- 縄文と古代文明を探求しよう! - http://web.joumon.jp.net/blog -

縄文再考:縄文人のルーツ③~多方面からやってきた日本人の祖先たち~

先回はミトコンドリアDNAの解析によるハプログループ分類から、日本人のルーツをたどってきました。今回は縄文時代から少し遡った旧石器・新石器時代、さらに遡ってホモ・サピエンスの拡散ルートをたどってみます。そして最後に、直近の研究で明らかになった日本人のルーツの“第三の存在”について少しだけ触れたいと思います。

 

■多方面からやってきた日本人の祖先たち

人類の祖先であるホモ・サピエンス類は、30万年より前にはアフリカで出現し、現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)に進化をしながら、10万年前頃にはアフリカ大陸から出始め、世界を旅して広がって行ったと定説では考えられています。現生人類は時間をかけて全世界の隅々にまで到達したということですね。アフリカを出た10万年前は旧石器時代にあたります(ただし、この定説は近年のDNA解析技術の進展で、アフリカ起源説→多地域起源説にくつがえりつつあります。そのテーマは、また後日考察します)。

[1]

図:現生人類(新人)拡散の推定時期

アフリカを出た現生人類は、4万年前~3万年前には日本列島にも到達したと見られています。アフリカをあとにして広がった人類は大きく3つのグループ(ヨーロッパ/東アジア/南・東南アジア方面)に分かれたと言われていますが、これまで当ブログでも追求を深めてきた通り、Y染色多型体の分析による最新の結果では、日本に到達したルートは以下のように考えられています。

 

①旧石器時代にシベリア経由で到達した

 (北方ルート)

②旧石器時代に華北・朝鮮半島経由で到達した

 (対馬ルート)

③弥生時代に華北・朝鮮半島経由で到達した

 (航海による対馬ルート)

④南方から沖縄経由で到達した

 (南方ルート)

日本列島には、アフリカを出て大きく別れた3つのグループ+アルファがすべて時代差を経て集まっている可能性があります。これは全世界的に見て他に類を見ない特異な現象で、先回記事でも明らかになったように、日本に10種類ものハプログループが混在することからも納得度が高い仮説であると考えられます。

[2]

図:Y染色体を用いて推定される現生人類(新人)の拡散ルート

上記の発掘・発見地から見る拡散の軌跡とほぼ同じルートを示すがアジアに展開してからの分岐が詳細不明となっている。

 

日本では、4万年前~3万年よりずっと古い時代の遺跡も発掘されていて、これは現生人類が到達する前に、原人なども日本で暮らしていた証拠なのではないかと考えられています。では、日本に遺跡が増え始める4万年前以降、日本のどこにどのような人たちが住んでいて、どのように縄文人につながってゆくのでしょうか。酸性土壌でほぼ人骨の出ない日本ではその解明を石器の編年や遺跡の構造から解き明かす必要があります。旧石器時代の遺跡についても、実際どうだったのか?今後記事にしていきたいと考えています。

 

■縄文・弥生人に次ぐ”第3の存在”

現代の定説として、日本人の遺伝的ルーツは、列島の先住民である「縄文人(南方から、北方から、対馬海峡から)」、と大陸からの移民である「弥生人」にあると言われています。しかし、金沢大や鳥取大らの国際研究チームが、”第3のルーツ”の存在を明らかにしました。

 

日本列島には、少なくとも3万8千年前から人類が居住していました。しかし、日本が急激に変化したのは過去3000年間のことで、狩猟・採集から水稲農耕、そして技術的に高度な国家へと変貌していきます。その中で、日本人のルーツは、最初に列島に住み着いた縄文人(約1万6000~3000年前)と、大陸からの渡来民たる弥生人(BC900~AD300年頃)の混血にあるとされてきました。これを「二重構造モデル」と言います。

 

金沢大や鳥取大らの国際研究チームの研究では、約9000年前の縄文人や、石川県金沢市で最近見つかった約1500年前の古墳人を含む、計12体の遺骨のDNA解析が行われました。さらに、それらのデータをすでに解読済みの弥生人2体のDNAと比較した結果、弥生人は、中国東北部など北東アジアに多く見られる遺伝的特徴を持ち、縄文人と混血していることが改めて確認されました。

 

※同研究は、9/17付けで学術誌『Science Advances [3]』に掲載され、9/21付けで金沢大学HP [4]に掲載されました。

 

それと同時に、3~7世紀に栄えた古墳人は、縄文人や弥生人にはない東アジア人に特有の遺伝的特徴を持っていることが判明したのです。しかも、古墳人の遺伝的特徴は、現代日本人のそれとほぼ一致することが分かりました。古墳時代は、渡来人のもたらした農耕技術の発展や普及、鉄器・武具の製造により、中央集権的な政治が成立した時期です。この間に、東アジアからの渡来が活発になり、在来の弥生人たちと混交したことで古墳人が誕生したと考えられます。この時期の渡来集団が、徐福、秦氏などの技術集団とも言われています。

 

これをもって、現代日本人につながる祖先集団が初めて完成したというわけです。前段までの日本列島にやってきた祖先集団のルートと重ねてみると、以下のような仮説が立てられそうです。

①旧石器時代にシベリア経由で到達した(北方ルート)

 ⇒縄文人への系統

②旧石器時代に華北・朝鮮半島経由で到達した(対馬ルート)

 ⇒渡来系弥生人への系統

③弥生時代に華北・朝鮮半島経由で到達した(航海による対馬ルート)

 ⇒渡来系古墳人への系統

④南方から沖縄経由で到達した(南方ルート)

 ⇒縄文人への系統

[5]

図:日本人のルーツを探る「三重構造」の概念モデル

こうして縄文人につながるであろう、太古の旧石器時代に日本にやってきた現生人類のルーツを見ても、列島への人の流れが単一ではないことがよくわかります。アフリカを出て中東で東に進路を取り、様々な旅をして来たモンゴロイド。彼らは東の果ての孤島、日本で再会することになったのです。そう捉えると、なんだかロマンを感じますね!

 

次回は、旧石器時代の遺跡から縄文時代へのつながりについて考察していきたいと思います。

[6] [7] [8]