺体を入れる。
■畿内
・方形周溝墓(弥生時代中期~古墳時代)
低く盛土をした墳丘の周りに溝を掘り墓の敷地を区切ったもの、大きさは10m前後のものが多く見られる。
・方形台状墓(弥生時代中期~古墳時代)
首長が現れたことを示す墓だといわれている。高く盛土をし、墓の大きさを大きくすることで首長の権力を後世に伝えようとした。
■関東・東北
・再葬墓
遺体を土葬や風葬など何らかの方法で白骨化した後、遺骨を壺形土器などの骨蔵器に納めて再び埋葬した墓。

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これまで家族や村の集団単位で埋葬・墓を作り弔っていたが、九州北部の方では他地域に先駆けて有権者たちが出現したため特定集団墓(=王墓)が誕生した。
◆集団(家族・地域)→特定集団(有権者)→特定個人(王)
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縄文時代では”死”を生命の循環の一つと捉え常に死と身近に生きていたが、弥生時代に「有権者」が現れたことにより人々の意識が循環→消失へと移ろい、その消失を避け固定(=墓)へとしていったものと思われる。

Q.人々の意識を変えた有権者とはいったいどのような集団であったのだろうか、海外(中国・朝鮮)からの渡来人か?縄文人の中で権力を主張するものが現れたのか?

次回はこれらについて追及していく。

参考サイト
【弥生時代】お墓の種類と特徴 – 読むだけ日本史 (hatenablog.com) [4]
110113.pdf (pref.yamanashi.jp) [5]
富山県/死者の埋葬 (pref.toyama.jp) [6]
大型方形周溝墓 (pref.aichi.jp) [7]
【重要遺構1 特定集団墓】4.有力者たちが眠る場所特定集団墓 | 遺跡のみどころ | 国史跡吉武高木遺跡「やよいの風公園」 | 福岡市の文化財 (fukuoka.lg.jp) [8]

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